倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)の徹底解説まとめ

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)とは、1999年10月に“Mai-K”として全米デビューを果たした女性シンガーソングライターである。同年12月には1stシングルで日本デビューし、ミリオンセラーを達成している。2024年にはデビュー25周年を迎え、記念企画を続々と開催。Ima Kirakuは作曲家としてのペンネームである。音楽活動以外に、慈善活動にも精力的に参加している。

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)の概要

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)とは、“Mai-K”の名義で1999年10月に『Baby I Like』をリリースし、全米デビューを果たした女性シンガーソングライターである。その後同年12月8日には1stシングル『Love, Day After Tomorrow』をリリース。日本デビューと同時にミリオンセラーを達成している。

日本デビュー当時、倉木はTV出演によるプロモーション活動は一切しておらず、タイアップもなかったが、CDの売り上げが14万枚(オリコン調べ)に到達。続く2ndシングルでも初登場でオリコンチャート1位を獲得するなど、新人としては異例の大ヒットを生み出した。また3rdシングル『Secret of my heart』は人気アニメシリーズ『名探偵コナン』のエンディングテーマに抜擢され、初タイアップでオリコン2位を獲得。以降複数回にわたり『名探偵コナン』の主題歌を担当し、数々のコラボ企画が実現している他、アニメ作品に本人役で出演するなどして、『名探偵コナン』を代表する主題歌シンガーとなっている。
リリース楽曲はほぼ全て倉木本人が作詞している。またファンクラブ向けにリリースした「ふわふわ」では作曲も手掛け、その際にはIma Kirakuのペンネームで作曲家として名を連ねた。

音楽活動以外にも、チャリティーなど慈善活動に精力的に参加していることでも有名。参加した慈善活動は環境保護や教育、災害支援など多岐にわたる。海外での支援活動にも携わっている。
その他、ゲームのキャラクター原案、ラジオパーソナリティなどの経験もある。

独特のウィスパーボイスと、日本人の耳に馴染む歌謡曲の特徴を残しつつ、多様なジャンルの楽曲。彼女にしか生み出せない音楽性は、その人気を国内のみならず国外にも広げ、アジアで最も影響力のあるアーティストである。

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)の活動経歴

デビューまでの道のり

ボストンでレコーディング中の倉木麻衣

倉木麻衣は4歳からエレクトーンを、その後はピアノを習っていた。小学6年生の頃、ピアノレッスンの一環で音符を読みながら歌うという指導を受けたところ、担当していた先生から「あなたはピアノより、歌が向いている」と言われたという。これがきっかけで倉木の中で歌への興味が生まれ、歌手の道を志すようになる。

中学生になると、マイケル・ジャクソンのMVから洋楽にハマり、ホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリーといったシンガーへの憧れを抱くようになる。倉木は彼女たちのようなシンガーになることを目標にデモテープを作成。音楽会社に送るなど、本格的に歌手になるための活動を始めることとなった。
このデモテープから倉木を見出したのが、B ZONE創業者である長戸大幸である。当時音楽プロデューサーとして活動していた長戸は、倉木に対し高校生になってからのデビューを提案。また英語の勉強を含めた様々な経験を積むことを提案し、倉木のデビュー前下積み期間の導き手となった。

倉木が高校生になると、大手レコードレーベルGIGA studioのスタッフを長戸から紹介され、デモテープの審査を経てデビューが決定する。
デビュー決定後は学校の夏休みを利用し。レコーディングのため渡米。これをきっかけに1999年10月16日、アメリカのインディーズレーベルBip! Recordから日本に先駆けてデビューを果たす。アメリカでのデビュー名義はMai-K、デビュー曲は『Baby I Like』で、当時倉木は16歳であった。その後同年12月8日、1stシングル『Love, Day After Tomorrow』で日本デビューを果たし、17歳でミリオンセラーを達成した。

学業と両立させながら行った音楽活動

立命館大学で客員教授として講義を行う倉木麻衣

倉木は1999年のデビュー当時は高校生。通っていたのは聖徳大学附属高校(現VERITAS高校)音楽科だが、芸能活動が校則により禁止だったため、倉木は学校や友人には内緒で活動を行っていた。彼女が高校生の間は事務所の方針としてもメディア露出が控えられており、デビュー後のTV出演によるプロモーションは一切行われなかった。それにもかかわらず、CDの売り上げが14万枚に到達するという偉業を成し遂げている。
学生の本文である学業と音楽活動を両立するため、スタジオで宿題やテスト勉強を行いながらレコーディングに励んでいたという。一方でプロモーション活動がなかったために、倉木自身のデビューの実感は薄かったと語る。

