倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)の徹底解説まとめ

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)とは、1999年10月に“Mai-K”として全米デビューを果たした女性シンガーソングライターである。同年12月には1stシングルで日本デビューし、ミリオンセラーを達成している。2024年にはデビュー25周年を迎え、記念企画を続々と開催。Ima Kirakuは作曲家としてのペンネームである。音楽活動以外に、慈善活動にも精力的に参加している。

タイアップなしにミリオンヒットを達成した、倉木の日本デビューシングル。
恋する女の子の気持ちを切なく歌い上げる歌唱力と、わずか17歳で心を鷲掴みにする歌詞を書き上げた倉木の多才さが存分に生かされている作品である。

Time after time ~花舞う街で~

劇場版『名探偵コナン 迷宮の十字路』の主題歌。
映画のシーンにマッチした歌詞や曲調で、アニメファンを虜にした作品。スローテンポではあるが、情熱的な歌詞で人々の心を明るく照らす魅力的な楽曲となっている。倉木が大切にしている和の心を彷彿とさせる曲調も特徴的である。

Stay by my side

紅白歌合戦でも披露した2ndシングル。
忙しい毎日の中で忘れてしまいがちな、大切なものを思い出させてくれるような歌詞が心に響く楽曲。倉木の作詞センスが真価を発揮しているともいうべき作品である。

倉木麻衣(Mai-K・Ima Kiraku)の名言・発言

“みんなから育てられた倉木麻衣”っていう感じがします。

16歳での電撃デビュー、デビュー後すぐに注目された倉木。だからこそ下積みやライブ経験もない中での活動を支えてくれたファンが“育ててくれた”とBillboard Japanのインタビューで語った。倉木とファンの間にある深い絆を思わせるセリフである。

ずっと走り続けていく中で息切れするときってあるんですよね。自分自身を見失っちゃう。

倉木はbillboard JAPANのインタビューで、一番挫折しそうになった出来事を振り返った。絶えず人気を博してきた倉木でも、スランプの時期があったことが分かるセリフ。
自身の歌に対して「こうじゃなきゃいけない」という想いに悩まされ、うまく歌えなくなった時期があったという倉木。倉木ほどの才能のある人間でも、長く活動を続けていると挫折することもあるのだと分かる。

実は“無敵”って思える瞬間って弱いときなんじゃないかと思っていて。「無敵になりたい!」って思うとき。ツラかったり、苦しかったりすると、どうしてもハートって歪んできたりする。でも歪んじゃうと夢に到達できなくなっちゃうから「歪まない心を、無敵な想いを持って頑張ろう」っていう。

billboard JAPANのインタビューで、15周年を飾ったシングル「無敵のハート」のタイトル付けについてインタビューで語った言葉。
スランプを経験した倉木だからこそ、人々の気持ちに寄り添った前向きなメッセージがこめられた楽曲を作ることができるのだ。

ファンの方も当時小学生だった子が大学生になっていますし、「子供が生まれました」とか「ファン同士で結婚しました」なんて報告もすっごい多いんですよ! いまだに自分は結婚できてないのに(笑)。

billboard JAPANのインタビューで語ったセリフ。
「ファンに育ててもらった」と公言する倉木は、ファンのことを家族だと思っているという。ファンもまた、倉木を家族のように思っているからこそ結婚報告などをするのだろう。倉木が長く愛されているアーティストであることが分かるセリフである。

単なる笑顔だけではなく、そこにはつらい思いや、涙したことや、いろんなことがあったからこそのスマイルということなので。

アルバム『Smile』のリリースの際、BARKSのインタビューで語られた言葉。
カンボジアでのボランティア活動や、東日本大震災を通して、倉木の作る楽曲も変化していったという。
人間の感情の複雑さをすくい上げる、倉木の感受性の豊かさが分かるセリフである。

すべてなくなったとしても、そこで絶対にストップはできないですし、前に進んでいかなければいけない。そう思う中で、ゼロになったからこそ無限の可能性が見えることがあると思うんですね。

コロナ禍の中発売されたアルバム「unconditional LOVE」に収録された一曲、「ZEROからハジメテ」について、BARKSのインタビューで語った際の言葉。
多くの物事が制限され、失うことも多くなってしまった世の中で、希望を見失わない倉木らしさ溢れるセリフである。

小さいころ街を掃除していたら、近所のおばさんに「ありがとう」って言ってもらえたことがすごくうれしかったんです。その経験があって、デビューする前には友だちと一緒に募金活動をしてみたこともあるし、おっしゃるとおり大学や学部を選ぶときにもそういうことを考えていました。

billboard JAPANのインタビューで、社会貢献活動について尋ねられた際に語った言葉。倉木が学生時代から、「人に喜んでもらうこと」に意義を感じていたことが伺える。
音楽で人々に希望を与えながら、社会貢献活動にも精力的に取り組む倉木のルーツが垣間見える。

言葉が分からなくても音を聴いて好きになってもらってるところもあるし、言葉を超えるもの、国と国の壁を超えるものがあるんだな。音楽にはそういう力があるんだなって。言葉は分からないけど、気持ちは通じ合える。それをすごく体感してきたので。

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