Paul Weller(ポール・ウェラー)の徹底解説まとめ
Paul Weller(ポール・ウェラー)とは、イギリス・ロック界のビッグネームである。パンクブームを追い風に1977年、ザ・ジャムのフロントマンとしてデビュー。その後、80年代にはザ・スタイル・カウンシルを結成し、渋谷系と言われる日本のアーティスト達にも大きな影響を与えた。90年代にソロに転向。音楽的多様性を活かしたサウンド作りと、反骨精神あふれる歌詞を特徴とし、常に労働者階級のヒーローであり続けている。オアシスのメンバーを筆頭に多くのミュージシャン達が憧れる。UKロック界のカリスマである。
Paul Weller(ポール・ウェラー)の名言・発言
ポール・ウェラー「自分のことをイギリス人だとはもう思ってない。僕らはヨーロッパ人だと思ってるんだ」
よくポール・ウェラーは最高のタイミングでザ・ジャムを解散したと言われる。1982年末、グループが解散したとき、アルバム『The Gift』とシングル「Beat Surrender」の両方がそれぞれイギリスのチャートで1位を獲得し、まさに頂点に立っていた。しかし実際にはこの頃のポールはギター・ロックから離れたがっていた。ザ・ジャム、そして過去の自分という幻影に苦しんでいた。精神的に大きな負担となっていたバンド活動から解放されたポール・ウェラーは、これからの音楽活動に対して非常に前向きになっていた。そして新たなプロジェクト、ザ・スタイル・カウンシルをスタートさせた。
1983年、デビューシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」は全英4位、35万枚を売り上げ、スタイル・カウンシルは上々なスタートを切ったが、ザ・ジャムのファンにはギター・ロックとの決別のようにも映った。ギター・ロック、イギリス人というアイデンティティ、そして過去の自分の作品との決別、それこそがまさにスタイル・カウンシルだった。「自分のことをイギリス人だとはもう思ってない。僕らはヨーロッパ人だと思ってるんだ」とポールは語った。デビューアルバム『カフェ・ブリュ』はまるでフランス映画のワンシーンでも観ているようなアバンギャルドで洗練された作品となった。
ポールは2018年にレコード・コレクター誌で「ザ・スタイル・カウンシルはどんなものにも縛られていなかった。そんなアプローチを取るにはまたとない時期だったし、またとない年齢だったんだろうね」と語っている。
そして1985年6月8日、ポールが27歳の誕生日を迎えてから2週間後にリリースされた2ndアルバム、『アワ・フェイヴァリット・ショップ』でポールの音楽的アプローチは結実する。ポールはファンクラブの会報で、「自分の作品についてこんなに自信を持てたのは、これが初めてなんだ。僕にとってはすべてが思いどおりに運んでいる。もうこんな作品は作れないとは言わないけど、これを超えるのは大変だろうね」と、このアルバムがいかに大切かについて語っている。
ジャム、スタイル・カウンシル、ソロ。40年以上にも及ぶポール・ウェラーの音楽キャリアの中で、昔からのポールのファンにとってはスタイル・カウンシルだけが異質に映る。ジャム時代もソロ時代も、ギターロックという線で繋がっているが、唯一スタイル・カウンシルの時代だけ、その線は途切れる。しかしモッズにフレンチシックなムードを添え、お洒落でポップなサウンドに変化した彼らのスタイルは、当時の日本のサブカルチャーにも音楽とファッションの両面から多大な影響を与えた。ポール・ウェラーファンの間では少数派かもしれないが、スタイル・カウンシルこそがポール・ウェラーにとっての最高傑作とするファンは一定数いる。一部の忠実なポール・ウェラーファンを除けば、幅広くファン層が広まったのは紛れもなくスタイル・カウンシルであった。
ザ・スタイル・カウンシルはなんだったのか、それを定義するのは難しい。ポール・ウェラー自身もライブでスタイル・カウンシルの曲を積極的に演奏することはない。しかし同時のポールの言葉を手繰っていくと、ポールがいかに音楽的にも精神的にも何にも囚われずに自由に自分を表現していたかがわかる。当時のポールにとってザ・スタイル・カウンシルこそが最高の状態だったわけである。
Paul Weller(ポール・ウェラー)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
セックスピストルズのシド・ヴィシャスを殴る
1977年にデビューした「ザ・ジャム」はイギリスで吹き荒れたパンクムーブメントに乗り、後の5大パンクバンドの一つとしてカウントされた。因みに5大パンクバンドとはファンによって諸説あるが、概ね「セックスピストルズ」「クラッシュ」「ダムド」「ザ・ジャム」「ストラングラーズ」を指す事が多い。中でもジャムはセックスピストルズのライブから影響を受けている。ポール・ウェラーは当時のピストルズについて「連中はすごいことをやったよ。ものすごい変化を音楽にもたらしたんだ。年寄りミュージシャンをびびらせるっていう、なかなかいいこともやってくれたしね」と評している。
「100パーセントオリジナルなアーティストなんて挙げられるかい?完全にオリジナルなバンドというと、俺にはたった1つしか思い浮かばない。それがピストルズさ。でも俺たちには「イン・ザ・シティー」という曲があるんだが、ピストルズの「ホリデーズ・イン・ザ・サン」のリフは完全に「イン・ザ ・シティー」を使っている。だから、ほらね。誰だって結局盗みを働くのさ。何もかも同じことの繰り返しだよ」
セックスピストルズの作曲と作詞のメインはベーシストのグレン・マトロックが担当していたが、彼は「ホリデーズ・イン・ザ・サン」のレコーディング直前に脱退、後任にシド・ヴィシャスが加入した。「ホリデーズ・イン・ザ・サン」のメイン・コンポーザーはおそらくスティーヴ・ジョーンズだろうと言われているが、グレン・マトロックは「確かに「イン・ザ・シティ」に似てる」と言う。
「ポール・ウェラーは俺のダチなんだけど、彼はある日ロックスターたちの夜遊びの場だったSpeakeasy Clubっていう酒場でシドと鉢合わせた。シドがジャムの曲をパクってやったって堂々と口にしたもんだから、ポールはビール瓶でぶん殴ったんだ。でも俺はポールの味方だよ」
