浜田省吾(浜省・ハマショー)の徹底解説まとめ
浜田省吾とは、日本のロックボーカリストであり、シンガーソングライターである。愛称は「浜省」または「ハマショー」。シングル『路地裏の少年』とアルバム『生まれたところを遠く離れて』で1976年にデビューして以来、日本のロックシーンを走り続けている。テレビなどのメディアにはほとんど出演せず、ライブ活動を中心に多くのファンを魅了しているのが特徴。「悲しみは雪のように」など、数多くの名曲を送り出している。
『路地裏の少年』
1976年4月21日発売
1. 路地裏の少年
2. 壁にむかって
浜田省吾のソロデビューシングル。「路地裏の少年」では、高校から大学を中退してバンド活動にのめり込むまでの、浜田省吾自身の姿が描かれている。曲を作った当初は、浪人時代に出会ったアメリカの女子学生のことを歌っていたが、途中で方向転換して現在の歌詞に書き換えた。ライブではギター1本の弾き語りで披露されることもあり、名実ともに浜田省吾の原点となる曲である。
続く2ndシングル『愛のかけひき』は半年後の10月21日に発売され、デビューした年に合計2枚のシングルをリリースした。翌1977年も、4月21日に3rdシングル『ラブ・トレイン』を、11月21日には4thシングル『木枯しの季節』をそれぞれ発売。半年に1枚のサイクルを守っていたが、1978年は5thシングル『涙あふれて』(8月21日発売)だけのリリースに留まった。
『愛を眠らせて』
1979年4月21日発売
1. 愛を眠らせて
2. 片想い
6thシングル『愛を眠らせて』は、前作から8か月後の1979年4月21日に発売された。「愛を眠らせて」は、同じホリプロの和田アキ子に提供した曲の歌詞を変えたもので、異色のシングルとなっている。B面は、前年リリースのアルバムからシングルカットした「片想い」で、今ではカラオケで歌われるバラードの定番となっている。
『風を感じて』
1979年7月1日発売
1. 風を感じて
2. 朝のシルエット
7thシングル『風を感じて』は1979年7月1日に発売され、日清カップヌードルのCMソングにも選ばれて、10万枚を超える浜田省吾初のヒット曲となった。当時の浜田省吾にはCMソングのリクエストが多く寄せられていたが、ことごとくボツになり、もうやりたくないと思った最後のタイミングで採用された。作詞は本人ではなく三浦徳子が書いたが、最終的には浜田省吾自身がほとんどの部分を修正している。
1979年にはもう1枚、8thシングル『さよならにくちづけ』を12月12日に発売しており、年間で3枚のリリースとなった。翌1980年にもシングル3枚を発表し、活動が加速している様子が伺える。9thシングル『青春のヴィジョン』は2月21日、10thシングル『明日なき世代』は7月21日、11thシングル『東京』は10月21日にそれぞれ発売された。
『陽のあたる場所』
1981年3月21日発売
1. 陽のあたる場所
2. あばずれセブンティーン
12thシングル『陽のあたる場所』は、不倫を取り扱ったバラード。妻子ある男性の目線から描かれ、相手の女性を傷つけてしまっている現状に悩み、別れを切り出す内容。身勝手な男性の言い訳にも受け取られかねないストレートな歌詞と、どこまでも美しいメロディが印象的である。アルバムの先行シングルとして発売された。
『ラストショー』
1981年8月26日発売
1. ラストショー
2. さよならの前に
13thシングル『ラストショー』は、聴き終えた瞬間に1本の青春ロードムービーを見たような充足感を得られる楽曲で、サビへとつながる流れがドラマティックである。『風を感じて』以後、シングル曲はすべてチャート圏外になっていたが、久々に100位以内にチャートインした。
14thシングル『悲しみは雪のように』は1981年11月21日に発売されたが、残念ながら再びチャート圏外へ。11年後にドラマ主題歌として脚光を浴びるまで、ファンのあいだでは隠れた名曲として位置づけられた。
『ON THE ROAD』
1982年2月25日発売
1. ON THE ROAD
2. ラスト・ダンス
15thシングル『ON THE ROAD』は、ある意味浜田省吾を象徴する曲でもあり、1982年からずっと継続してツアー・タイトルとして使用され、ライブでも披露されている。100位以内にもチャートインしており、初期の浜田省吾のヒット曲として「風を感じて」と「ON THE ROAD」の2曲を挙げる人も少なくない。
