本人も知らない尾崎豊の心理
高校3年生でデビューする尾崎豊。中学生の頃からギターやピアノで作者作曲をしていました。特徴的な誰とも重ならない歌詞です。歌詞というより、切ない思いを綴った手紙のようです。中学生というまだ子供のような時期に作られた楽曲は衝撃を与える。心の中の更に奥深くにある思いを誰も表現できないような言葉で発信する。街の隅に転がっているようなゴミにすら、言葉をかけてしまうような歌詞です。
またそのような繊細な表現をしたかと思うと、社会に対して恐ろしい反発心を訴えるのです。この両極端な楽曲は一曲聴いただけでは理解できず「尾崎豊」というミュージシャンを間違えて捉えてしまいます。ヒットした曲のみメディアで取り上げられるため、繊細よりも反社会的な行動の曲が印象付けられてしまうのです。これは他のミュージシャンにも共通することです。人の心に入ってくる歌詞はカリスマとまで言われてしまいます。それは、自分では求めていないイメージです。それでも万人受けするわけでもないのです。そのため自分でも、世間の視線やイメージに戸惑う生活を送ることになります。結果、迷路に入ってしまったような曲が徐々に増えてきます。すべての曲を何百回と聴いても尾崎豊という人間を理解することは不可能です。自分を越えてしまったもう一人の「尾崎豊」に自身も理解できなくなるのです。