風と木の詩(アニメ・漫画)のネタバレ解説・考察まとめ

『風と木の詩』とは、1976年から82年まで『週刊少女コミック』『プチフラワー』にて連載された竹宮惠子による日本の漫画作品。
BL界のバイブル的存在として、知識人たちからも高い評価を得ている。
舞台は19世紀末のフランス。 自由奔放なジルベールと誠実で純粋なセルジュ、二人の少年を中心として繰り広げられるはかなくも激しい青春物語である。

ぼくを満たしてくれるものは あのあつい肌と肌のふれあい ときめく心臓 愛撫さながらの呼吸(いき) (コミックス一巻)

物語の冒頭に書かれたポエム。
この文面だけでも当時の少女漫画には存在しなかったエロティシズムにあふれ、これから何が始まるのか興味をひかれる。
このページの次には、ジルベールと上級生の性行為が描かれている。
本来なら二人は何も隠さず裸体で絡み合っている場面だったが編集部から許可が下りなかったため、性器のある部分はシーツで隠された。 それでも衝撃的な場面である。

ぼくを否定する人間たち、たとえそれがぼくを正しい道とやらに導こうとするものでも…ぼくは許さない。 ぼくが何者かも知ろうともせず、そんな汚(きたな)らしい思いで近寄ろうとするものならなおさら この体の中へ引きこんでやる!!(コミックス一巻)

ジルベールの素行を注意しようとしたカールをからかった後のセリフ。
ジルベールにとっての「正しい道」とは、肌と肌を重ねることでしか得られない「ぬくもり」だけである。
上っ面だけの言葉にジルベールは動かされない。
ジルベールに近づくのは上っ面だけで注意する者か、肌を重ねるぬくもりを欲するものだけだった。
そのどちらでもない人間にしかジルベールは心を開かないのだ。

憎しみで人が殺せたら! (コミックス二巻)

クリスマス休暇のたびにジルベールはオーギュからの手紙を待ち、「今年もそちらへは行けない」という同じ返事をもらっては絶望し、そして諦観する。 ラコンブラード学院に入って以来の習慣だった。
オーギュに対する愛と憎悪が、この一言に凝縮されている。

わたしだって何も知らなかった!!(コミックス三巻)

オーギュの言うことを聞かなくなったジルベールがボナールと接近していたことを知り「痛い目にあい事の重大さを知るといい」とオーギュは突き放す。 コクトー家の爺やがそれに反論したときのセリフ。
ジルベールを支配し続けるオーギュだが、彼自身もコクトー家に引き取られるまでは普通の少年だった。 彼を引き取りに来たのはその爺やだった。 爺やはオーギュがペールに犯されるための道具だと承知しており、オーギュが成人してからも後ろめたさのためか一定の距離を置いて接しているが、それでもオーギュは彼を解雇することはなかった。 オーギュは一度、爺やにジルベールを引き取ってみろと言ってみるが、爺やは自分は使用人ですから、と断った。 そんな爺やでもオーギュにとっては唯一すがれる存在だったのだ。

子ども! またしても子どもだ! なんのために生まれてくる…(コミックス四巻)

オーギュとジルベールの存在が邪魔になったペールに対し、ジルベールの素性をばらすと脅迫するオーギュ。
自分でジルベールを道具扱いしているくせに、戸籍上の父ペールと実の父オーギュとの間で道具として扱われるジルベールを憐れむという、複雑で身勝手な心情がにじみ出ている。

そうだ きっと 初夏には花が咲いて…この草原の中から顔を出す。 そしてまた秋に実が。 くりかえしくりかえしーそう きっと草の中にたくさんの実があって…きっとー!(コミックス四巻)

自分はもうすぐ死ぬんだと意識し始め、自棄になるアスラン。 しかし、静養先のチロルで見た自然の姿に感動する。
季節は巡り、花は咲き、散り、そしてまた咲く。 木々は実をつけ枯れていくがその実は種を生み、その種から木の芽が生え、再び木となる。 世界は、生命は、悠久の時の中で同じ営みを繰り返してきたのだと知った。

