The Smiths(ザ・スミス)の徹底解説まとめ
ザ・スミスは1982年にマンチェスターで結成されたイギリスのロックバンドである。モリッシーの紡ぐ暗くひねくれた歌詞とジョニーの職人的なギターサウンドによって、当時のイギリスの若者に熱狂的に支持される。今では1980年代のイギリスのインディーミュージックシーンにおいてもっとも偉大なバンドと評される。1987年の解散までに4枚のアルバムをリリースしている。
The Smiths 概要
結成
1978年8月31日、モリッシーはマンチェスターのアポロシアターで行われていたパティ・スミスのライブを見に行った際に、友人を介して当時14歳だったジョニー・マーと出会った。
1982年5月、いくつかのバンドに参加していたジョニー・マーは新しいバンドを組むことを決め、モリッシー宅を訪れた。モリッシーは当時、ライターとしてアメリカのパンクバンド、ニューヨーク・ドールズのファンクラブを立ち上げ会報を書いていた。読者でもあったジョニー・マーはモリッシー宅の玄関先で一緒にバンドを組む提案をした。2人はお互いに音楽の趣味も合うことがわかり、翌日モリッシーがジョニーに電話をかけ、バンドを組むことを了承した。
数日後、モリッシーとジョニーは初めて一緒にスタジオに入った。オリジナル曲や60年代のバンドのコピー曲など数曲をカセットレコーダーに録音した。オリジナル曲はモリッシーが歌詞を書き、ジョニーが曲をつけた。
1982年の夏の終わり頃にモリッシーがユニット名の"ザ・スミス"と名付けた。のちにインタビューで名付けた理由について、「スミスという名前は最もありふれた名前で、そんな世界中のありふれた人々が目立つべきだ、と考えたから」と語っている。
その後も何度かスタジオに入ったあと、オーディションを行い、数回のメンバーチェンジを経て、ドラマーにマイク・ジョイス、ベーシストとしてジョニーの旧知の知人であるアンディ・ルークが加入した。
1982年12月、EMIレコードに送るデモテープを作るためにスタジオに入り、「What Difference Does it Make?」、「Handsome Devil」、「Miserable Lie」の3曲をレコーディングしたが、EMIからは何の返事も得ることが出来なかった。
ラフ・トレードとの契約
EMIとの契約を果たせなかったバンドはデモテープを持ってロンドンを訪れ、インディーレーベルのラフ・トレードの創始者ジェフ・トラビスに会いに行った。契約には至らなかったが、ジェフはデモテープにあった曲「Hand in Glove」をシングル曲としてリリースすることを約束した。モリッシーはシングルのアートワークにジム・フレンチという写真家が撮影した同性愛的なイメージを醸し出す写真を使用するように主張した。このシングルは1983年5月にリリースされ、イギリスのシングルチャートには入らなかったがまずまずの売り上げを記録した。その後、有名ラジオ番組のプロデューサーであったジョン・ウォルターという人物が企画したライブに出演し、ジョンに高い評価を得た。ジョンはスミスに対して、「どんなバンドにも似ていない特別なサウンドで、彼らがどんな音楽を聴いてきたか想像がつかない。」と述べた。これが機会となり、スミスはラジオの音楽セッション番組に呼ばれ、バンドとして初めてインタビューを受け、ニュー・ミュージック・マガジン誌にも掲載された。
その後、ジェフに認められラフ・トレードとの契約に成功する。バンドはファーストアルバム制作のため東ロンドンにあるエレファント・スタジオに行った。アルバムのプロデュースはジョン・ポーターという人物が行った。
先行してリリースされたシングル「This Charming Man」、「What Difference Does It Make?」はイギリスのシングルチャートでそれぞれ、25位と12位を記録するなど、スミスは熱心なファンを生んで行った。
1stアルバム「The Smiths」
1984年、バンドはデビューアルバム「The Smiths」をリリースした。本作はイギリスアルバムチャートで2位を獲得した。収録された「Reel Around the Fountain」と「The Hand That Rocks the Cradle」の2曲は小児性愛を歌っているとタブロイド紙に非難された。
1984年5月にはザ・チューブという音楽番組に出演し、パフォーマンスを行った。
同年にアルバム未収録曲「Heaven Knows I'm Miserable Now」、「William, It Was Really Nothing」の2曲をリリースし、この曲のプロデューサーとエンジニアを務めたステファン・ストリーツとはその後もバンドとの関係を持つようになった。
その後、B面曲や初期にレコーディングした曲を集めたコンピレーションアルバム「Hatful of Hollow」をリリースし、1984年の活動を終えた。
2ndアルバム「Meat Is Murder」