当時はテレビなどのメディアにあまり出ていなかったので、デビューしても実感がなかったです。ラジオで自分の曲が流れているのを聞いたり、CDショップでCDが並んでいたりするのを見てデビューしたことを実感するような日々でした。振り返ってみると、音楽と学生生活の両立は大変だったと思います。スタジオで学校の宿題やテスト勉強をしたりしながらレコーディングしたりと、無我夢中でした。

出典: chanto.jp.net

高校2年生になると、レコード会社の近隣にあり、芸能活動も可能な立命館宇治高校スーパーイングリッシュコースに編入。本格的にデビューへの準備を始める時期となった。倉木が1stアルバムをリリースしたのは、同校3年生の時である。
高校を卒業すると、倉木は立命館大学へ内部進学。大学卒業をきちんとしておきたいという思いが強かったとインタビューで明らかにしている。入学時には報道メディアに対し始めて姿を見せ、ニュースでその姿が映し出されることとなった。
大学の学業と並行し、倉木は次々とシングル楽曲をリリースしている。大学1年生である2000年には2ndシングルから6thシングルまでをリリース。人気アニメとのタイアップが決まるなど飛ぶ鳥を落とす勢いを見せ、大人気アーティストとして多忙な日々を送ることとなる。

翌年2001年には3rdシングルでアニメ主題歌にもなった「Secret of my heart」が、第15回日本ゴールドディスク大賞でソング・オブ・ザ・イヤーを受賞。さらに1stアルバム『delicious way』がロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、人気は留まるところを知らなかった。さらに同年8月19日からは初の全国ツアー「爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live」も開催されている。
2002年には、2ndアルバム『Perfect Crime』が1stアルバムに続きロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。この年にはヒット曲を英訳したアルバムが全米リリースされ、世界での活躍の幅も広げている。この年には初の全国アリーナツアーも開催された。
さらに大学4年生である2003年には、3rdアルバム『FAIRY TALE』が第17回日本ゴールドディスク大賞でロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。オリジナルアルバムは4作連続オリコンチャート初登場1位という快挙を成し遂げる。また第54回NHK紅白歌合戦にも出演し、これが倉木史上初めての正式なテレビ出演であった。この年には京都・平安神宮で開催された京都学生祭典で、立命館大学の学生としてスペシャルライブも実施している。
倉木が大学在学中に発表した楽曲は、シングル17枚、アルバム6枚、DVDなどの映像作品が6作に上る。

このように、デビュー以降休むことなく音楽活動に打ち込んできた倉木であったが、勉学をおろそかにしていたわけではない。大学時代には産業社会学部に在籍し、「ライブ空間の考察」というテーマで研究を行うなど、勉学すらも音楽活動の糧にしていたという。しかしその一方で、倉木自身は大学生活自体を音楽生活のためだけにしていたという感覚はなかったと振り返っている。

歌手としてのボキャブラリーに活かせる大学生活というのは、必然的にあるんですけど、自分自身として、その時はひとりの学生としての思いというものもあると思うんですね。だから、“大学生活もアーティスト活動のためだけに”ということではなくて、ごく普通の学生として大学に行っていたので。そこまではあまり深く考えていなかったかもしれないです。

出典: www.barks.jp

大学を卒業してからも、倉木は母校である立命館大学で度々客員教授として講義を行っている。
2023年1月には、特別講義「文化・音楽活動と社会形成―「ライブ」とソーシャル活動―」を開催。講義では倉木が音楽ライブに込める思いや、音楽活動と並行し行ってきた社会貢献活動についてなどを語った。また学生たちが音楽ライブの企画を考えるというテーマでディスカッションが行われ、倉木も学生に交じって意見交換を行った。
他にも、倉木は立命館大学の卒業生へ向けてビデオメッセージを送ったり、大学機関紙の表紙を飾ったりと精力的な交流を行っている。

Mai-K・Ima Kirakuとしての活動

ボストンで撮影された、Mai-Kヘアの倉木麻衣

倉木がMai-Kの名義でCDをリリースしたのは、アメリカでのデビューシングルのみである。しかし日本での活動でもMai-Kの名は広く浸透している。
日本デビュー直後、倉木が高校生の時にファンの間で流行したのが “Mai-Kヘア”と呼ばれるヘアスタイル。頭の上部でポニーテールのように髪を縛りふくらませる髪型である。

