BRAHMAN(ブラフマン)の徹底解説まとめ

BRAHMAN(ブラフマン)とは、1995年に結成されたミクスチャーロックバンドである。メンバーはTOSHI-LOW、RONZI、KOHKI、MAKOTOの4名で構成されている。代表曲には「露命」「鼎の間」などがあり、激しいパフォーマンスやサウンド、そして時には政治や環境問題にも言及した楽曲を発表するなどメッセージ性の強い楽曲が特徴的だ。その一方で、2011年以降は被災地支援を積極的に行っているバンドの一つとしても有名である。中年男性の集まりにも関わらず、かっこよさの象徴のようなバンドだ。

BRAHMANの概要

BRAHMAN(ブラフマン)とは、1995年に東京都で結成されたミクスチャーロックバンドである。ヴォーカルのTOSHI-LOW(トシロウ)、ギターのDAISUKE(ダイスケ)、ドラムのRONZI(ロンジ)、ベースのNABE(ナベ)の4名で結成され、BRAHMANというバンド名はNABEが命名した。ハードコアと民族音楽を融合させた新しいジャンルのミクスチャーロックを演奏しており、デビュー当時から唯一無二のサウンドを確立している。また、政治や環境問題に言及した歌詞を織り込むなど、メッセージ性の強い楽曲が多い。
1996年にミニアルバム『grope our way』でデビューしたのち、ギター担当のDAISUKEが脱退したことをきっかけに、TOSHI-LOWがギターとヴォーカルを担当。その後1997年にギターのKOHKI(コーキ)が加入したことにより、TOSHI-LOWは再びヴォーカルに専念することとなった。以降はデビュー当時よりもTOSHI-LOWのマイクパフォーマンスは激しさを増し、観客席に飛び込むことも少なくない。1999年にはシングル『deep/arrival time』で念願のメジャーデビューを果たし、FUJI ROCK FESTIVALなどの大型屋外フェスにも出演。ライブ中はMCを行うことはほぼなく、激しいパフォーマンスとサウンドでファンを魅了していった。

2011年3月11日、東日本大震災が起こり、日本中が混乱に陥っている中、BRAHMANはいち早く現地にかけつけ、ボランティアを開始。この震災をきっかけに、TOSHI-LOWやメンバーの中に心境の変化が訪れた。「自分たちはファンの声をもっと聞くべきじゃないのか」と思い始め、それまでほとんど行わなかったMCをライブで取り入れたり、政治的発言もよりはっきりと行うようになった。
2012年にはNABEが脱退、その後MAKOTO(マコト)が加入し、新生BRAHMANが誕生した。

ライブをする際には、TOSHI-LOWの「BRAHMAN、始めます」というセリフと共に、激しい演奏が始まるのが特徴的だ。

BRAHMANの活動経歴

お互いの音楽性に惹かれ集まった4人

TOSHI-LOWとDAISUKEが組んでいたバンドkilled by myself(キルド バイ マイセルフ)とRONZIとMAKOTOが組んでいたバンドがたまたま同時期に解散し、意気投合したTOSHI-LOW、DAISUKE、RONZIにNABEが加わり、この4名によりBRAHMANは結成された。なお、MAKOTOは後に加入することとなるが、結成当時は加入していなかった。翌年1996年にはミニアルバム『grope our way』でCDデビューを果たした。

