[来日直前!!] ポール・ウェラーについて
2015年10月に3年ぶりに来日するポール・ウェラー。
ザ・ジャム (The Jam)、スタイル・カウンシル (The Style Council)といったバンドでフロントマンを務め、数々の名曲を生み出した功績をご紹介します。
ポール・ウェラーの多方面に渡る音楽遍歴
ポール・ウェラーのミュージシャンとしての遍歴は、実に多方面に及びます。ザ・ジャムのフロントマンとして、1977年にデビュー。当時、流行していたパンク、ニュー・ウェイヴの人気を博し、60年代初頭の「モッズ」ムーブメントへの影響を一貫して追求する姿勢に「モッド・ファーザー」の呼び名が飛び交う程、当時の若者のシンボル的存在となります。ザ・ジャムでの華々しい活躍の傍ら、彼の音楽的志向は徐々にR&Bやファンクをはじめとする黒人音楽に傾倒します。その転換期となったのが、ザ・ジャムの解散と、ザ・スタイル・カウンシルの結成です。より「黒さ」を求めたウェラーは、ザ・スタイル・カウンシルを結成し、ソウルやR&Bからの影響が濃いブラック・コンテンポラリーサウンドへのシフトを見せました。しかし、多様性を求めた結果、ザ・スタイル・カウンシルは迷走を始め、結果的に短命に終わりました。その後、ウェラーはソロアーティストとして活動を始めます。一時期はウェラーの時代は終わったかのような印象が持たれるまでになりましたが、時を同じくして、オアシス、ブラーといった、のちのブリットポップムーブメントの主役となるバンド達がウェラーへのリスペスト姿勢を示し、その流れに乗り、ウェラーの人気は復活を果たします。以後、精力的に音楽活動を行い、UKロック界においても一目置かれる存在感発しています。最近でも元オアシスのノエル・ギャラガーやブラーのデーモン・アルバーンとセッションを行うなどし、UKシーンにおいて現役で活動する大御所アーティストとしての地位を築いている。このようにウェラーの音楽における遍歴は非常に多岐に渡っており、その意味でも絶大なインパクトを放っている。