尾崎豊

尾崎豊

尾崎豊(おざき ゆたか)とは1983年にデビューした日本を代表するシンガーソングライター。「卒業」や「I LOVE YOU」など代表作を挙げるときりがない。若くしてこの世を去ったが、10代でのメジャーデビュー、突然の活動休止、覚せい剤取締法違反での逮捕、26歳での逝去と短い人生を駆け抜けた。1983年にメジャーデビューし、第27回日本レコード大賞にて優秀アルバム賞を受賞した経歴をもつ。楽曲の再リリース、映像作品の上映や展覧会の開催など亡くなってからも注目・支持されている唯一無二の存在。

尾崎豊のレビュー・評価・感想

尾崎豊
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尾崎の音楽と時代~反抗と自由のメッセージ

1983年のデビューとその背景
尾崎豊は1983年、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビューしました。この時期の日本はバブル経済の始まりで、社会は経済的には豊かでしたが、教育は管理的で、若者たちは学歴主義や受験戦争といったプレッシャーにさらされていました。さらに、校内暴力やいじめ、家庭内暴力といった問題が深刻化し、多くの若者が孤独や居場所のなさに苦しんでいました。尾崎の楽曲は、こうした時代背景の中で、自由を求める若者たちの気持ちを表し、多くの共感を呼びました。

代表的なアルバム『愛すべきものすべてに』のテーマ
尾崎のアルバム『愛すべきものすべてに』は、社会への反抗心と愛情が入り混じる世界を描いた作品です。特に代表曲「I LOVE YOU」は、社会のルールや抑圧に抵抗しながらも許されない愛を歌い、若者が自由な愛を求める姿を象徴的に表現しています。「二人はまるで捨て猫みたい」という歌詞は、社会的束縛から逃れ、自由を求める若者たちの姿を描いています。尾崎の言葉にあるように、彼は愛は自分自身や他者を理解することから生まれると考えており、彼の歌詞には、社会の規範を超えて自分らしい生き方を求める若者の姿が描かれています。「卒業」で歌われる「この支配からの卒業」は、単なる反抗ではなく、自己実現や自由への強い思いを表しており、多くの若者に影響を与えました。

1992年の死とその影響
1992年、尾崎豊は突然亡くなりました。当時の日本はバブル崩壊後の混乱期にあり、経済的不安が深刻化していました。彼の死は多くの若者にとって大きな衝撃であり、その音楽は社会への反抗の象徴として受け入れられたのです。「I LOVE YOU」は、親に反対されている結婚や何かと反抗的な若者たちに対して、「この支配からの卒業」というテーマを通じて自由を求める力や勇気を与え続けました。

尾崎豊の音楽の影響
彼の死から35年経った今でも、尾崎のメッセージは新鮮で、社会の矛盾や抑圧に抵抗する若者たちの心に強く響いています。彼の音楽は、世代を超えて社会の矛盾に立ち向かいながらも、自分らしく生きる人たちに勇気を与え続けています。

代表曲とその特徴
「Oh My Little Girl」は、ゆったりとしたテンポと優しいメロディが特徴のバラードで、恋人への愛情を歌った感動的な一曲です。聴いているだけで、幸せになります。一方、デビュー曲の「15の夜」は疾走感のあるロックで、自由を求めバイクで駆け出す若者の姿を描いています。「卒業」は学生時代の葛藤や大人への反発心を鋭い歌詞で表現し、尾崎豊の代表曲の1つです。

このように、尾崎豊の音楽は彼の、社会の変化や若者の心情に寄り添い続け、多くの人々に影響を与えてきました。

尾崎豊
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尾崎豊は愛と自由への渇望を歌詞に込めて魂で歌うロックシンガー!

