hide(松本秀人)の徹底解説まとめ

hide(松本秀人)とは、1990年代に活躍した日本を代表するロックギタリストである。1989年にメジャーデビューした「X JAPAN」(旧名「X」) のギタリストとして在籍した。1993年よりソロ活動も開始。1997年以降には「hide with Spread Beaver」及び「zilch」での活動も行い、独創的なギタープレイや個性的なファッションで多くのファンを魅了した。1998年5月2日に急逝。

hide(松本秀人)の概要

hideとは主にギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサーとして多才な才能を発揮し活躍したアーティストである。本名は松本秀人。1964年12月13日に生まれ、1998年5月2日に急逝した。彼は主に「X JAPAN」のギタリストとして名声を博し、その独特なスタイルと音楽センスで日本のロックシーンに大きな影響を与えた。

hideは1987年に「X JAPAN」に加入し、その後バンドは国内外で人気を得た。彼のパフォーマンスはエネルギッシュでカリスマ性に溢れており、多くのファンを魅了した。「X JAPAN」の活動休止後、hideはソロ活動を開始し、多くのヒット曲を生み出した。彼のソロ活動では、より実験的で多様な音楽スタイルを追求し、多くの若いアーティストに影響を与えた。

hideはプロデューサーとしても成功を収め、様々なアーティストのプロデュースを手掛けた。彼の音楽は、ビジュアル系と呼ばれる日本のロックシーンの一部を形成し、その後の世代に大きな影響を与えた。
また、ステージでの過激なパフォーマンスとは対照的に謙虚な人柄で人一倍気遣いな性格でもあった。難病少女との交流から骨髄バンクに登録した事が世間で話題になった際には、自分が知らない間に記者会見が用意された事に「売名行為だと思われる」と激怒したというエピソードもある。仲間を大切にし、信念に沿った行動を行うhideを慕うアーティストは世代を問わず多くいる。

1998年5月2日、hideは突然の死を遂げた。彼の死は多くのファンに衝撃を与え、日本中で大きな悲しみが広がった。彼の葬儀には多くのファンが集まり、その影響力の大きさが改めて証明された。
hideの音楽とスタイルは、彼の死後も多くの人々に愛され続けており、彼の影響は今もなお色褪せることなく、日本の音楽シーンに生き続けている。彼の遺した楽曲や映像作品は、現在も多くのファンに支持され続けており、hideは日本のロック界における伝説的な存在として語り継がれている。

hide(松本秀人)の活動経歴

「サーベル・タイガー」と初期の活動

高校時代は当時不良少年の溜まり場であった横須賀のどぶ板通りに通うようになった。1981年、そこで出会った友人と共にバンド「サーベル・タイガー(Saber Tiger)」を結成。hideはリードギタリストとしてバンドを率いた。「サーベル・タイガー」は地元のライブハウスを中心に活動し、次第にその名を広めていった。hideの独自のギタースタイルと奇抜なパフォーマンスは観客を魅了し、バンドは地域の音楽シーンで一定の人気を獲得した。高校卒業後は専門学校に通い美容師免許を取得し、祖母の美容室で働いていた時期もあった。「サーベル・タイガー」はメンバーチェンジや音楽的方向性の違いなどの内部問題が次第に表面化する。これにより、バンドの活動は次第に停滞し、メンバー間の対立が深まった。最終的に、「サーベル・タイガー」は1987年に解散。この時hideは音楽活動を辞め、美容師として生きていこうと考えていた。

「X JAPAN」への加入

「サーベル・タイガー」解散を決意し美容師として生きていく決意をしたhideは、以前から親交のあったYOSHIKIにもそのことを伝えた。するとYOSHIKIは「X」(後の「X JAPAN」)のギタリストとしての加入を熱心に依頼した。YOSHIKIはhideの才能に注目し、その独特なギタースタイルとカリスマ性がバンドに大きな力を与えると確信していた。それまでいろんなバンドから加入の誘いを断ってきたが「X」には入ることを決意し1987年に加入した。hideの加入により、「X JAPAN」はその音楽性とビジュアル面で一層強化されることとなる。彼の独特なファッションとパフォーマンスは、多くのファンを引き付けた。