1985年に入るとバンドはセカンドアルバム「Meat Is Murder」のレコーディングに入った。この作品は前作に比べより自己主張的で政治的なものであり、タイトルトラックが菜食至上主義を表していたり、共産主義について歌った曲が収録されていたりする。バンドのサウンドも変化に富み、ジョニーがロカビリー風のリフを弾いたり、アンディがファンクを想起させるフレーズを弾いたりしている。
本作「Meat Is Murder」はコンピレーション作品を除くとバンドにとって唯一イギリスチャートで1位を獲得した作品である。2003年にはローリング・ストーン誌が選ぶ最高の500枚で295枚目に選出されている。
モリッシーはこの頃のインタビューでは政治的な主張を繰り返していた。彼の主張の標的は当時のサッチャー政権からイギリスの君主制、チャリティーグループのバンド・エイドにまで及んだ。
本作からリリースされたシングルは「That Joke Isn't Funny Anymore」トップ50位入りも叶わなかったが、続いてリリースしたアルバム未収録シングル「Shakespeare's Sister」はシングルチャート26位を獲得した。
3rdアルバム「The Queen Is Dead」
1985年、バンドは次のスタジオアルバム「The Queen Is Dead」のレコーディングと並行して、アメリカとイギリスをまわる大規模なツアーを行っていた。「The Queen Is Dead」は1986年6月にリリースされ、イギリスのアルバムチャートで2位を記録した。ただ全てがうまくいっていたわけではなく、アルバムは実際、1985年11月に完成していたにも関わらず、ラフ・トレードとの揉め事によりリリースを7ヶ月あまり延期にさせられたり、ジョニーが過密なツアーやレコーディングスケジュールに辟易とし始めていた。そうしている間に、アンディがヘロイン使用のため、バンドを解雇されてしまった。
アンディの代わりに元アズテック・カメラのクレイグ・ガノンがベーシストとして加入した。しかし、アンディが2週間あまりでバンドに復帰した。クレイグはリズムギターにスイッチし、バンドに残った。5人組となったバンドはシングル「Panic」、「Ask」をリリースし、それぞれイギリスシングルチャートで11位、14位を獲得した。5人組でイギリスツアーも行ったが、1986年10月にクレイグはバンドを去っている。
4thアルバム「Strangeways, Here We Come」そして解散
1987年、シングル「Shoplifters of the World Unite」がリリースされ、イギリスのシングルチャートで12位を獲得した。この頃、2枚目のコンピレーションアルバム「The World Won't Listen」をリリースした。アルバムタイトルはモリッシーのバンドのメインストリームでの認知度の無さに対するフラストレーションを当てたものである。同年4月にはシングル「Sheila Take a Bow」をリリースし、バンド史上2作目のシングルトップ10にランクインした。「The World Won't Listen」を海外市場向けに編集した別のコンピーレーションアルバム「Louder Than Bombs」がアメリカでリリースされた。
リリース的な成功が続いていくにも関わらず、バンド内、主にモリッシーとジョニーの間の様々な緊張感はバンドを切り裂いていっていた。ニュー・ミュージック・マガジンがバンドの不和を報じると、同年6月にジョニーはバンドを去ってしまう。ジョニーはこのNMEの記事はモリッシーが他のミュージシャンと作業する自らを妬んで書かせた物だと考え込み、最終的にバンドからの脱退を決めたと言われている。
イギリスのインディーバンド、イースターハウスの元ギタリストであるアイバー・ペリーがジョニーの代役として加入し、レコーディングに臨んだが、完成することはなかった。アイバーは"誰もジョニー・マーの代役を望んでいない"という雰囲気がとても居心地が悪かったとのちに語っている。
そして4枚目のアルバム「Strangeways, Here We Come」をなんとか完成させ、解散に至る。
ジョニーが別のアーティストとコラボレートすることがモリッシーをイライラさせ、ジョニーはそのモリッシーの60年代ポップミュージックへの傾倒や音楽的柔軟性のなさにイライラしていた。これらが重なり合いお互いの中に亀裂が入ってしまった。
「Strangeways, Here We Come」はイギリスのチャートで最高2位を記録した。アメリカビルボードチャートでは55位にランクインするなど、バンド全作品のなかでアメリカで一番アルバムとなった。批評家からはあまりいい評価を得なかったが、モリッシーとジョニーは今作をファイヴァリットとして挙げている。
ザ・スミス以降のキャリア
バンド解散後、モリッシーはソロでの活動を始めた。そして1988年5月に「Viva Hate」をリリースした。「Viva Hate」をイギリスで1位を獲得した。この成功により、モリッシーはソロアーティストとしてキャリアを幸先よく迎えた。
