蟲師の名言・名セリフ/名シーン・名場面まとめ

『蟲師』とは、漆原友紀による漫画作品およびそれを原作としたアニメ、実写映画、ゲーム作品である。1999年から2008年まで『月刊アフタヌーンシーズン増刊号』にて連載。蟲師を生業としている主人公ギンコが、旅をしながら蟲とヒトを繋いでいく。時にヒトに寄り添い、時に蟲に寄り添い、ヒトがどうあるべきかを模索していく物語である。蟲に翻弄されるヒトの無力さや愚かさを生々しく描かれており、それでも逞しく生きていくヒトのしたたかさに読者は共感を覚える作品である。

「きっとまた力を蓄えて戻ってくる」

蟲師とワタリが集って、大地から光酒を抽出する儀式がある。その儀式は、光脈筋の変動を探知するのに長けているワタリの人間が中心となっておこなっている。ある日の儀式で、いつも使用している光脈が見つけにくくなっていることに気付くイサザ。そんなイサザにギンコは「光脈の寿命か?」と問う。イサザは「地中深くに潜るだけさ。きっとまた力を蓄えて戻ってくる」と答える。光脈筋は、生命の源とも言われ、光脈が近くにある土地は緑が豊かになり動物も、人間も豊かに暮らしている。しかし光脈は常に動き変化しているため、ワタリたちは光脈を追って常に移動して生活している。そのため、イサザもこの光脈から離れる時が来てしまったこと、しかしいつかまたここに戻って来れるということを暗に表現している。

兎澤綺(とざわあや)の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「ずっと一緒だったの」

双子の姉・緒を探し続ける綾。

養蚕農家に生まれた双子の緒(いと)と綾(あや)。2人は、兎澤家に稀に生まれる「ウロ守」の素質を持つ者だった。ウロとは、蚕の中に住み着く蟲である。2つの糸から作られた玉繭をほどき、それぞれ1つの繭を作る。するとウロはその2つの繭を行き来するようになるので、蟲師たちはこの繭を使って文の交換をするのである。ウロ守は、このウロが入った繭を作り、管理する役目があるのだ。ウロは、密室の中でしか生きられない。ウロと一緒に密室に閉じ込められると、無限に広がる虚穴(うろあな)に取り込まれてしまうという。10歳になると、緒と綾は山に住むじいさまと一緒に暮らし、ウロ守の仕事を教わり始める。じいさまは「ウロさんは現世に風穴開けてまわる恐ろしい蟲なんだ……。この辺りはウロさんがわきやすい土地でな。密室をみつけてはわいて出る。だから部屋の戸は閉じちゃならん」と緒と綾に言い聞かせる。じいさまの言いつけを守り、山での生活に慣れてきた頃である。風で飛ばされた洗濯物が軒先でうたた寝をしていた緒の身体に覆いかぶさる。綾が緒から洗濯物を避けるために持ち上げた瞬間、緒は「開けちゃだめ」と言うが、緒は消えてしまう。緒の身体をすっぽりと隠した洗濯物が意図せず密室を作り上げていたのだ。自分が干した洗濯物がちゃんと留まっていなかったせいで、緒は虚穴に取り込まれてしまったと責め続ける綾。それから5年、綾は果てしなく広がり続ける虚穴に文を入れ続けていた。虚穴を彷徨う緒がいつかその文に巡り会い、虚穴を抜け出せるのではないかと、途方もない作業を続けているのである。ギンコはそんな綾に「もう諦めろ」と諭す。しかし綾は「ずっと一緒だったの。緒ちゃんが側からいなくなるなんて考えた事なかった」と、諦めきれない心情を吐露する。