尾崎豊は、残念ながらすでに亡くなっているが、多くの楽曲を世の中に送り出し、その楽曲は今も多くの人の心を捉えて離さない。僕もその中の一人である。

僕が尾崎豊を初めて知ったのは高校生の時だったが、その時は無名と言っていいほど知名度の低い歌手だった。
しかし、その歌詞はとてもストレートな気持ちを綴っていて、その歌に聴きいってしまったのを今でも鮮明に覚えている。
自由を求める強い気持ちと現実のギャップ、愛とは何か、生きるとは何かを赤裸々に、そして真っ直ぐにぶつけてくるその歌は、同年代としてとても共感したものだ。

尾崎豊は若くしてこの世を去ってしまうが、多くの楽曲が日の目をみたのは、奇しくも尾崎豊が亡くなってからだった。
尾崎豊を多くに人が知ったのは、葬儀の参列者の多さにあった。
一部の報道では5万人が参列したという報道もあり、亡くなった後に多くの特集や特番が放送された。
これが世の中の人が尾崎豊を知るきっかけになったのは間違いところである。

尾崎豊は「若者の代弁者」と呼ばれ、楽曲はメッセージ性が強く、「15の夜」や「17歳の地図」、「卒業」は、
学生時代に漠然と感じていた不安や怒り、モヤっとした感情を代弁してくれているようだった。
また、「I LOVE YOU」や「OH MY LITTLE GIRL」、「街路樹」は切なく苦しい愛を歌い、今でも名曲として多くの人に愛され、継承されている。

現代は多くのシンガーソングライターがたくさんの楽曲を世の中に発信しているが、
尾崎豊の楽曲は時代も世代も超えて心に響く楽曲が多く、その楽曲は錆びることはない。
上にあげた楽曲だけでも、是非一度お聴きいただきたい。

尾崎豊
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10代の教祖の意外に長い射程

尾崎豊は、没後も高い人気を誇るロックミュージシャンです。
彼はかつて10代の教祖と呼ばれ、社会への反抗をテーマにした「15の夜」や「卒業」といった曲は少年たちに熱く支持されました。しかし、彼の残した曲は若者だけに独占させておくのが勿体ない内容です。
例えば尾崎豊には、息子が誕生した時に作った「誕生」という曲がありますが、これなどは世の父親たちに広く聞かれるべき内容の詞となっています。即ち尾崎豊が作った曲の射程距離は10代の少年たちだけに向けられていたように見えて、実はもっと先の年齢の人たちにまで届くものだったのです。そこが彼の二枚腰というべき幅の広い魅力なのです!
またあまり知られていませんが、「街路樹」という曲などはハードなロックナンバーではありません。しかしこの曲はとても切ないバラードで、名曲と言って良いと思います。
さらに、没後に出た最後のオリジナルアルバム「放熱への証」に収められた楽曲もとても詞やメロディに深みがあって、やや人生に疲れたような側面が表れていて痛々しいところはありますが、名盤と言えるでしょう。
尾崎豊ほど没後にも広く深く愛されているアーティストは、日本人の歌手としては極めて稀です。それは彼の作った歌、そしてその残した録音に普遍性があるからでしょう。
今後とも彼の曲は聴かれていくと思います。

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若き詩人、尾崎豊の生き様について!

1983年にシングル『15の夜』とアルバム『17歳の地図』でメジャーデビューを果たす。それから数年後、数多くののヒット曲を連発する。思春期の少年少女が抱えやすい気持ちを表現した若者の心に響く歌詞と透き通った歌声。それが、共感に結び付いたのだ。
1985年にシングル『卒業』で、オリコンチャート20位になる。卒業の歌詞に衝撃を受け、話題を呼んだ。また同年3月、アルバム『回帰線』がオリコンチャート1位を獲得した。そして10代最後となるツアーでは、満員になるほどの国民的ミュージシャンとなる。
さらにアルバム『壊れた扉から』で、ヒットするなど、華々しい活動をした。20歳になってからは、自身の曲のコンセプトに苦悩したらしい。
そしてインスピレーションを求めて、無期限活動休止で、アメリカで生活をする。しかし、新しいコンセプトを見出すことはできずに、日本に帰国した。
日本でアルバムの製作は行われていたが、何度も中止になってしまう。それからしばらくして、ライブツアーが行なわれたが、尾崎の疲労が蓄積してしまい、やむなくライブツアーは中断。同年12月には、覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまう。ミュージシャンとしての人生が終わったと思われていたが、どうにかして、復帰を成し遂げ、アルバム『誕生』でオリコンチャート1位を獲得。尾崎は見事に返り咲きを果たしたのだ。

