Chic(シック)とは【徹底解説まとめ】

Chic(シック)とは、1977年にデビューしたアメリカのディスコ・ファンクバンドである。中心メンバーはナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズ。『おしゃれフリーク」』や『グッド・タイムス」』等のビルボードNo.1を発表し、1970年代後半のディスコ・ブームを牽引した。80年代はナイルとバーナードはプロデューサーとして活躍。マドンナやデヴィッド・ボウイ、ダイアナ・ロスなどのアーティストを大ヒットさせた。現在もナイル・ロジャースを中心に活動するダンスミュージック界のレジェンドである。

1984年の初の全米No.1ソング「ザ・リフレックス」、1985年の全米2位の「ワイルド・ボーイズ」、1987年の全米2位シングル「ノトーリアス」、1988年の全米4位シングル「アイ・ドント・ウォント・ユア・ラヴ」等、ナイルはデュラン・デュランの要所要所で関わってきたまさ30年来の師匠であり、朋友とも言える。そのナイルとデュラン・デュランがお互いの個性を絶妙にコラボした曲が2015年リリースの「Pressure Off」である。
なおデュラン・デュランは2017年の武道館公演にナイル・ロジャースとシックのメンバーを引き連れて来日している。

Boomerang/Emin

エミン・アラズ・オグル・アガラロフ(アゼルバイジャン語:Emin Araz oğlu Ağalarov、ロシア語:Эмин Аразович Агаларов、1979年12月12日生まれ)は、エミン・アラゾヴィッチ・アガラロフとしても知られるアゼルバイジャン系ロシア人の歌手、実業家。アゼルバイジャンとロシアで広く人気のあるアーティストである。
『Boomerang』は2015にリリース、ナイル・ロジャースがゲスト出演している。

One More/SG Lewis Nile Rodgers

サミュエル ジョージ ルイス(1994年7月9日生まれ)は、英国のシンガーソングライター、ミュージシャン、レコードプロデューサー。
「One More」は2021年2月19日にヴァージンEMIとPMRレコードからリリースされたデビュースタジオアルバム『Times』からの5枚目のシングルで、ナイル・ロジャースがゲスト出演している。

Who's Hurting Who/Jack Savoretti

イタリア系イギリス人シンガー・ソングライター、ジャック・サヴォレッティは2007年にデビュー・アルバム『ビトウィーン・ザ・マインズ』をリリースし、UKチャート初登場70位を記録した。
「Who's Hurting Who」は2021年6月25日にEMIからリリースされた7枚目のスタジオ・アルバム『Europiana』からのシングルで、ナイル・ロジャースとマーク・ラルフがプロデュースした。アルバムは全英アルバムチャートの初登場1位を記録し、サヴォレッティの国内2枚目のナンバーワンアルバムとなった。

Agua/Daddy Yankee

ダディー・ヤンキー(Daddy Yankee、本名: ラモン・ルイス・アヤラ・ロドリゲス、1976年2月3日 - )は、プエルトリコのサンフアン出身のラッパーで、2022年12月2日のサヨナラコンサートツアー終了後に音楽から引退することを発表した。
ダディ・ヤンキーの7枚目で最後のスタジオ・アルバム『Legendaddy レジェンダディ』からのセカンドシングル「Agua」は、1980年代風のダンストラックで、プエルトリコ人歌手ラウ・アレハンドロのボーカルと、プロデューサーのナイル・ロジャースによるエレキギターがフィーチャーされている。