1982年にはもう1曲、16thシングル『マイホームタウン』を11月21日に発売したが、翌1983年はデビュー以来初めて、シングルリリースのない年になった。
『DANCE』
1984年8月1日発売
1. DANCE
2. THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY
17thシングル『DANCE』は、約2年のブランクを経て1984年8月1日に発売された。初の12インチシングルで、レコード盤の大きさがアルバムと同じであるため、長い曲を収録できる利点がある。B面はタイトルどおり3つの楽曲をメドレー形式にアレンジしたもので、13分を超える長さとなっている。ヒットチャートでも初の20位以内にランクインした。
『LONELY-愛という約束事』
1985年5月22日発売
1. LONELY-愛という約束事
2. もうひとつの土曜日
18thシングル『LONELY-愛という約束事』はバラード2曲で構成されたシングルで、B面に収録されたのがバラードの代表曲でもある「もうひとつの土曜日」である。あいみょんが作詞面で影響を受けた曲だとテレビ番組で語ったことでも知られる。チャートでは過去最高の16位を記録し、着実に売り上げが伸びてきていることを証明した。
1985年にはもう1曲、19thシングル『BIG BOY BLUES』を12月8日に発売したが、翌1986年から1988年までは、年1枚のペースでのリリースとなった。20thシングル『路地裏の少年 (FULL VERSION)』は1986年7月16日、21stシングル『二人の夏』は1987年6月21日、22ndシングル『BREATHLESS LOVE』は1988年5月11日にリリースされている。この後、浜田省吾は音楽活動から離れ休養期間に入っている。
目次 - Contents
- 浜田省吾の概要
- 浜田省吾の活動経歴
- ロックバンド「AIDO」でのデビューと脱退(~1975年)
- 念願のソロデビューと定まらない音楽の方向性(1976年~1979年)
- 音楽性の確立と見る者を惹きつけて離さないライブ活動(1980年~1989年)
- 突然巻き起こった浜省ブームとどん底の精神状態からの脱却(1990年~1999年)
- 熟成される作品と拡がっていく音楽活動(2000年~)
- 浜田省吾のプロフィール・人物像
- 浜田省吾のディスコグラフィー
- シングル
- 『路地裏の少年』
- 『愛を眠らせて』
- 『風を感じて』
- 『陽のあたる場所』
- 『ラストショー』
- 『ON THE ROAD』
- 『DANCE』
- 『LONELY-愛という約束事』
- 『悲しみは雪のように』
- 『星の指輪』
- 『I am a father』
- オリジナルアルバム
- 『生まれたところを遠く離れて』
- 『君が人生の時…』
- 『Home Bound』
- 『愛の世代の前に』
- 『DOWN BY THE MAINSTREET』
- 『J.BOY』
- 『FATHER'S SON』
- 『誰がために鐘は鳴る』
- 『SAVE OUR SHIP』
- 『My First Love』
- 『Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター』
- 浜田省吾の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- 「悲しみは雪のように」
- 「MONEY」
- 「もうひとつの土曜日」
- 「片想い」
- 「J.BOY」
- 「ラストショー」
- 「I am a father」
- 「DANCE」
- 「イメージの詩」
- 「この新しい朝に」
- 浜田省吾の名言・発言
- 「自分で照れて、二度と読めないっていうぐらい恥ずかしく書かないと伝わらないよ、歌詞は」
- 「今も変わらず俺 君に恋してる 一番きれいな君を知っているから」
- 「歌を書くことに苦しんだ30代後半から40代になる頃があって、あとから考えると、逆にその時期に大きく成長できた」
- 浜田省吾の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- テレビへの出演回数は少ない
- ライブでの恒例行事は「年代別チェック」
- 「ライブに参戦」という言葉は使わない