倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)の徹底解説まとめ

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)とは、1999年10月に“Mai-K”として全米デビューを果たした女性シンガーソングライターである。同年12月には1stシングルで日本デビューし、ミリオンセラーを達成している。2024年にはデビュー25周年を迎え、記念企画を続々と開催。Ima Kirakuは作曲家としてのペンネームである。音楽活動以外に、慈善活動にも精力的に参加している。

中国・台湾・韓国での音楽を通した交流

台湾観光イメージキャラクターに就任したアイドルグループ飛輪海(フェイルンハイ)と、イベントスペシャルゲストとして登壇した倉木麻衣

倉木麻衣が本格的に海外での活動を開始したのは2007年。中国で開催されたサッカー大会「A3 CHAMPIONS CUP 2007」オープニングイベントへの出演をはじめ、台湾では最大かつ最高の音楽賞「金曲奨」にプレゼンテーターとして出演し、代表曲「Secret of my heart」を生演奏で披露。韓国国際文化産業交流財団主催の「2007・アジアソングフェスティバル」に日本代表として出演するなど、海外での活動が一気に増加した。

2011年には日中友好40周年記念映画『明日に架ける愛』で主題歌に起用され、当作品のメインキャストとのコラボレーション楽曲をリリース。中日韓友好音楽祭で披露した。翌年2012年11月には中国・台湾・香港公式LINEもスタートしており、アジア各国で絶大な人気を誇るようになる。活動の幅は日中韓にとどまらず、2016年には日露友好記念LIVEイベントにも出演。2018年に中国最大の音楽アワード・第25回CHINESE TOP10 MUSIC AWARDSに日本人アーティストとして初出演し、アジアで最も影響力のある歌手として「アジア風雲歌手」を受賞している。

発展途上国支援、被災地支援などの社会貢献活動

2013年、宮城県で開催された復興支援ライブの様子

倉木麻衣は様々な支援活動にも参加している。2011年3月に日本を襲った東日本大震災からの復興支援では、チャリティーソング「あなたがいるから」をリリース。フィギュアスケーターの荒川静香氏と共にチャリティームービーを配信したほか、チャリティーグッズも制作し支援活動を精力的に行っている。同年に開催されたサッカーチャリティー試合では国歌斉唱も務めた。さらに地震でも日本武道館にてチャリティーライブを行っている。

2012年には、子宮頸がんの予防を啓発するプロジェクトライブに出演。これを皮切りに女性としての社会活動にも参加するようになる。
2013年にはさらに社会貢献活動が活発に。三陸復興・種差海岸国立公園化推進シンポジウム&コンサートへの出演、「-瓦礫を活かす-森の長城プロジェクト」へのボランティア参加、地元小学校でのワークショップなど、多くの活動を行った。

2014年になると、国際協力広報プラットフォーム「なんとかしなきゃ!プロジェクト」の一環でカンボジアを訪問。これをきっかけに、カンボジアでの寺子屋設立、運営支援を始め、海外での支援活動にも積極的に参加するようになる。倉木はカンボジアの寺子屋支援のための募金活動で、1500万円以上の寄付金を集めている。倉木のカンボジアでの活動は高評価されており、日本ユネスコ協会連盟より感謝状が贈られた。ボランティアでJICA青年海外協力隊にも参加し、2015年には50周年イメージソングとして「ひとり ひとつ」をリリースしている。
倉木の様々な社会活動が評価され、2016年には公益財団法人日本ユースリーダー協会による「若者力大賞」を受賞し、スピーチを行った。

カンボジアは観光地として、また日本からの支援国として話は聞いたことがありましたが、実際に現地に行ってみた時のカルチャーショックは言葉で言い尽くせないほどのものでした。途上国の現実を目の当たりにして、私にできることを考えるだけではなく、行動していこうと強く心に決めました。(中略)どんな環境にあっても“学びたい”と目を輝かせる子供たちが、寺子屋で多くのことを学び、成長していく姿を、ご支援いただいている皆さんと一緒に、これからも見守っていけたらと思っています

