蟲師の名言・名セリフ/名シーン・名場面まとめ

『蟲師』とは、漆原友紀による漫画作品およびそれを原作としたアニメ、実写映画、ゲーム作品である。1999年から2008年まで『月刊アフタヌーンシーズン増刊号』にて連載。蟲師を生業としている主人公ギンコが、旅をしながら蟲とヒトを繋いでいく。時にヒトに寄り添い、時に蟲に寄り添い、ヒトがどうあるべきかを模索していく物語である。蟲に翻弄されるヒトの無力さや愚かさを生々しく描かれており、それでも逞しく生きていくヒトのしたたかさに読者は共感を覚える作品である。

洪水により甚大な被害を負った村の少女・いお。水害を収めるための生贄だったいおは、蟲の水蠱(すいこ)が擬態した沼に投身したことにより一命を取り留める。しかし、村や親から生贄として河に投身させられたいおは絶望の渦中にいる。沼と共に移動していたいおは、ギンコに出会う。そこで、沼は水蠱という蟲であることを教えられる。水蠱に助けられたと考えたいおは自身は蟲の一部になり、蟲として生きていくことを決意する。いおはギンコの目の前で「私この沼の一部になるの」と言い、沼の中へ消えていく。しかしそれは、自身の命を犠牲にさせられたことへの絶望が、人間として生きることを諦めた悲しい決断であった。

虹郎の父の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「……お前もそろそろ…… 俺や……俺のつけた名がうらめしくなる頃だろうな…… 俺は……俺の見たこの世で一番美しいものの名を お前にやりたかったのだが……」

橋大工をしているある男は、ある日虹に触れるという奇妙な体験をした。その日から、男は妙な体質になってしまった。雨気を悟ると別人のように「あめがくる。にじがたつ」と呟きながら山野を駆け回る。そうして雨が止むと何事もなかったかのように村に帰ってくるのだが、男にも自分を律する事は出来なかった。そのせいで、家族は周囲から白い目で見られる生活をしていた。病に伏せた父親は息子に「……お前もそろそろ……俺や……俺のつけた名がうらめしくなる頃だろうな……。俺は……俺の見たこの世で一番美しいものの名を お前にやりたかったのだが……」と弱々しく零す。息子の虹郎は、そんな父親を憎みたくとも憎み切れない思いでいた。

あこやの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「目が覚めても ただ昨日までの現実の続きが待っている 目の前に広がる あてどない膨大な時間に足がすくむ」

蟲に寄生されていたあこや(上)が言いようもない怖さをギンコ(下)に語る。

とある島に住む少女・あこやは、1日に老いては死に、生き返るという奇怪な体質を持っている。神秘的な能力から島では「生き神」と呼ばれ信仰の対象とされていた。元々は健康だったあこやだが、生き神となると言葉も話せず昏眠常態となった。突然変わり果ててしまったあこやに疑問を持った少年・ナギは島の外に治療方法を探しに出る。謎の奇病は医家の範疇外だと薄々感じていたナギは蟲師のギンコを頼る。ギンコの研究により、あこやの症状は蟲に寄生されたためだと判明し、あこやは病気が根治する。しかし、根治したあこやは「目が覚めても ただ昨日までの現実の続きが待っている 目の前に広がる あてどない膨大な時間に足がすくむ」と不安な気持ちを吐露する。あこやにとっては今よりも生き神だった期間の方が満たされと言う。ギンコは寄生されていた蟲の時間をあこやは生きていたのではないかと推測する。その蟲の生涯はおよそ1日。繰り返す生死の中で、「新しい日々」に息を吞むほど新鮮な体験だったと振り返る。あこやの奇病は、父が故意に蟲を寄生させたために発症した。父はあこやを蟲に寄生させ、虚像生き神信仰で不当に利益を得ていたのだ。そのことを知っていたあこやは、普通に生きることへの絶望を拭えなかった。あこやは結局、自らまた蟲に寄生される人生を選ぶのだった。

しげの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「もしも 皆の病が治って 声も出せるようになったら テツさんにお礼が言える 自分の声で 言えるんだ」