今の自分はいなくなるかもしれない。 だが、いつかきっと自分の遺志を継ぐものがまた生まれてくる。
いつかきっと自分自身も、姿を変えてこの世に再び生まれてくるかもしれない。

その後、静養先から戻ったアスランは日記を書こうと決めた。
今の人生はただ一度きり。
それを残しておくために。
自分の生命を継ぐ誰かに見せるために。
この時のアスランは、自分の誕生日と同じ日に生まれる少女(アンジェリン)のことも、自分に息子(セルジュ)ができることも知らない。

おまえさまはだれのものです?(コミックス五巻)

アスランがパイヴァとの関係を周囲に認めてもらえなくて、やけ酒を飲んでいた酒場のマスターのセリフ。 カッとなったときは左手を右手に添えて、このセリフを心の中で唱えると落ち着くらしい。 アスランは考えた。 自分はパイヴァの物だとはっきりわかった。 彼の助言でアスランはパイヴァとの駆け落ちを決意する。
このセリフは、同じ竹宮作品「地球へ…」のテレビアニメ版にも出てくる。

なにもおかしくなどない。 だれもが無垢の意味を知らないだけだ…そうして彼のせいで他人が己を省みてあぜんとすればそれでよい。 そのためにならわたしはなんだってする!(コミックス六巻)

オーギュとロスマリネがジルベールについて話しているとき、ジルベールの無垢さを守りたいといったオーギュをロスマリネが笑った時のオーギュのセリフ。 常人にとっての「無垢」とは、常人にとって都合のいい無垢でしかないと弾劾しているのだ。
オーギュにとっての無垢とは、人間の考えた一般常識の介在しない、万物の法則を丸ごと具現化した状態なのである。 そのような考えが常人に通用するはずがないことをオーギュはどこまで理解していたかは不明である。

きみと…あの男とが死ねば忘れられる(コミックス六巻)

オーギュにレイプされた記憶に苦しむロスマリネを見かねたジュールが、あのことは忘れたほうがいい、と言った時の答え。
誇り高いロスマリネの苦しむ姿を、ジュールはどんな思いで見ていたのか。

ジルベール きれいだよ(コミックス十巻)

遺体となって帰ってきたジルベールに死に化粧を施すセルジュのセリフ。

もうジルベールを傷つけるものも、犯すものも、触れるものも、誰もいない。
もうジルベールは口汚いせりふを吐かないし、具合が悪くて嘔吐もしないし、性行為にあえぐこともない、まっさらな存在であった。
化粧をするセルジュの指先はジルベールの肉体に触れているが、ジルベールの魂はセルジュから離れ、二度と戻ってこない。
この時のセルジュは、ジルベールを二度と手にできないと思っていた。
「あんたなんか、うまれてこなければよかった」
というアンヌマリーのセリフは正解だったのかもしれない。
この世に生まれなければ、ジルベールはこのような目に合わずに済んだのだから。

風と木の詩を象徴するポエム

ジルベール・コクトー わが人生に咲き誇りし最大の花よ
遠き青春の夢の中 紅(あか)あかと燃えさかる紅蓮の炎よ…

きみは わがこずえを鳴らす 風であった

風と木ぎの声が 聞こえるか
青春のざわめきがー

思いだすものも あるだろう
自らの青春の ありし日をー

セルジュがジルベールと出会ってから初めてその美貌と異常な言動とのギャップを見たときと、物語のラストに記載されたポエム。 ジルベールのことを知らなかった時と、肉体と精神が結ばれてから脱走をした時の認識度が同じだという証明となる。 セルジュはジルベールのことを本当に理解して受け入れていなかったため、二人の関係は破局したのだ。
ジルベールが死んでからセルジュの人生はジルベールを意識したものになっているように見えるが、セルジュの考えるジルベール像が本物とどれだけ近いか定かではない。
ジルベールの実の親であるオーギュは詩人であるのに、作中では彼自身が詩を書いたり詠んだりする描写は一度もない。 オーギュがこの詩を作り、セルジュはこの詩と同調した心情を実際に吐露したのかもしれないが、それを証明する描写は作中にはない。

『風と木の詩』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

安彦良和(機動戦士ガンダムのキャラクターデザイン&作画監督)が監督として参加

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