また大学在学時にはCS放送で「Mai-K TV」という冠番組を持っていた。当番組では倉木がパーソナリティを務め、好きな楽曲を紹介するスタイルで進行されていた。その他、ラジオ番組「Mai K Baby I Like」や、倉木麻衣オフィシャルファンクラブの公式サイト名「Mai-K.net」もMai-Kの名を冠している。2004年に開設されたオフィシャルブログ「Mai-K Diary」では、倉木本人による日記などが配信され、2005年にはイベントMai-K cafeが開催。2007年にはファンクラブイベント「Mai-K “DE・MA・CHI“LIVE DE SHOW」を実施し、活動の随所でMai-Kの名称を使用している。

Ima Kirakuについては、倉木自身が作曲を手掛けた楽曲「ふわふわ」で作曲家名として採用された名称である。「ふわふわ」はファンクラブ限定CD『MY & MAI REQUEST BEST』に収録されており、幻の楽曲と言われている。

アニメ『名探偵コナン』との長く続く縁

2017年10月25日に発売された、アニメ『名探偵コナン』のテーマソングアルバム『倉木麻衣×名探偵コナン COLLABORATION BEST 21 -真実はいつも歌にある!-』初回限定盤ジャケット写真

倉木麻衣は2000年リリースした3rdシングル『Secret of my heart』で初めてのタイアップを果たしている。そのタイアップ先が、日本の国民的アニメ『名探偵コナン』であった。以降倉木と『名探偵コナン』の間に結ばれた縁は2024年現在まで続いており、「コナンと言えば倉木」と言っても過言でない関係を築いている。

「Secret of my heart」はアニメエンディングテーマとしての採用であったが、翌2001年には9thシングル『always』が劇場版『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』の主題歌として起用。また同曲はテレビアニメのエンディングとしても起用されている。倉木の手掛けた『名探偵コナン』の楽曲のうち、劇場版・テレビアニメの双方で起用されたのは「always」と「渡月橋~君想ふ~」の2曲である。『渡月橋~君想ふ~』は41stシングルであり、2017年にリリースされているが、同年4月度月刊ランキング1位を獲得し、第68回NHK紅白歌合戦でも披露された。
倉木は初回のタイアップ以降、ほぼ毎年と言っていいほど『名探偵コナン』に楽曲を提供しており、2017年時点で提供楽曲数は21作品に上った。これは「同じアーティストにより歌われたアニメシリーズのテーマソング最多数」としてギネス世界記録に登録されている。同年10月25日には、倉木が手掛けた『名探偵コナン』のテーマソングを収録したベストアルバム『倉木麻衣×名探偵コナン COLLABORATION BEST 21 -真実はいつも歌にある!-』がリリース。アルバムのジャケット写真には、アニメ調に描かれた倉木が江戸川コナンを抱きかかえているイラストが使用された。
2018年に放送された『名探偵コナン』の2週連続1時間スペシャル『紅の修学旅行~鮮紅編・恋紅編~』では、倉木自身が本人役として出演。倉木はこれ以前にもアニメに登場していたが、声優としてアフレコに挑戦したのは本作が初めてとなった。

以前、倉木麻衣としてアニメに登場させて頂いたんですけど、今回はアフレコを行おうという事で、自分にできるかどうかドキドキしていたんですが、高校の時に演劇部に入っていまして、その時の事を思い出しながらトライさせて頂きました。ファンの方から「主題歌だけじゃなく、アフレコにも挑戦してみたら?」と言われていたので、今回はその夢が実現できて、とても嬉しく思いました。

出典: natalie.mu

2023年には提供楽曲数は27曲まで増加。2024年現在も『名探偵コナン』の代表的な主題歌歌手の地位は揺らいでおらず、7月5日には「名探偵コナンランド」開催記念オープニングイベントにも出演している。

精力的な社会貢献活動

カンボジア寺子屋建設プロジェクトに参加し、こどもたちに囲まれている倉木麻衣

倉木麻衣は大学在学中、環境保護活動家で、当時ケニアの環境副大臣を務めていたワンガリ・マータイ氏との対談を経験。これをきっかけに社会問題に対する関心を強め、以降様々なチャリティーイベントなどに参加するなど社会貢献活動に精力的に参加している。また国際交流活動にも力を入れており、主にアジアで音楽を通じた文化交流を行っている。

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