本当にあった大量虐殺事件 ルワンダ虐殺【ルワンダの涙】【ホテル・ルワンダ】

ここでは1994年、ルワンダで起こった大量虐殺事件「ルワンダ虐殺」について紹介する。フツ族とツチ族という民族同士の対立が激化したことで起きたこの事件の正確な犠牲者数は不明で、50万人から100万人とも言われ、これはルワンダの人口の10%から20%にもあたる。『ルワンダの涙』や『ホテル・ルワンダ』といったルワンダ虐殺を伝える映画や、今のルワンダについても触れる。

虐殺があったなんて思えないような国ですね。

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ふつうに暮らしていると本当にそれが25年前だったなんて信じられません。

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あの100日間で人口の10%が減った恐ろしい事件がなければルワンダという国に意識をむけることはなかったかもしれません。
そのせいでルワンダ=虐殺くらいのイメージしかなかったのですが、動画を見てとても平和でのどかな場所なんだと実感できました。ありがとうございます。
これからも動画投稿を続けてくれることを願います!! (バレンタインのやつまでは観ました)

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ルワンダ虐殺のことが分かる『記念館』

ムランビ虐殺記念館

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ムランビ虐殺記念館は、ルワンダ南部州のムランビにある1994年のルワンダ虐殺に関する記念館である。この建物は元々学校であったが、1994年4月に虐殺の現場となり、現在ではその惨禍を伝えるための記念館として使用されている。負の世界遺産としてルワンダ初の世界遺産登録を目指している。

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この場所で約4万5000人のツチが校内で殺害された

「ムランビ虐殺記念館」で検索すると
展示されている
被害者数千人分の頭蓋骨画像や
ミイラ化した遺体が見れます

ルワンダ虐殺が始まった当初、この地域に住むツチは地元の教会に避難しようとした。しかし、"丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる"という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、ツチらは学校へ隠れることになった。1994年4月16日、唐突に水や電気の供給が停止された。この時点でおよそ6万5000人のツチが学内に避難しており、食料も水も不足する中、避難民らは自衛のために投石用の石を数日かけて拾い集めている。しかし4月21日の夜半、フランス軍が唐突に姿を消すとともに、学校はフツ系過激派民兵のインテラハムウェの襲撃を受けた。約4万5000人のツチが校内で殺害され、この日の虐殺を逃れた者の内の大半も、翌日に近くの教会へと逃れようとしたところを殺害された。

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観光名所であるため
ルワンダへ旅行の際に訪れることができます

ニャマタ虐殺記念館

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キリスト教国であるルワンダにおいて、教会は神様のいる安全な場所と考えられていたため、多くのツチ族の人々がここに集まった。その数は約1万人に及び、人々は教会内に立てこもった。教会の壁には当時投げ込まれた手榴弾、グレネード弾によって開けられた無数の穴が見られ、虐殺の激しさを物語っている。虐殺者たちはグレネード弾を投げ込んだ後教会内に侵入し、中の人々はマチェートと呼ばれる鉈で切られて殺されるか、銃で射殺されて殺された。教会の天井には弾痕があり、祭壇の布はまだ血で染まってる。この地で犠牲になった人達の遺物のほとんどは埋葬されているが、無数の衣服と身分証明書は当時のまま残され、教会の座席の上に置かれている。

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キガリ虐殺記念センター

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キガリ虐殺記念館は、1994年のルワンダ大虐殺を記念しています。 250,000人を超える人々の遺体が埋葬されています。

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虐殺記念館はあと3つ程あります。
※全部で6か所

虐殺に加担していたフランスとルワンダの今

フツの援助を組織的に行っていたフランス政府

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ルワンダ政府は、後にフランスがカガメを戦争犯罪者として告発したことなどを理由に、フランスと国交断絶したが、2010年にフランス共和国大統領ニコラ・サルコジがルワンダを訪問し、(ハビャリマナ政権に対して)外交的・軍事的な後押しをしたことについて「大きな判断の誤りがあった」と、虐殺に関する責任の一端があることを認めている。

フランスがルワンダ内戦時の対応について調査委員会を設置

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2019年4月

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