浜田省吾(浜省・ハマショー)の徹底解説まとめ

浜田省吾とは、日本のロックボーカリストであり、シンガーソングライターである。愛称は「浜省」または「ハマショー」。シングル『路地裏の少年』とアルバム『生まれたところを遠く離れて』で1976年にデビューして以来、日本のロックシーンを走り続けている。テレビなどのメディアにはほとんど出演せず、ライブ活動を中心に多くのファンを魅了しているのが特徴。「悲しみは雪のように」など、数多くの名曲を送り出している。

「この新しい朝に」は41枚目のシングルで、コロナ禍の真っただ中だった2021年3月に発表された。誰も歩いていない街並みなど、コロナ禍を強く意識させる作品で、苦しい環境の中でこの歌に支えられたと言う人も数多い。初のデジタルシングルとしてもリリースされた。

浜田省吾の名言・発言

「自分で照れて、二度と読めないっていうぐらい恥ずかしく書かないと伝わらないよ、歌詞は」

浜田省吾は歌詞を重視しており、書き方のポイントとして恥ずかしがらない、照れないことを挙げている。ツアーにバンドメンバーとして参加している福田裕彦の歌詞を見た時、アドバイスとしてこの言葉を贈っており、いい歌詞でも照れが入ってしまうと伝わりにくいので、あえて恥ずかしくなるように書いていることを明かした。

「今も変わらず俺 君に恋してる 一番きれいな君を知っているから」

1994年4月発売した25枚目のシングル「星の指輪」の一節で、ライブではほぼ毎回セットリストに入っている曲である。結婚して子どもも成長し、長年連れ添ってきた妻に対して、こんな言葉をサラッと言える夫になりたいと思わせる歌詞である。

「歌を書くことに苦しんだ30代後半から40代になる頃があって、あとから考えると、逆にその時期に大きく成長できた」

30代後半から40代になる頃といえば、時期的には1988年から1992年あたりになる。ちょうど浜田省吾の精神状態に波があった時期が含まれており、そんな状況の中で「悲しみは雪のように」が大ヒットし、空前の浜省ブームが巻き起こった。浜田省吾自身、今までで1番のヒットを記録し1番脚光を浴びていた時期が、皮肉にも精神的にはどん底だったと認めていて、それを乗り越えたからこそ、その後の成長があったと振り返っている。

浜田省吾の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

テレビへの出演回数は少ない

浜田省吾がテレビに出演することはほとんどないが、初めてのヒット曲となった1979年の『風を感じて』のリリース期間に「夜のヒットスタジオ」へ出演したことがある。また『風を感じて』は日清カップヌードルのCM曲になっていて、日清食品がスポンサーをしているテレビ番組に出演する決まりがあったため、浜田省吾も3回ほどテレビ出演している。

その後は長らくテレビ出演がなかったが、2001年にNHKで浜田省吾の音楽活動を紹介する番組が放映され、20年ぶりの出演を果たした。その番組内で浜田省吾は、本人役で陣内孝則とコントを繰り広げたり、さまざまなコスチュームで登場するなど、お茶目な一面も見せていた。

ライブでの恒例行事は「年代別チェック」

浜田省吾のライブには、定番になった「年代別チェック」のコーナーがある。10代、20代、30代と順番に浜田省吾が客席に呼びかけ、それに応えるファンの声援や拍手によってどの年代が多いかを確認するというもの。客席の反応によって、みんなで納得したり笑ったり、ほっこりするコーナーとなっている。

浜田省吾とともに年齢を重ねてきたファンが多いため、年齢層は年を追うごとに高くなっているが、若い年齢層が思った以上に多い場合もある。親の影響でファンになった人たちや、若いアーティストが浜田省吾へのリスペクトを口にしたことに影響され、新たに浜田省吾のファンになった人たちである。若いファンの声援が大きかったとき、浜田省吾はとても嬉しそうにしており、客席のファンもそんな姿を見て微笑む平和な光景が展開されている。

「ライブに参戦」という言葉は使わない

アーティストのライブを見に行った際に、「〇〇のライブに参戦!」というワードがSNS上ではよく使われている。浜田省吾はこの「参戦」という言葉について、ライブでたしなめるようなコメントをしたことがある。

2019年11月に行われたファンクラブ会員限定ライブ。その時のMCで、「ライブに参加してくれてありがとう。参戦じゃないよ。戦争じゃないんだから。音楽は戦争とは真逆にあるものだからね」と発言した。広島の地で育ち、二次被爆した父親を持つ浜田省吾の真摯な言葉に、ファンもその想いを受け止め、それ以降は参戦という言葉を使わないという暗黙のルールができあがった。

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