Cocco(こっこ)の徹底解説まとめ

Cocco(こっこ)とは沖縄県那覇市出身のシンガーソングライター・女優・絵本作家・エッセイスト・小説家・アーティスト。1996年インディーズデビュー、1997年メジャーデビュー。中島みゆきのように情念的な歌詞とNirvana(ニルヴァーナ)のようなグランジサウンドの融合が特徴的。代表曲は「強く儚い者たち」や「樹海の糸」。音楽活動の休止と再開、環境活動、拒食症と自傷、映画や舞台への出演、アパレルブランドの立ち上げなどで注目を集める。1999年に未婚のまま息子を出産したシングルマザーでもある。

14thシングルのタイトル曲「ジュゴンの見える丘」(沖縄限定盤:2007年9月15日発売、全国盤:2007年11月21日発売)。Coccoがナレーションを務めた、テレビ朝日系のドキュメンタリー番組『テレメンタリー2007 人魚の棲む海〜ジュゴンと生きる沖縄の人々〜』(2007年11月26日放送)のテーマ曲でもある。

天然記念物のジュゴンは絶滅の危機に瀕している。2007年6月、米軍基地移設のために調査を行うなか、沖縄県名護市大浦湾に親子のジュゴンが姿を現した。その2頭のジュゴンに捧げたメッセージソング。

海辺に咲くばらのお話

10thアルバム『スターシャンク』(2019年10月2日)のリード曲として、2019年9月11日に先行配信したデジタルシングル「海辺に咲くばらのお話」。根岸孝旨がプロデュースし、Coccoが作詞・作曲、弦一徹が編曲を手がけた。

2018年にアパレルブランドComposition-a(コンポジションエー)を設立し、2019年夏に「海辺に咲くばらのドレス」という名前のワンピースを展開したCocco。自身もクリエイティブな活動の幅を広げるなか、ミュージックビデオの制作に若いクリエイターを起用した点にも注目が集まった。監督・衣装を手がけたのは当時20歳、服飾専攻の大学生だった。

潮満ちぬ

11th Album『クチナシ』(2021年2月17日)から先行配信したデジタルシングル「潮満ちぬ」(2021年2月3日発売)。Coccoが作詞・作曲・プロデュース、弦一徹が編曲、根岸孝旨がサウンドプロデュースを務めた。

明るく弾むサウンドと穏やかで優しい歌詞が特徴的。レコーディング当日に思いついたというアドリブのセリフを間奏で披露している。

Cocco(こっこ)の名言・発言

「大変なことがあるとお風呂に入ってリラックスっていうよりは、引っかいてた方がいいし」

文芸雑誌『papyrus(パピルス)』26号(2009年8月28日、幻冬舎)の特集記事「愛と罪悪感の行方」のCoccoの発言を取り上げた、日刊スポーツ新聞社のニュースサイト『ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)』の芸能ニュース(2009年8月28日)より。

Coccoは雑誌『papyrus』26号の特集記事で、2007年5月から2年以上続いている拒食症と日常生活の一部のようになっている自傷行為(セルフハーム)について語った。治療やカウンセリングを受けているが回復の兆しはないため「歌っていくしかないんじゃないか」という考えにたどり着いている。

拒食症(摂食障害)については、是枝裕和監督によるドキュメンタリー映画『大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-』(2008年12月13日)で公言していた。

「私は子どもを持つことを恐れていました」

ファッション雑誌『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』(扶桑社)とティファニー(Tiffany & Co.)のコラボ企画記事(2016年9月28日)での発言。

「十代の頃なんかは、私という人間の存在を後に残すことが嫌だった。自分みたいな人間が生まれてきたらどうするんだろうって」と続けるが、性別も性格も「全然違う生き物」だったため驚き、救われたという。

「子育てはスパルタだった」と語るCoccoに対し、「とにかくかっこいい女性。母を超える女の人には、まだ出会えていないですね」と返す息子のKoto(こうと)。2016年当時は17歳の高校生だった。「洋服が好きだから、いつか自分のブランドを立ち上げられたら最高だなって思っています」と語っていた。

2018年7月7日、CoccoはアパレルブランドComposition-a(コンポジションエー)を立ち上げた。

「昨年春に悪性リンパ腫の診断を受けた息子が、現在、寛解といえる状態まで回復することができました」

CoccoのInstagram(インスタグラム)の投稿(2024年5月12日)より。タイトルのような「2024 春の嵐が過ぎて 無理に頑張るのは、やめようと思ったお話」に続く、冒頭の言葉。全体は1400字以上の長文になっている。以下は抜粋。

「子供に何かあった時、親は自分を責めます」「でも今回のことで、誰のせいでも何のせいでもないことが起こることもある、と知りました」「 私はただ見守ることしかできなかった立場だけれど、思うよりずっと自分も疲れていることに気がつきました」

「これ以上無理にがんばることを、とりあえずやめようと思いました」「みんなが自分を大切に、慈しんで毎日を過ごせますように」「世界中の親と子に愛を込めて」

Cocco(こっこ)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

歌はバレエダンサーになるための道具

Coccoは12歳から17歳まで沖縄の飯島バレエスクールに通い、プロのバレエダンサーを目指してオーディションを受けていた。姉がすすめたビクターエンタテインメントの新人歌手発掘オーディションに応募したのは、賞金100万円と旅費の支給により、東京のバレエオーディションを受けるためだった。

結局、両方とも不合格だったが、レコード会社の担当者にスカウトされ、歌手デビューが決まった。それでも「歌手で10億円を稼いで引退し、祖父のように劇場を作って踊り続けたい」と考えていた。

自分を不合格にしたバレエオーディション選考者を見返すという復讐も企んでいた。つまり、目的は10億円を貯めること、歌はそのための道具にすぎなかったのだ。ところが歌が好きになり、2001年に音楽活動を休止した。不純な動機ではなく、「歌が好き」という前提からやり直す必要を感じたからだった。

アーティスト名Coccoの由来は不明

アーティスト名Cocco(こっこ)の由来は諸説ある。幼い頃、本名・真喜志智子(まきしさとこ)の「さとこ」をうまく言えず、自分で「こっこ」と呼んでいた、あるいは幼い頃から姉が「こっこ」と呼んでいたという説。

さらに、琉球大学の教授が名付けた(メソポタミア文明の時代に自由の女神を意味する言葉だった)、インディーズ時代のCockoは雄鶏のほかスラングで男性器を意味するCockに似ているためCoccoに改名したなどの説もあるが、いずれも真偽は不明である。

愛称あっちゃんの由来とコロナ後の呼び方コウへの変化

Coccoの愛称はあっちゃん、コウ、コッキー、姫など。Coccoが自分のことをあっちゃんと呼ぶのは、幼い頃より姉が「(飽きっぽいから)飽き飽きあっちゃん」と呼んでいたため。音楽活動再開後はスタッフによるブログが影響したのか、コッキーと呼ぶファンも増えた。

また、Coccoはインターネットが嫌いだと宣言していた時期もあったが、新型コロナウイルス感染症の外出自粛期間を経て、あるいは時代の流れもあり、SNSを使いこなすようになった。YouTubeチャンネルで公開している動画などでは、自分のことをコウと呼ぶCoccoの姿を観ることができる。

渡辺和歌
渡辺和歌
@watanabe-waka

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