ジョニーはバンド解散から2年後の1989年に音楽シーンに戻り、ニュー・オーダーのバーナード・サムナー、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントと共に"エレクトロニック"というグループを結成した。"エレクトロニック"は結成から10年間で3枚のアルバムをリリースした。ジョニーはバンド"ザ・ザ"のメンバーでもあった。"ザ・ザ"には1989年から93年まで在籍し、2枚のアルバムをリリースした。その他にもセッションミュージシャンとしてブライアン・フェリーやブラック・グレイプ、トーキング・ヘッズやベックなどと共作した。
2000年には別のバンド、ジョニー・マー・アンド・ザ・ヒーラーズを結成した。2002年にはオアシスのアルバム「Heathen Chemistry」にギタリストとして参加した。2008年にはインディーバンド、ザ・クリブスと共作を始め、2011年4月ごろまでメンバーとして在籍していた。2013年と2014年にはソロアルバムをリリースしている。
アンディとマイクはバンド解散後も一緒に作業を続け、ツアーを行ったり、シングルをリリースしたりしていた。2007年に彼らはスミスに関するドキュメンタリーDVDをリリースしている。このDVDにはモリッシー、ジョニーはもちろん、スミスの音楽も一切流れない作品になっている。
その後もアンディとマイクは個人のキャリアを追求し、マイクは1990年にバンド、スウェードとレコーディングを行い、1990年から91年にかけてパンクバンド、バズコックスとツアーを行う。92年にはジョン・ライドンとのツアーも行っている。
アンディはモリッシーのB面のソロ曲を提供したり、バンド、キリング・ジョークやイアン・ブラウンとのレコーディングも行っている。2007年にはピーター・フックとマニという2名のベーシストとともにフリーベースというバンドを結成する。この2010年まで活動を行い、一枚アルバムをリリースしている。
The Smithsのメンバー
Morrissey(モリッシー)
1959年5月イングランド生まれのシンガーである。本名スティーブン・パトリック・モリッシー。
音楽ジャーナリストとして自身のキャリアをスタートし、1982年にジョニー・マーとザ・スミスを結成する。
嘲笑的でウィットに富んだ歌詞と独特な風貌によってザ・スミスを牽引した。
1987年にバンドが解散した後は、現在までソロシンガーとして活動している。
Johnny Marr(ジョニー・マー)
1963年10月31日イングランド生まれのミュージシャンである。
1982年から1987年まではザ・スミスのギタリストとして活動し、ボーカルのモリッシーとともに多くの曲を共作した。
ザ・スミス解散後はエレクトロニック、ザ・ザ、ザ・クリブスなど様々なバンドに参加している。
2013年にはソロアルバム「The Messenger」をリリースした。
Andy Rourke(アンディ・ルーク)
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目次 - Contents
- The Smiths 概要
- 結成
- ラフ・トレードとの契約
- 1stアルバム「The Smiths」
- 2ndアルバム「Meat Is Murder」
- 3rdアルバム「The Queen Is Dead」
- 4thアルバム「Strangeways, Here We Come」そして解散
- ザ・スミス以降のキャリア
- The Smithsのメンバー
- Morrissey(モリッシー)
- Johnny Marr(ジョニー・マー)
- Andy Rourke(アンディ・ルーク)
- Mike Joyce(マイク・ジョイス)
- The Smithsのオリジナルアルバム
- The Smiths
- Meat Is Murder
- The Queen Is Dead
- Strangeways, Here We Come
- The Smithsの代表曲
- Reel Around the Fountain
- This Chaming Man
- Hand in Glove
- Suffer Little Children
- That Joke Isn't Funny Anymore
- Barbarism Begins at Home
- The Boy with the Thorn in His Side
- There Is a Light That Never Goes Out
- Some Girls Are Bigger Than Others
- Stop Me If You Think You've Heard This One Before
- The Smithsのエピソード・逸話