これに対しポールは、2002年8月のロッキングオンのインタビューで、「ああ本当だよ。嘘だって言いたいとこだけど、事実だ。だって俺はさ、ラガーとパブと喧嘩のカルチャーに育てられたんだ。俺だけが違うんじゃなくて、まわりみんながそうだったんだよ。」と述べており、また別のインタビューでは「その話自体はまるっきり嘘ってわけじゃない。でも先に手を出したのは向こうだよ」とも述べている。ポール・ウェラーは1950年代からのイギリス労働者の伝統である「怒れる若者」をまさに体現している。
ポール・ウェラーの子供は合計8人
ポール・ウェラーは1987年、当時ザ・スタイル・カウンシルのバックボーカリストだった黒人女性Dee C. Leeと電撃結婚をし、2人の子供を授かった。長女であり下の子のリアはポールと同じくミュージシャンとして活躍しており、2021年に日本人のTomo Kurataと結婚している。Tomo Kurataは2010年11月NYでスカウトされ、その後カルバンクラインの広告にも登場するなど国際派メンズモデルとして活躍している。
そして第一子である長男のナット・ウェラーも2014年6月にエイベックスから日本デビューしている。ポールとDCの息子というまさに音楽一家に生まれ育ったナット・ウェラーは、イギリスでDJやモデルとして活動するかたわら、10代の頃に父親のツアーで日本を訪れた際、日本の音楽、文化、ビジュアルに大きな影響を受けた。
「いつの日かJ-POPやJ-ROCKを世界に伝えられる邦楽アーティストになりたい」と思うようになり、その後、ロンドンで日本語学校に通ったりプライベートレッスンを受けたりして日本語を勉強、仕事やプライベートでの来日回数はなんと50回を超える程の日本通になる。ナット曰く日本の音楽は「メロディラインが美しいのにサウンドはヘビーロックやEDMなど、独自のスタイルが印象的」と語っており、好きな作品としてはGACKTの「MARS」を挙げている。
父親のポール・ウェラーについても「父親であり、いつもサポートしてくれて僕を信じてくれてる。父のサポートが無かったら、何も出来なかったし、日本にも来れなかったと思う。とても尊敬している。」とコメントしており、ポールもポールも「日本でライブする時には駆けつけるよ」と応援している。
そんなポール・ウェラーだが、ナット、リアを含め8人の子供達がいるとされる。最初の妻、Dee C. Leeとの間にナットとリアの2人。その後、2人のガールフレンドの間に3人の子供がおり、2人目の奥さん、ハンナ・アンドリューとの間に3人と、合計8人の子供達がいる。ハンナとポールはアルバム『22 Dreams』のレコーディングとツアーで出会い、2010年に結婚している。歳の差27歳である。二人の間にはジョン・ポールとボウイと名付けられた双子の息子がおり、2017年には娘のノヴァが誕生している。
そして2021年8月31日、ポール・ウェラーの長女、リア・ウェラー・クラタが第一子を出産した。ポール・ウェラーにとって初孫である。ポールは「おむつ替え? ノー・プロブレムだ。十分なほど経験している」と話している。
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目次 - Contents
- Paul Weller(ポール・ウェラー)の概要
- Paul Weller(ポール・ウェラー)の活動履歴
- 1977年 The Jam 結成
- モッズ・スタイルとは
- ザ・ジャム時代 (1977年ー1982年)
- ザ・スタイル・カウンシル時代(1982年ー1990年)
- ソロとして(1990年ー1995年)
- 1997年ー2006年
- 2008年ー2012年
- 2015年以降
- Paul Weller(ポール・ウェラー)のプロフィール・人物像
- Paul Weller(ポール・ウェラー)のディスコグラフィー
- アルバム
- Paul Weller
- Wild Wood
- Stanley Road
- Heavy Soul
- Heliocentric
- Illumination
- Studio 150
- As Is Now
- 22 Dreams
- Wake Up the Nation
- Sonik Kicks
- Saturns Pattern
- A Kind Revolution
- True Meanings
- On Sunset
- Fat Pop
- ライブ・アルバム
- Live Wood
- Days of Speed
- Catch-Flame!
- Other Aspects, Live at the Royal Festival Hall
- An Orchestrated Songbook
- コンピレーション・アルバム
- Modern Classics - The Greatest Hits
- Hit Parade - The Complete Single Collection
- Free Soul. The Classic Of Paul Weller
- Paul Weller(ポール・ウェラー)の代表曲
- In The City
- The Eton Rifles
- Going Underground
- The Town Called Malice
- Speak Like A Child
- You're The Best Thing
- My Ever Changing Moods
- Shout To The Top
- Walls Come Tumbling Down !
- Paul Weller(ポール・ウェラー)のミュージックビデオ(MV/PV)
- Sunflows
- Wild Wood
- The Changingman
- Paul Weller(ポール・ウェラー)の名言・発言
- ポール・ウェラー「自分のことをイギリス人だとはもう思ってない。僕らはヨーロッパ人だと思ってるんだ」
- Paul Weller(ポール・ウェラー)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- セックスピストルズのシド・ヴィシャスを殴る
- ポール・ウェラーの子供は合計8人