Chic(シック)の名言・発言

ナイル・ロジャース「俺ももう60歳だけど、また波にのったという手応えがあるんだよ」

MTV VMAs 2013ライヴにて。左より、ファレル・ウィリアムス、ダフト・パンク、ナイル・ロジャース

2012年、還暦を迎えたナイル・ロジャースにダフト・パンクから声がかかる。
そして2013年5月21日に『Random Access Memories』がリリースされ、ナイルはダフト・パンクとのコラボを果たすが、ナイルが声をかけられたとき、ダフト・パンクの2人が本当にドアをノックして自宅に現れたと、フロリダ州マイアミで行われた音楽業界シンポジウム、ウィンター・シーズン・カンファレンスで語っている。
「1年くらい前、俺はギー・マニュエルとトーマから、まるでドアをノックされるように声をかけられて、その後2人は本当に俺の自宅のドアをノックして現れたんだ。それで今回のコラボレーションがあまりに自然にいったから、もっといろんな人とスタジオで仕事しなきゃだめだって思ったんだ。俺は人と一緒に作業をするのが大好きだから。そう思った途端にレコーディングの話も山のように舞い込んできて、再び手当たり次第、誰とでもスタジオに行くようになったんだ」
そしてその後、精力的にコラボレーションを重ねているのもダフト・バンクとのコラボレーションがきっかけだと、ナイルは『ローリング・ストーン』誌で語っている。
「勢いがついた時にはとにかくやれることをできるだけやりまくるしかないんだ。70年代末にはシックでそういうのを経験した。その80年代にもデヴィッド・ボウイがきっかけで『レッツ・ダンス』のプロデューサーを務めた。そしてまたそういうのを手繰り寄せたんだ。俺ももう60歳だけど、またしても波にのったポジションが来たって手応えがあるんだよ」とナイルは語っている。

ナイル・ロジャース「エレべーターの中でいきなりマドンナから、『ねえ、どうしてわたしとやろうとしないの?』って訊かれちゃってね」

1985年7月13日、フィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアムで開催された「エチオピア飢饉救済コンサート」の模様。中央がナイル・ロジャース、右手がマドンナ。

ナイルは1984年にマドンナの『Like a Virgin』をプロデュースし、世界で2千万枚のセールスを誇る大ヒットを記録、「マテリアル・ガール」「ドレス・ユー・アップ」「エンジェル」そしてタイトル曲「ライク・ア・ヴァージン」などのヒット・シングルを連発することになった。
ナイルが『ザ・サン』紙で語った回想によると、当時マドンナに、なぜ手を出そうとしないのかと不思議がられたという。マドンナとはあくまでも仕事の関係しか持とうとなかったナイルについてマドンナは驚きを隠そうとしなかったと語っている。
「エレべーターの中でいきなりマドンナから、『ねえ、どうしてわたしとやろうとしないの?』って訊かれちゃってね」「俺も、『ちょっと今なんて言った?』って耳を疑ったけどね。でも、マドンナは俺が手を出そうとしないのを不思議がってたんだよ。彼女にはそれが理解できなかったんだよね。『みんなわたしとやりたがるのに』って言っていた」
そこでナイルは二人のコラボレーションに肉体関係を持ち込む気はないことを説明した。かつてナイル自身、非常に魅力的な女性と仕事をしているときに、一夜を共にしてしまったことを非常に後悔しているという。
「恋愛関係を持つことなしに、俺はマドンナとは女性友達として一番親しい間柄にもなったんだよ。マドンナは本当になにかに駆られてるような人物だったんだ。初めて会ったその日に『わたし、ものすごいスーパースターになるのよ』って言ってたからね」とナイルは回想し、その後のマドンナとの関係も長続きすることになったと語っている。

Chic(シック)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

『おしゃれフリーク』誕生秘話

1970年代のニューヨークのディスコ「スタジオ54」の様子

1977年の大晦日、NYのセレブリティー御用達ディスコ「スタジオ54」で行われたグレイス・ジョーンズのライヴに招待されたナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズだったが、なにかの手違いで入店を拒否された。
そこで思わず叫んだひと言が「Aaaaaah, fuck off!」だったが、これをヒントに作ったのが「Aaaaaah, freak out!」の歌い出しで始まる『おしゃれフリーク Le Freak』だった。
実際には彼らが楽屋口から入ろうとしたため断られたというのが本当らしいが、ともあれ、もともとは「奇形」とか「異様な」というようなネガティヴな用語だった「フリーク」という単語をお洒落な若者言葉に転換させることになった。
なお、歌詞には、トラブルの舞台となったスタジオ54について言及した「Come on down to 54」というフレーズもある。
「おしゃれフリーク」は瞬く間に全米第一位に輝き、しかもアトランティック・レコーズ史上最大の売り上げとなる特大ヒット曲になった。そしてこの記録を破ったのが、ナイルがスターへと押し上げたマドンナが1990年に放った大ヒット『ヴォーグ』というのも不思議な因果である。

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