尾崎豊
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傷つけた人々へ。

まずは1st Album『十七歳の地図』を聴いてもらえれば、尾崎豊が自分に合うかどうかが解ると思います。というか彼のすべてがこの一枚に凝縮されていると言っても過言ではありません。
彼の音楽はとてつもないくらいにセンチメンタルです。あまりにピュアすぎて逆に聴いてしんどくなってしまう人もいると思います。なぜなら、人間の最も普遍的な核(コア)の部分を歌っているから。

歌っている姿を観ても楽しそうには見えない。自分の人生のバックボーンをただ歌っているだけに過ぎない。そんなのは音楽ではない。そんな風に言う大人も多くいます。結局、自分に入ってくる音楽を認めない。いつも聴ける音楽だとも思わない。
思春期特有の感情の普段は考えたりしない闇の部分を触発する、ある種の気持ち悪さを感じる人も少なくはないでしょう。

尾崎豊は自分のことを代弁して歌ってくれている。そう感じる人ばかりではありません。
それでもいまだにこれほど多くの人々が共感したり、強く支持したりしてCDが売れているのは彼のメッセージが時代や世代に関係なく浸透しているということを物語っていることを示しています。自由っていったい何なのだろう!?
真実の愛とは!?尾崎豊は今も語り続けています。

尾崎豊
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尾崎豊というアーティスト

尾崎豊というアーティストは、1984年に自身のデビューライブを行いました。
今から40年近くも前の話で、尾崎が生きていれば、彼は現在50代半ばの年齢になります。
彼が26歳の時に亡くなったので、彼があの世に行って30年近くの月日が経つのに、今も写真展や当時の彼の映像を集めた映画などが新しく上映されたりしています。
これほどまでに長い間、人々の心の中だけで生き続ける尾崎豊というアーティストの魅力とは一体何なのか。
彼のライブ映像などを見ると良く分かるのですが、彼は常にステージ上では全力でした。
リハーサルの時も手を抜かない。
そしていざ本番になれば、全身全霊で歌い上げます。
何か意見があれば、たとえ年上の人間にでも躊躇なく自分の考えを訴えたといいます。
妥協がないのです。
尾崎豊の何がそうさせたのかは、本人でももしかしたら分からないことかもしれませんが、私が一つ感じるのは、彼のどこまでも純粋な歌うことへの情熱と、鋭すぎる感受性が影響しているのだと思います。
彼は、幼い頃に病気がちな母親の元を離れて祖母のところに三か月ほど預けられたそうです。
その経験は彼にとって非常にショッキングな出来事であり、その頃に感じた孤独が彼をそこまで鋭く妥協のないアーティストにさせた一つの大きな要因だと思います。

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色あせない大人への反抗「尾崎豊」

大人とはなにか、愛とは何か。生涯問い続け、歌い続けた歌手がいます。彼の名前は尾崎豊。

代表曲と言えば、「盗んだバイクで走り出す」で有名な「十五の夜」やカラオケで上位にランクインし続ける「I LOVE YOU」など。
しっかり聞いたことはないけど、どこか聞き覚えがある曲としていつの時代も若者の耳に入ってくるのではないでしょうか。

彼は1992年、26歳という若さでこの世を去りました。彼が残した多くの曲は今でも「大人とはなにか」を問い続けています。

デビュー曲は先にも上げた「15の夜」です。
「誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に、自由になれた気がした15の夜」。サビのフレーズです。逃げ出した先で自由になったのではなく、結局は自由になれた気がした。諦めでもなく妥協でもない、ただ受け入れなくてはいけない支配への微かな抵抗を若干16歳で歌い上げる尾崎豊の才能には脱帽せざるを得ません。

セカンドアルバム「回帰線」には代表曲の一つ「卒業」が収録されています。「卒業して一体なにが分かるというのか。思い出の他になにが残るというのか」力強く叫ばれるこの歌詞は指導というベールを被りながら支配空間として鎮座する学校への欺瞞と不満を吐き出す尾崎の気持ちが綴られています。