他の人と同じように接してくれるテツに直接礼を言えるかもしれないと希望を抱くしげ。

謎の奇病に侵された村に住むしげは、奇病の原因ではないかと村中から疎まれていた。ギンコが村を訪れ、調査したところ、しげの声はたまたま野錆(やさび)という蟲を寄せ付けやすい性質だということが判明する。直接の原因では無いが、しげの声に引き寄せられた蟲により奇病が蔓延していた。幼い頃、自分の声が病気の原因であると気付いたしげはそれから10年、1度も声を発してこなかった。文字を書けないしげは、文字で村人たちと会話する事も出来ない。唯一の手段は声だけだったが、村人からの言いつけを守るために一言も釈明をせずに口を閉ざしてきたのだ。ギンコによると「村に蔓延している野錆は追い払うことが出来る」と言う。そうすれば、しげは再び声を発することが出来る。疎まれ者の自分にも優しく接してくれるテツに「もしも皆の病が治って声も出せるようになったらテツさんにお礼が言える。自分の声で言えるんだ」としげは希望を抱く。

祭主の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「皆……知らぬから耐えていられるのだ 本当の……豊穣というものを……」

とある貧しい村で祭主をする男がいた。その村は、田畑が非常に貧しく毎年村人が何とか食べていけるだけの収穫しか得られない。自然災害が起これば、たちまち飢餓に苦しむほど備蓄が無い村だった。数年に一度、災害が起きると祭主はナラズの実を使い、田畑に豊穣をもたらしていた。その実の力は、村人の誰か1人を犠牲の上に発揮される。村を訪れたギンコは祭主に詰め寄る。田を焼いて、1年別のところに暮らせば、土は肥えるのに、何故犠牲を出してまでこの村に留まり続けるのか。祭主は「皆……知らぬから耐えていられるのだ 本当の……豊穣というものを……」と力なく答える。ひとたび村を離れれば、外の世界の素晴らしさや、本当の豊穣を知ってしまえば村人たちはこの村には戻って来なくなるだろう。祭主は長い間、ナラズの実を頼るしかないと考えていたのだった。

祭主の妻の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「辛くとも食べて?私の命をあんたが食べてくれるなら なんだか死ぬのも怖くない」

祭主の妻は、自身を犠牲に村に豊穣をもたらす。

「ナラズの実」という蟲を探してある村にたどり着いたギンコ。そこは田畑がやせ細り、何とか村人たちの食糧を確保し生活が成り立っていた。ギンコは、その村で祭主を務める男の元を訪ねる。祭主は、当初ナラズの実の存在を否定したのだが、ギンコの追及により「ナラズの実は、祭主が代々、村が不作に陥った時に使用してきた」と吐露する。ナラズの実は、土に埋めれば1年豊穣をもたらすのだが、そこに実った食糧を口にすると、体の弱いものは命を落とすというものだった。ナラズの実によって命を落とすものには「瑞歯」が口の中に生え、その「瑞歯」が抜け落ちて「ナラズの実」となるのだ。この村は天災の度に、ひっそりと祭主により「ナラズの実」が使われてきたと言う。20年前の天災の時にも祭主はナラズの実を使っていた。「誰か1人が犠牲になれば村は助かる」そう思い祭主は「ナラズの実」を植えたのだが、妻が体を壊していることに気付かなかった。妻に「瑞歯」が生えてきたことで、事の重大さを自覚した祭主。罪悪感から食事を拒み続けてきたが、妻は「辛くとも食べて?私の命をあんたが食べてくれるなら なんだか死ぬのも怖くない」と言う。そうして妻の命と引き換えに、祭主は村と自分の命を守ることとなった。

ハナの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「……やっぱりだめだよ……こんなふうに私たちだけ 幸せなんかなれないよ」

自分の幸せのために家族を犠牲に出来ないと言うハナ。

ある村で暮らすハナとゼンは恋仲にあった。しかしハナは本家から縁談があり、許されない恋だった。ゼンはハナを説得して2人で駆け落ちしようと言う。深夜、2人で村を抜けようと森の中を進んでいく。しかしハナは立ち止まってしまう。「……やっぱりだめだよ……こんなふうに私たちだけ幸せなんかなれないよ」とハナは言う。自分たちが村を出て行けば、自分の家族が村八分にあう。自分の幸せのために家族を犠牲には出来ないと言う。そんなハナをゼンは何とか説得しようとするのだが、橋の床板が抜け落ちハナは橋から落下してしまう。死んだと思われたハナだったが、ハナは生きて村へ戻って来た。しかし心が抜け落ちたように呆けており、それはもう以前までのハナではないものになっていたのだ。

しのの名言・名セリフ/名シーン・名場面

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