BRAHMANがバンドブームの火付け役となった2000年代

左から順にRONZI、KOHKI、TOSHI-LOW、NABE

メジャーデビューを果たし、バイトをしながらライブ活動を行うような日々からやっと抜け出せたBRAHMANだったが、デビュー翌年の1996年にDAISUKEが脱退。1997年にKOHKIが加入するまでは、TOSHI-LOWがギターとヴォーカルを担当し、一時的にスリーピースバンドとして活動。KOHKI加入後は、再びTOSHI-LOWはヴォーカルのみに専念し、以後はBRAHMANでギターを弾くことはほとんどない。さらに、ヴォーカルのみを担当しているにも関わらず、スタンドマイクを使うことも少なくなく、観客席に飛び込んでいくなど、パフォーマンスに激しさも増した。また、KOHKI、RONZI、NABEもヘッドヴァンキングを行いながら演奏するなど、かなり激しいパフォーマンスの一方、MCを全く行わずに1曲目からアンコールまで演奏のみということも珍しくなく、演奏者だけではなく観客席にいるファンも体力がいることで有名だった。2000年頃から日本各地でAIR JAMなどの大型フェスや、地方のライブハウスでの演奏が流行ってくる中、BRAHMANはその筆頭を走り続け、ロックバンドのライブの形を確立してきた。

大きな機転となった東日本大震災

被災地の学校を訪れ、少年にギターを教えるTOSHI-LOW

2011年、TOSHI-LOW自身が「かつてバンドを始めた学生の頃に思い描いていた大人とは違うんじゃないか」、「お金を稼ぐために音楽をやっているんじゃないのか」、という思いから音楽を辞めてしまおうかと思っていた矢先、東日本大震災が起こる。
BRAHMANの活動拠点である東京、TOSHI-LOWの地元である茨城も被害を受け、何よりも東北では仲間のバンドマンも多く活動していたことから、いの一番に東北にかけつけ、被災地支援を行った。この時のプロジェクトは、SPC代表の西片明人とTOSHI-LOWとを中心として後に「東北ライブハウス大作戦」と名付けられ、津波で何もかもが流された宮古、大船渡、石巻などにライブハウスを造り、BRAHMANは10-FEETやHi-STANDARDらと共に音楽やライブを通じて被災地支援を行った。
また、幡ヶ谷再生大学というTOSHI-LOWが通っていた東洋大学のサークルから名前をとり、「幡ヶ谷再生大学復興再生部」というNPO法人を設立。東北だけに限らず、熊本地震や西日本豪雨など災害で被災した地を支援している。

己の生き方を改めて見つめ直した4人

震災以降、マイクを持ったままTOSHI-LOW(画像中央)が観客席に飛び込むことが定番となったライブ

デビュー当時から2000年代までは、ライブ中MCをほとんど行わず曲だけを演奏し、その曲も怒りを込めたようなものが多かったBRAHMAN。しかし、東日本大震災を経て現地での被災地支援を経験してから「本当に自分たちはこれでいいのだろうか」と、BRAHMANは悩み始める。さらに、2012年にはNABEが脱退、直後に自殺してしまう。NABEと入れ替わるようにBRAHMAN結成時からのバンド仲間だったMAKOTOが加入。東日本大震災、NABEの自殺、MAKOTOと加入とめまぐるしく環境の変わった時期だったが、BRAHMANは立ち止まることなく突き進む。

BRAHMANのメンバー

現役メンバー

TOSHI-LOW(トシロウ)

ヴォーカル担当。茨城県水戸市出身で1974年11月9日生まれ。
2003年に女優のりょうと結婚している。
プロレスファンで、自身も筋トレなどを好んで行っており「年齢を考えるとありえない筋肉量の多さ」という意味から、仲間やファンからは鬼と呼ばれているほど筋肉質な体をしている。
その一方で、息子が中学生になると毎日お弁当作りを買って出ており、その腕前は料理本を出す程である。2019年には、鬼というニックネームからとり「鬼弁~強面パンクロッカーの弁当奮闘記~」という料理本を出版し、話題となった。
妻のりょうも女優という職業柄忙しい日々を送っているため、TOSHI-LOWは全国ツアー中にも関わらず、一度自宅へ戻り子供の学校行事に参加し、翌日にはまた別のライブ会場へ移動していることなどがライブのMCでも語られていた。

KOHKI(コーキ)

ギター担当。和歌山県出身で1975年7月13日生まれ。
一見、荒々しいパフォーマンスをしがちに見えるが、実はBRAHMANいち繊細かつ正確な演奏能力を持っている。
また、妻 香もライブ会場に度々訪れておりファンの間でも2人のラブラブっぷりは有名である。

MAKOTO(マコト)

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