メジャーデビューと初期の成功

1989年、「X」(後の「X JAPAN」)はアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビューを果たした。アルバムには「紅」「ENDLESS RAIN」などの名曲が収録され、「X」は日本のロックシーンに大きな影響を与えた。hideはギタリストとしてだけでなく、作曲家としてもその才能を発揮し、「CELEBRATION」などの楽曲を提供。hideの派手なビジュアルとエネルギッシュなパフォーマンスは、多くのファンを魅了した。
1990年、「X」は日本武道館でのライブを成功させ、全国ツアーを展開。この頃、ビジュアル系という新しいロックのジャンルが広まり、「X」はその中心的存在として位置付けられた。1991年、「X」はアルバム『Jealousy』をリリース。このアルバムも大ヒットし、オリコンチャートで1位を獲得。「Silent Jealousy」「Say Anything」などの楽曲が収録され、バンドの音楽的成熟を示す作品となった。

ソロ活動の開始

1993年ソロ活動を開始し、「LUNA SEA」のJとINORANと共に「MxAxSxS」名義でオムニバスアルバム『DANCE 2 NOISE 004』に参加。その後ソロ初シングル『EYES LOVE YOU』と『50% & 50%』をリリース。これらのシングルは即座にヒットし、ソロアーティストとしての成功を収めた。1994年、ソロ初アルバム『HIDE YOUR FACE』をリリースし、多くのファンから支持を得る。1996年、hideは2枚目のソロアルバム『PSYENCE』をリリース。全国ツアー「PSYENCE A GO GO」も大成功を収めた。hideのソロ活動は、ますます多様化し、実験的な音楽スタイルを取り入れるようになった。その後hideは新たな音楽プロジェクト「zilch」を結成。「zilch」は主に海外のミュージシャンとコラボレーションし、英語の楽曲を制作。彼の国際的な音楽活動への意欲を示すものとなった。

レーベル立ち上げや新たな音楽プロジェクト

1996年、下北沢を中心として活動していたインディーズバンド「ZEPPET STORE」の楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からレーベル「LEMONed(レモネード)」を立ち上げる。また、新たな音楽プロジェクト「zilch」を結成。「zilch」は主に海外のミュージシャンとコラボレーションし、英語の楽曲を制作。元キリング・ジョークのポール・レイヴンと元プロフェッショナルズのレイ・マクヴェイを迎え、ニューヨークで結成された。初アルバム『3・2・1』(スリー・トゥー・ワン)は1996年からレコーディングを開始し、1998年彼の死後にリリースされた。音楽以外にはファッションやグッズの販売店や美容院、フォーミュラ・ニッポンのチームルマンのスポンサーにもなった。

「X JAPAN解散」

1997年、TOSHIの脱退により「X JAPAN」は解散を発表した。同年12月31日に「The Last Live」を東京ドームで開催して活動終了となった。

「hide with Spread Beaver」始動と突然の死

「X JAPAN」解散ライブ翌日の1998年1月1日、hideは新バンド「hide with Spread Beaver」を新聞広告で発表。同年1月にシングル『ROCKET DIVE』を発売。そしてアルバム『Ja,Zoo』を制作中であった。同年5月にはシングル『ピンク スパイダー』『ever free』のリリースも控えプロモーション活動を行っていたが、そのリリース直前である1998年5月2日、hideは自宅で亡くなった。享年33歳。彼の突然の死は多くのファンに衝撃を与え、日本中で大きな悲しみが広がった。
彼の遺作であるアルバム『Ja,Zoo』は1998年11月にリリースされた。このアルバムはhideの意志を継ぐ形で関係者が完成させた。彼の急逝以降、誕生日や命日には毎年多くの追悼イベントが開催されている。彼の影響は今も日本の音楽シーンに生き続けており、その存在は多くのアーティストに慕われ続けている。

hide(松本秀人)のプロフィール・人物像

1964年12月13日生まれ 。神奈川県横須賀市出身。少年時代は肥満体形で劣等感を持ち、内気な子供だった。深夜ラジオでロックを知り、「ロックミュージシャンは痩せなくては」とダイエットに励む。このことが内気な少年が自分の殻を破り、後の「ギタリストhide」となる道の始まりだった。中学生の頃に祖母に買って貰ったギターに夢中になる。体育以外の成績はクラス上位で高校は進学校に入学。当時その高校ではエレキが禁止されていたが、不良の溜まり場で出会った仲間とバンドを始める。祖母が美容師で、美容師免許を取得したのは祖母の影響も受けており「おばあちゃん子」だった一面もある。
90年代を代表する日本のロックギタリストであり「X JAPAN」やソロ活動で多くのアーティストやファンに影響を与えたが、1998年5月2日突然の死を遂げその才能を惜しまれつつ生涯を閉じた。

hide(松本秀人)のディスコグラフィー

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