10代という若さで少年や少女の言葉にできない気持ちの代弁者となった尾崎。彼の歌う曲は愛と大人への抵抗に満ちていました。
しかし、20代を迎えた尾崎は転機を迎えます。子供が生まれ、10代の代弁者であった自分が確実に歳を取っていく中で生まれた葛藤。その集大成が5thアルバム「誕生」です。
晩年の作品に入る「誕生」は今までのレジスタンス的な歌詞は一切なく、孤独と寂しさと愛に満ちています。「誕生」という曲の最後に尾崎はこう語り掛けます。
「新しく生まれてくる者よ。お前は間違っていない。誰も一人にはなりたくないんだ。それが人生だ、分かるか」
仲間、家出、反抗、不満、魂のまま叫び続けた尾崎は最後、呟くように新しい生命に語り掛ける。
これは大人になることの諦めのため息なのか。人生を悟った最後の遺言だったのか。果たしてそれは定かではない。

26歳で急死した尾崎は大人だったのか。きっと彼も分かっていない。そもそも大人とは何か。普遍的な答えは見つからないが、尾崎豊は自分の中でその答えを見つけるヒントになると思います。

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本人も知らない尾崎豊の心理

高校3年生でデビューする尾崎豊。中学生の頃からギターやピアノで作者作曲をしていました。特徴的な誰とも重ならない歌詞です。歌詞というより、切ない思いを綴った手紙のようです。中学生というまだ子供のような時期に作られた楽曲は衝撃を与える。心の中の更に奥深くにある思いを誰も表現できないような言葉で発信する。街の隅に転がっているようなゴミにすら、言葉をかけてしまうような歌詞です。
またそのような繊細な表現をしたかと思うと、社会に対して恐ろしい反発心を訴えるのです。この両極端な楽曲は一曲聴いただけでは理解できず「尾崎豊」というミュージシャンを間違えて捉えてしまいます。ヒットした曲のみメディアで取り上げられるため、繊細よりも反社会的な行動の曲が印象付けられてしまうのです。これは他のミュージシャンにも共通することです。人の心に入ってくる歌詞はカリスマとまで言われてしまいます。それは、自分では求めていないイメージです。それでも万人受けするわけでもないのです。そのため自分でも、世間の視線やイメージに戸惑う生活を送ることになります。結果、迷路に入ってしまったような曲が徐々に増えてきます。すべての曲を何百回と聴いても尾崎豊という人間を理解することは不可能です。自分を越えてしまったもう一人の「尾崎豊」に自身も理解できなくなるのです。

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尾崎豊のデビューライブと音楽性について。

二十歳までに出した3枚のアルバム『十七歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』を聴けば、尾崎豊の音楽性について特別語る必要はなくなると言っても過言ではないと思う。

彼の音楽は18歳のデビューライブの段階ですでに完成されていた。新宿ルイードのライブ映像を何度も観た。楽屋でソワソワしながらスタッフに『あと何分ですか?』とくったくのない笑顔で聞いている尾崎豊はとても感じのいい好青年だった。まるでアイドルのような甘いマスクをしていた。額を汗でビッショリになりながら鏡に向かってファイティングポーズを取る尾崎。試合前のボクサーさながらにシャドウボクシングを繰り返す。そして、ライブが始まった。
『街の風景』『ILOVEYOU』『15の夜』『十七歳の地図』『シェリー』『僕が僕であるために』『ダンスホール』を歌う。ほとんどベスト盤に近い内容だった。曲によって尾崎の表情は豹変した。一番印象的だったのは『15の夜』を歌う前のMC。ごく当たり前のことのように中学時代にみんなで家出をしたエピソードを話す。汚い大人には絶対になりたくない。偽善的な恋愛など受けつけない。尾崎豊は全く楽しんでいない。歌う姿は苦しそうに見える。そんなの本当の音楽じゃない。そういう人々も多くいるだろう。だけど、一番の問題はそうじゃなくて、尾崎の歌を聴いて共感を抱いた人間が自分も含めあまりにも多かったことなのだ。