Duran Duran(デュラン・デュラン)の徹底解説まとめ

Duran Duran(デュラン・デュラン)とは、1978年、イギリス、バーミンガムにて結成されたバンド。1980年代に起きたニューロマンティックムーブメントを代表するバンドとなり、アイドル的なルックスのよさやスタイリッシュなファッションを武器に世界中でブレイクした。1981年「プラネット・アース」でデビュー、84年シングル「ザ・リフレックス」で初の全米No.1に輝く。その後はメンバー・チェンジなどで活動は一時停滞するが、デビュー40周年を超え、これまでのレコード・セールスは1億枚を超える。

ジョン、ロジャー、アンディ、3人のテイラー

オリジナルメンバー5人のうち、ジョン・テイラー、ロジャー・テイラー、アンディ・テイラーとテイラー姓のメンバーが3人もいる為、デュラン・デュランは「テイラー兄弟3人を中心としたグループ」と思っているリスナーも少なくないが、実は3人とも血縁関係はない。

ジョン・テイラーとロジャー・テイラーは同じバーミンガム出身で歳も同じである。
アンディ・テイラーは1歳下だが、彼はイングランド北部のニューキャッスルから遥々オーディションを受けてメンバーになっている。

デュラン・デュランの歌詞について

デュラン・デュランの歌詞はよく「難解だ」と言われることが多いが、これに対しサイモン・ル・ボンは、「自分で歌ってて意味がわからない」と言っていたと、小林克也氏はベストヒットUSAで述べている。

自分でも意味がわからないのに、他の人がわかるわけがないのであるが、確かにデュラン・デュランの歌詞をみると、意味が繋がらない。これに対し小林克也は、「当時デヴィッド・ボウイがやっていた手法、カットアップをやっていたのではないか?」と推測する。

カットアップとは、稀代の変態作家「ウィリアム・シュワード・バロウズ二世」が文学の世界に広めた技法で、要約すると、新聞や雑誌、または自分で打ち込んだ文章を一度バラバラに切り取り、それを組み合わせることで、新しい文章にする技法である。

「デュラン・デュランも詩を切って、それを並べる。それをやったんじゃないか?」

このカットアップはある時期の文学を変えた。つまり「一つの話を頭から最後まで書くなんてそんな野暮なことはやるな、並べ替えて、我々も知らないようなシュールな文を作るんだ」と言う一つの運動になったのである。

そのカット・アップの技法はデュラン・デュランが影響を受けたと言われるデヴィッド・ボウイのみならず、ミック・ジャガー、ローリー・アンダーソンなど、さまざまなアーティストに受け継がれてる。

ゲストのいとうせいこう氏は、「なるほど、誰も気づかなかったけど、それは十分にあり得ますね」と、デュラン・デュランがカットアップの手法をまだ若い20代そこそこの時期から取り入れていた可能性について納得し、そして感嘆していた。

夜のヒットスタジオに出演

1984年、初めての武道館で公演したデュラン・デュランは、『夜のヒットスタジオ』に出演し、クチパクではあったが「ユニオン・オブ・ザ・スネーク」を演奏した。

この時、「何か日本語で挨拶を」との問いかけにメンバー達は「サイモンさん」、「ニックさん」、「アンディさん」、「ロジャーさん」、「ジョンさん」
とお互いを「さん付け」で呼び合うだけだったが最後にサイモンが一言日本語で喋りたいと伝えた。その一言は「コンヤ、ドウ?」だった。

司会の芳村真理はすかさず「井上順さんと付き合うとこう言うことになるからね」とフォローした。

1988年にもまた、ニューヨークから中継で『夜のヒットスタジオ』に出演、「ノトーリアス」を演奏したが、演奏前のインタビューで司会の古舘伊知郎がジョン・テイラー対し、「どういう女性がタイプですか?」と聞いたところ、ジョンは「全てだ」と答えた。

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