チャットモンチー(CHATMONCHY)の徹底解説まとめ

チャットモンチーとは日本のスリーピースロックバンドで、Vo&Gの橋本絵莉子を中心に2000年に結成された。2005年にKi/oon Recordsから、ミニアルバム『chatmonchy has come』でメジャーデビューを果たす。2011年9月、Drの高橋久美子が脱退。以降、Baの福岡晃子がDrに転向する。その後、サポートメンバーを迎えて活動していたが、2018年7月、「チャットモンチーの徳島こなそんそんフェス2018 ~みな、おいでなしてよ!~」の2日目終了を以て、正式に完結した。

2018年6月に発売された完全生産限定のアナログ盤でチャットモンチー最後のシングル。
デジタル楽器を多用した「メカットモンチー」スタイルで作り上げられた楽曲。

チャットモンチーの名言・発言

橋本絵莉子「『ヒラヒラヒラク秘密ノ扉』はライブで何度もやめてしまいたいと思った」

「ヒラヒラヒラク秘密ノ扉」は、テレビ朝日系『ミュージックステーション』で初めて演奏された。
その際、3人はテンポの速さや歌詞を一息で歌わなければいけないことから「自分たちで作ったにもかかわらず演奏が難しい曲」と話している。
橋本は「『ヒラヒラヒラク秘密ノ扉』はライブで何度もやめてしまいたいと思った」と語っていた。

福岡晃子「乙女団とのレコーディングは言葉にしなくてもわかるというような感じだった」

『ときめき / 隣の女』のレコーディングにサポートメンバーの世武裕子と北野愛子の「乙女団」が参加した際、福岡晃子は「男陣(サポートメンバー恒岡章・下村亮介)とのレコーディングを経験していたので、いろいろスムーズだったし、それに加えて女性ならではの決断の早さがあった。性格的にも4人が合っていて、乙女団とのレコーディングは言葉にしなくてもわかるというような感じだった」と語っていた。

チャットモンチーの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

リー大・橋本は筋金入りの人見知り

リーダーである橋本絵莉子は本人も認めるほどの人見知りなのだが、高校時代、音楽の道に進むことを決心した橋本絵莉子は進路希望用紙を白紙で提出したという逸話を持っている。

地元徳島に対する誇り

出身県である徳島での活動を大切にしており、特にFM徳島とのつながりは強固である。番組やイベントにも多数出演しているほか、2017年3月にはFM徳島が毎年発行しているスケジュールノートにおいてイラスト表紙などのコラボレーションが実現している。

デビュー前のイベントで審査員から「君らみたいなバンドはごまんとおるから」と批評

福岡晃子(左)、高橋久美子(中)、橋本絵莉子(左)

デビュー前の2004年、「徳島はな・はるバンドコンテスト」に出場したときのこと。福岡晃子は「演奏がボロボロだった」ので早々に帰ろうとしたが、グランプリを獲得してしまった。
しかし、大手レコード会社の審査員に「君達しかマシなバンドがおらんかったけん(グランプリは)君らにしたけど、君らみたいなバンドはごまんとおるから」と言われたので、「トロフィー放って帰ったろかと思った」と語っている。
しかし、翌年の同イベントではメインステージのセミファイナルという位置を獲得している。

解散ではなく完結

福岡晃子(左)、高橋久美子(中)、橋本絵莉子(右)

チャットモンチーはデビュー記念日である2017年11月23日に、オフィシャルサイトにて「LAST ALBUM RELEASE IN 2018」という告知を掲載。
メンバーの橋本絵莉子と福岡晃子が「この度私たちは、2018年の7月をもってチャットモンチーを完結させようと思います」と解散する旨を連名で発表した。
解散理由については「今年の全国ツアー中、ツアーが終わったら次にどういうことをやろうかと考えているうちに、チャットモンチーという名前を脱いだ方が新しいところへいけるのではないかと思い始めました」と語っている。
チャットモンチー最後のライブとなった「チャットモンチーの徳島こなそんそんフェス2018 ~みな、おいでなしてよ!~」には、2011年に脱退した高橋久美子もサプライズでDrを演奏している。
本人たちは解散ではなく、完結と表現している。途中脱退したメンバーのことも、チャットモンチー(済)と表現している。

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