はいからさんが通る(漫画・アニメ・ドラマ・映画)のネタバレ解説・考察まとめ

『はいからさんが通る』とは、大和和紀による少女漫画作品、およびそれを原作としたテレビドラマ、アニメ、実写映画、舞台などのメディアミックス作品。大正時代を舞台とし、大正デモクラシーやシベリア出兵、関東大震災という激動の時代に翻弄されながら互いを想う一組の男女と、彼らを取り巻く周囲の人々の姿を描くラブコメディ。大正時代に流行した民間風俗や、連載当時に人気を博したサブカルチャーを織り交ぜ、恋愛漫画でありながら鋭いギャグや大胆なパロディを含む作風が人気を呼んだ。

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冬星の母

CV:島本須美(劇場アニメ版)

冬星の母。華族の令嬢だったが、16歳の時に銀行家の夫の元へ嫁いでいる。その際に夫ではない交際相手の子どもを身ごもっており、この時出産したのが冬星。贅沢好きで遊び惚けており、冬星が女嫌いになる要因を作った。

『はいからさんが通る』の用語

はいからさん

明治時代に西洋文化を取り入れた、新しくおしゃれな人を指す言葉。もともとは「high collar(高い襟)」という英語から来ており、洋風の服装や生活様式を好む人々を指した。作中、型破りな女性である紅緒をからかった忍が、彼女を「はいからさん」と呼んでいる。

冗談社(じょうだんしゃ)

冬星が経営する小さな出版社。紅緒とつめ子を含めて6人の社員で運営し、三流雑誌「冗談倶楽部」を発行している。

花村家(はなむらけ)

紅緒の生家。元は幕府の旗本。元々武家屋敷だった平屋の邸宅に暮らしている。

伊集院家(いじゅういんけ)

忍の生家。伯爵家。広大な庭を有する大きな邸宅に暮らしているが、忍の戦死後、財産がほとんど残されていないことが判明する。

狸小路家(たぬきこうじけ)

ミハイロフ夫妻が亡命してきた際に身を寄せた伯爵家。

『はいからさんが通る』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

紅緒と忍の出会いのシーン

紅緒と忍の出会い(劇場アニメ版)

数奇な運命に翻弄され、本当の意味で結ばれるまでに紆余曲折を経た紅緒と忍。そんな2人の関係は、木から落ちた紅緒を忍が通りかかるという、衝撃的な初対面から始まっている。祖父母によって取り決められた許嫁であったとはいえ、この「運命的」としか言いようのない出会いには、多くの少女が胸をときめかせている。

北小路 環「私達はひとりの人間として、女性として、ひとりの殿方を選ぶのです。平塚らいちょう先生もそう申されています。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く…」私達は殿方に選ばれるのではなく、私達が殿方を選ぶのです。そのための勉強ならいくらでもいたします。」

環が教師に抗議した時のセリフが「私達はひとりの人間として、女性として、ひとりの殿方を選ぶのです。平塚らいちょう先生もそう申されています。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く…」私達は殿方に選ばれるのではなく、私達が殿方を選ぶのです。そのための勉強ならいくらでもいたします。」というもの。物語の舞台である大正時代は、女性の立場は男性よりも弱いものだった。結婚も親が決めた相手とするもので、女性は夫に付き従うのが美徳とされていた時代だったのである。紅緒の親友である環は、優等生でありながら一人の人間としてその風潮を疑問視しており、女性解放運動などにも関心を持っている学生だった。
そうした事情から彼女は周囲から「はねっかえり」と扱われている紅緒と打ち解け、互いを心から案じる理解者となっていくのだ。
時代背景や他者の声に屈することなく、自分という一人の人間の生き方を尊重する彼女たちの強さは、多くの読者の衝撃と共感を呼んでいる。

ラリサの最期

関東大震災に見舞われた東京。ラリサは落ちてきたシャンデリアから忍を庇って命を落としてしまう。彼女は死の間際、「やっとサーシャの元へいける」と零し、自分を案じて駆け寄る忍に「あなたの恋を取り戻して」という遺言を残している。義兄の忍を自らの夫に仕立て上げていたラリサだが、それは本来の夫であるサーシャを失い、彼を愛するがゆえに瓜二つの忍を自身の傍に置いて傷を癒していただけだった。
最期に自分のそばにいてほしい、という要求ではなく、紅緒の元に行くべきだ、と背中を押した彼女の言葉からは、彼の人生を縛っていた自覚と罪悪感を抱えていたことが伝わってくる。

『はいからさんが通る』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

TAMTAM
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@tamtam

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