出典: www.barks.jp

2017年からは「女性のエンパワーメントとジェンダー平等」を目的とした一般社団法人・HAPPY WOMANの活動に参加し、テーマソング「WE ARE HAPPY WOMAN」や、名古屋ウィメンズマラソン2018公式応援ソング「Do it!」などをリリース。国際女性デーのイベントへ出演するなど精力的に活動中である。
2024年現在は、HAPPY WOMAN主催「能登半島地震 女性支援プロジェクト」が発足しており、スペシャルパートナーとしてメッセージを発表している。

被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。大変な環境で日々頑張っている女性の皆さんを元気づけられたらと思っています。
自分にできることの支援、何か少しでも役に立ちたいという純粋な気持ちを音楽を通じてつなぐことで気持ちを高めていければと考えています。

出典: www.mai-kuraki.com

ワンガリ・マータイ氏との会談をきっかけに始まった倉木の社会貢献活動は、国籍を問わず多くの人の心に寄り添っている。

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)のプロフィール・人物像

2017年、Mステに十二単姿で出演した倉木麻衣

1982年10月28日生まれシンガーソングライター。千葉県船橋市出身。
リリース楽曲のほとんどで作詞を担当。母校である律明海大学産業社会学部の客員教授も務めている。
俳優兼実業家、CMディレクター、映画監督を務める山前五十洋を父に持つ。祖父は詩人及び出版社経営者の山前実治、叔母は女優の滝沢れい子である。

独特のウィスパーボイスが魅力で、デビュー当時はブーム真っただ中であったR&B歌手として活動していた。しかし後にポップ、EDMといった様々な音楽ジャンルに挑戦し、楽曲の幅を広げている。

子供の頃はアクティブな性格で、木登りや虫捕りなど外で遊ぶことが多かったとインタビューで明かしている。中学生時代には、同世代の子供たちの間でSMAPや久保田利伸が流行している中でマライア・キャリーにハマり、洋楽ばかりを聞くマニアックな気質でもあった。部活はバスケットボール部に仮入部したが、朝練についていけず本入部にはならなかった。
高校時代には合唱部、演劇部、美術部を掛け持ちしていたが、美術部はほぼ幽霊部員となっていた。演劇部では市の大会で個人賞を受賞している。
倉木本人は自身のことを地味で大人しいと言っているが、音楽関係者は当時の倉木を振り返り、「かなりアクティブ」と評している。

デビュー直後はポニーテールを膨らませた “Mai-Kヘア” が代名詞であったが、髪型は倉木本人の意向で幾度も変わっている。長い間ヘアスタイリストは付いておらず、ヘアセット等は自身で行っていた。2024年現在は茶髪のロングヘアーをストレートに下ろした髪型にしていることが多い。

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)のディスコグラフィー

シングル

『Baby I Like』

1999年10月16日発売

1. Baby I Like
2. Did I Hear You Say That You're In Love
3. 's All Right
4. Baby I Like ~ Oral Exciter House Remix ~

アメリカのBip!RecordsからMai-K名義でリリースされた、全米デビューシングル。収録曲は全てカバー曲である。2024年現在は廃盤となっている。

『Love, Day After Tomorrow』

1999年12月8日発売

1. Love, Day After Tomorrow
2. Everything's All Right
3. Everything's All Right ( Remix )
4. Love, Day After Tomorrow( Original Karaoke )

倉木麻衣の日本デビューシングル。初登場でセールスランキングは18位、最終的にはランキング2位を記録した。「Love, Day After Tomorrow」がライブで歌われる際には、「LOVE」の指文字を作ることが恒例となっている。また「Everything's All Right」の歌詞は、倉木がボストンに滞在している間に作詞された。

『Stay by my side』

2000年3月15日発売

1. Stay by my side
2. Just Like You Smile Baby
3. Love, Day After Tomorrow-Day Tripper Drumn' Bass Mix-
4. Stay by my side ~Instrumental~

初のオリコンシングルチャート首位を獲得した2ndシングル。歴代シングル売り上げ枚数も第3位と高い人気を誇る。表題曲は後に初出演したNHK紅白歌合戦で披露された。2016年には南條愛乃によりカバーされている。

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