はっぴいえんど(HAPPY END)の徹底解説まとめ
はっぴいえんどは1969年から1972年まで活動し、3枚のアルバムを残した日本のフォーク・ロックバンドである。バンドの先進的なサウンドと日本語歌詞によって歌われる、いわゆる"日本語ロック"は後進のバンドに大きな影響を与えており、日本のロックミュージックに大きな影響を与えたバンドとして考えられている。
はっぴいえんどの概要
1969年10月、細野晴臣と松本隆がサイケデリックバンド、エイプリル・フールというバンドを解散した後、細野が大瀧詠一を誘い、すぐさま新たにヴァレンタイン・ブルーというグループを結成した。1970年3月、細野と松本、そして鈴木茂が遠藤賢司のアルバム「niyago」に参加した。細野、松本、大瀧、鈴木の4人組になった彼らはバンド名をはっぴいえんどに改め、岡林信康のバックバンドを務めるようになり、彼のアルバム「見るまえに跳べ」にも参加した。そして、1970年4月、はっぴいえんどのファーストアルバムをレコーディングし始めた。
セルフタイトルのデビューアルバム「はっぴいえんど」は実験的な音楽レーベルであったURCから1970年8月にリリースされた。このアルバムは当時"日本語ロック論争"というものを引き起こしていた日本の音楽の歴史におけるターニングポイント的な作品となった。これまでにはっぴいえんどのメンバーと内田裕也などの著名人などの間で繰り広げられていた、日本語はロックにマッチするかどうかという議論が繰り広げられていた。実際、それまでの日本におけるロックのほとんどは英語で歌われていた。はっぴいえんどのデビューアルバムと数年後にリリースされたセカンドアルバムの「風街ろまん」が成功したことによって、ロックが日本語で歌われることに違和感がないことを証明した。
1972年にバンドはロサンゼルスにてヴァン・ダイク・パークスのプロデュースのもとサードアルバム「Happy End」を制作するため、キングレコードと契約を結んだ。細野はヴァン・ダイク・パークスとの制作を生産的だったと語ったが、アルバムに向けてのセッションはあまり良いものではなく、彼らがアメリカに対して抱いていた幻想が徐々に失われていってしまっていた。それに加えて、ロサンゼルスのスタジオスタッフとバンドメンバーの言語の壁がだんだんとメンバーを苛立たせた。これらの経験がサードアルバムの「Happy End」の最終トラック「さよならアメリカ さよならニッポン」に表されている。松本は「日本に対して既に諦めの気持ちがあり、同時にアメリカにもサヨナラを言った。僕たちに行くあてが無くなった。」と説明している。バンドは1972年12月に解散した。このサードアルバムは解散後の1973年2月にリリースされた。解散した後の1973年9月21日に「CITY -Last Time Around」と題された解散ライブを開き、翌年その模様が収録されたライブアルバムがリリースされた。
はっぴいえんどのメンバー
細野晴臣
出典: rbma.imgix.net
東京都生まれの音楽家で1960年代末から音楽活動をする日本を代表するベーシストでもある。
立教大学在学中にベースを弾き始め、数多くのバンドを経た後、1969年にエイプリル・フールというバンドでメジャーデビューし、その後、はっぴいえんどを結成しベースとボーカルを担当した。
はっぴいえんど解散後もソロ活動やティン・パン・アレーやイエロー・マジック・オーケストラなどでの活動で日本の音楽に影響を与え続けている。プロデューサーとしても名が通っており、松田聖子や中森明菜など数多くの有名アーティストを手がけている。
大瀧詠一
出典: 100newmusic.com
1948年7月岩手県生まれのミュージシャン。
小学校五年生の時に聞いたコニー・フランシスの曲に衝撃を受け、アメリカンポップスに傾倒することになる。
1968年、早稲田大学在学中に友人を介して、細野晴臣と出会い、意気投合したことがはっぴいえんど結成につながった。
はっぴいえんどではボーカルとギターを担当した。
はっぴえんど解散後はナイアガラサウンドと言われる、フィル・スペクターに影響を受けた分厚く迫力のある音色でソロ作品である「A LONG VACATION」、「EACH TIME」などの名盤を残している。
鈴木茂
1951年東京都生まれのギタリスト、作曲家、編曲家である。
1961年に細野晴臣にはっぴいえんどに誘われ加入し、ギターを担当した。
はっぴいえんど解散後、細野らとバンド、キャラメルママを結成し、これが後にティン・パン・アレーに発展することとなる。
松本隆
出典: openers.jp
1949年東京都生まれのミュージシャン、作詞家である。
1968年に小坂忠らに細野晴臣とともに誘われ、エイプリル・フールというバンドを結成する。この時期に細野に勧められ作詞をやり始める。
エイプリル・フール解散後、細野、大瀧詠一、鈴木茂とともにはっぴいえんどを結成し、ドラムおよび作詞を担当した
はっぴいえんど在籍時は漫画家のつげ義春の世界観や現代詩に影響を受けた独特の作風であった。
はっぴいえんど解散後はミュージシャンとしての活動と並行し、多くの曲に歌詞を提供している。
オリジナルアルバム
はっぴいえんど
01 春よ来い
02 かくれんぼ
03 しんしんしん
04 飛べない空
05 敵タナトスを想起せよ!
06 あやか市の動物園
07 12月の雨の日
08 いらいら
09 朝
10 はっぴいえんど
11 続はっぴ-いいえ-んど
1970年8月5日にURCレコードよりリリースされたはっぴいえんどのファーストアルバム。
ジャケットに描かれた看板の文字から通称「ゆでめん」と呼ばれてている。
1971年に音楽誌「ニューミュージックマガジン」にて日本のロック賞を受賞したが、内田裕也がURCレコードのアーティストが優遇されていると反発したために、同誌上の「日本語ロック論争」へと発展した。
風街ろまん
01 抱きしめたい
02 空いろのくれよん
03 風をあつめて
04 暗闇坂むささび変化
05 はいからはくち
06 はいから・びゅーちふる
07 夏なんです
08 花いちもんめ
09 あしたてんきになあれ
10 颱風
11 春らんまん
12 愛餓を
1971年11月20日にリリースされたはっぴいえんどのセカンドアルバム。
1964年の東京オリンピック以前の古き良き東京のイメージをコンセプトにしたであろう作品であり、前作に比べ松本隆による詞も深みを増し、それぞれの曲の質も格段に向上している。
2007年9月、ローリングストーンジャパン誌は日本のロックアルバム500において、本作「風街ろまん」を1位に選んでいる。
本作からは「花いちもんめ / 夏なんです」、「あしたてんきになあれ」がシングルとしてリリースされている。
Happy End
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