ぬいの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「ただそれぞれが存在し あるようにあるだけ」

蟲に怯えるギンコを諭すぬい。

幼少期のギンコは、母親と共に物売りをして旅をしながら生活していた。しかし旅の途中、土砂崩れに巻き込まれ母親を失う。ギンコも怪我を負い、森の中に暮らす女性・ぬいに保護される。ギンコは産まれた時から蟲を見ることが出来たのだが、周囲の人間には理解されず、それが幻か何かだと言い聞かせられてきた。しかしぬいと出会い、自分が見てきたものは確かに存在すると知る。蟲は時に、人に影響を及ぼすもの。そんな蟲に対してギンコは「どうして恐ろしい蟲を生かしておくのか」と問う。ぬいは「ただそれぞれが存在し あるようにあるだけ」と答える。ヒトも動植物も蟲も、それぞれがただ存在するだけで、己の都合で干渉や排除をしてはならない。のちにギンコはぬいとの出会いや経験の記憶を喪失するのだが、ギンコの中に潜在的に刻み込まれたぬいの考えは、蟲師として礎となっている。

「お前の目玉がこちらを見ると まるで陽のあたるように温かだ あの仄暗い池の傍らで それがどんなに懐かしかったか…」

ギンコ(下)にトコヤミから逃げるよう諭すぬい(上)。

ただの闇としか言いようのない蟲。それが「トコヤミ」である。ヒトはトコヤミのそばに長く居続けるとトコヤミに喰われ、自分自身が闇となる。ぬいは自分の夫や子供がトコヤミに喰われ、いずれ自身もトコヤミに喰われることを願いながら、トコヤミのそばで孤独に暮らしてきた。しかし、少年のギンコと出会い、次第に愛着が湧いてくる。トコヤミがぬいを喰いつくそうとする中、天涯孤独なギンコもぬいのあとを追おうとする。そんなギンコにぬいは「お前の目玉がこちらを見ると まるで陽のあたるように温かだ あの仄暗い池の傍らで それがどんなに懐かしかったか…」と言い、生き延びるよう諭す。

クマドの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「それが……なくなっても おれは……生きてるの?」

たましいが抜けてしまったクマド。

代々蟲師を生業としている薬袋家に生まれたクマドだが、彼には蟲を見る能力がなかった。そのため親族からは疎ましく思われている。クマドは蟲が見えるようになるため、親族の老人に、ある洞穴に連れていかれる。日の光も届かない真っ暗なそこは「棘(おどろ)の道」という。棘の道は、地から湧き出る蟲の通り道だ。どれくらいの時間を洞穴で過ごしていたか分からなくなった頃、老人は「もうじきお前を律するものが消えてなくなる。何と呼べばよいものだろうな。たましいと呼ぶのが近いやもしれん」と言う。クマドは「それが……なくなってもおれは……生きてるの?」と問う。老人は静かに「ちゃんと代わりのモノを入れてあげるよ……」と言うのだった。やがで抜け殻のようになったクマドに、老人は涙ながらに得体の知れない煙を吸わせる。それは光酒(こうき)から作られた人工の蟲である。クマドはたましいを失い、人工の蟲により生かされる運命を背負うこととなる。

スイの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「瞼の裏にね、もうひとつの瞼があるの」

奇病に侵されたスイは光を避けるため、目隠しをしている。

少女・スイはある日、光が目に当たると、目が痛む奇病を患う。どこの眼医に診せても、原因はわからず手の施しようが無かった。そんなスイは、光を遮る丈夫な蔵のあるビキの家に預けられることとなった。ビキとスイは、真っ暗な蔵の中で遊ぶようになる。黒い目隠しをしたスイはビキに語りかける。「瞼の裏にねもうひとつ瞼があるの」。スイは「ふたつめの瞼を閉じると外の光が届かなくなり、そこに蟲が居る」と言う。スイの目の痛みは蟲の寄生によるものだった。本人も蟲がどういった類の存在なのか、おぼろげに理解をしている。ふたつめの瞼を閉じ、暗闇を見つめていると眼前に光る河が浮かび上がる。その光は無数の蟲たちの群れである。同じくふたつめの瞼を閉じることができるギンコは、闇を通じてスイに警告をする。しかし、光る河に魅せられたスイは日に日に暗闇に閉じこもる時間が増していくのだった。

いおの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「私 この沼の一部になるの」

蟲に取り込まれることを覚悟するいお。

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