
Elton John(エルトン・ジョン)は、イギリス・ミドルセックス州出身のシンガーソングライター、ピアニスト。1969年にソロデビューを果たし、1970年に発表したアルバム『Elton John』が世界的ヒットを記録する。その後もコンスタントにアルバムを発表し続け、世界で最も成功した男性ソロ・アーティストの一人として名を連ねている。アメリカのシンガー・ソングライターのビリー・ジョエルと並び、20世紀後半から21世紀前半にかけて「ピアノ・ロック」というジャンルを確立した。
Elton John(エルトン・ジョン)の概要
Elton John(エルトン・ジョン)は、イギリスのミドルセックス州出身のシンガーソングライター、ピアニスト。4歳の頃からピアノを弾き始め、当時から音楽の才能は抜きんでたものがあり、耳で聴いた音楽を即座に再現できたという。
1960年に友人らと「コルヴェッツ」というバンドを結成し、主にアメリカのソウルやR&Bのミュージシャンのバックバンドとしての活動を経て、1969年にElton John(エルトン・ジョン)名義でソロデビューを果たす。
1970年にリリースしたアルバム『Elton John』が世界的な大ヒットを記録し、以降はグラミー賞に34回のノミネートと5回の受賞、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第38位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第49位、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第45位にランクインする偉業を成し遂げている。
アメリカ人シンガーソングライターのビリー・ジョエルと並び、20世紀後半から21世紀前半にかけて「ピアノ・ロック」という音楽ジャンルを確立したとされている。
1998年2月24日には長年の功績を称えられ、ポピュラー音楽の音楽家としては3人目となるナイトに叙勲された。
私生活では両性愛者であること、カナダ人映画監督、プロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュとパートナー関係にあることを公開している。
セレブとして目立ちやすい立場である上、辛辣な言動を取りがちなことから、ゴシップでもよくとりあげられる存在となっている。
取材に対しては饒舌に答えるため、それが原因となって事件を起こすこともしばしば。
しかし交友関係は非常に広く、多くのミュージシャンや、デヴィッド・ベッカムをはじめとするサッカー選手などとも親交がある。
2023年「家族との時間を作るため」として、全ての公演活動を引退するが、音源の制作などの活動は精力的に続けている。
Elton John(エルトン・ジョン)の活動経歴
誕生からバンド結成まで
1947年にイギリスのミドルセックス州で誕生する。4歳のころからピアノを弾き始め、耳で聴いただけのヘンデルの楽曲を完璧に弾いてみせたことでピアノ教師を驚かせた。
11歳の頃にイギリス王立音楽院に合格し、職業としての音楽を学ぶために6年間在学。バッハやショパンなどのクラシック音楽の演奏を得意としていた。
1960年に、友人と「コルヴェッツ」というバンドを結成し、ロンドンのホテルでの単独公演や、アメリカのソウルやR&Bのミュージシャンのバックバンドとしてツアーに帯同して経験を積む。
ソロデビューから世界的ヒット
1969年、シングル「レディ・サマンサ」とアルバム『エンプティ・スカイ』を録音してソロデビュー。このデビュー作は高い評価とは裏腹にレコードの売り上げに大きな伸びはなかったが、アメリカのロックバンド、スリー・ドッグ・ナイトが「レディ・サマンサ」をカバーしたことによって、Elton John(エルトン・ジョン)の名前は徐々に注目を浴び始める。
1970年にリリースしたセカンド・アルバム『僕の歌は君の歌』が全米で売り上げを伸ばし、ジョン・レノンをはじめとする数多くのミュージシャンからの称賛を得ることとなった。
躍進は続き、1975年のアルバム『キャプテン・ファンタスティック』が、全米ビルボードのアルバムチャートでは史上初となる初登場1位を記録。1974年に発売されたベスト盤の『グレイテスト・ヒッツ』は、自身のアルバムとしては最も大きな商業的成功を収め、米国ではベストセラーとなっている。
他のアーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組み、ジョン・レノンとのコラボ曲である「真夜中を突っ走れ」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」なども全米1位に輝いている。
また、この時期にはミュージシャン以外の活動も行っており、1975年に公開された映画『トミー』にピンボールのチャンプ役で出演を果たした。
心身の不調に苦しんだ1980年代
しかしこれらの順調な活躍ぶりの裏で、ハードなスケジュールで精神や肉体に疲弊していたジョンは引退を表明して、音楽活動を2年間休止。
活動休止期間を経て復帰したジョンは、1978年にアルバム『シングル・マン』を発表する。同時期にライブ活動も再開し、当時のソ連では初の西側ロックミュージシャンによるライブとなるモスクワ公演を行って話題を集めた。
1980年代を通してほぼ毎年ヒット曲を連発していたジョンだが、常に全盛期のイメージと比較されてしまうことに苦しんでいた。アルバムのセールスは1980年代の後半には大きく伸び悩み、さらに1987年に行った長期公演では喉を悪化させ、翌1988年に声帯の手術を行っている。私生活でもレコーディング・エンジニアのレネーテ・ブリューエルと結婚したが、結婚から4年後の1988年に離婚。1980年代後半のジョンは精神的に不安定な状態が続き、過食やアルコールの過剰摂取に悩まされていたという。
治療と復活
1990年に薬物とアルコール依存症、過食症の治療のため入院する。更生施設への入居を経て復活し、1992年リリースのアルバム『ザ・ワン』で再び好調なセールスと高い評価を得る。さらに、これまでに多くの友人、知人をエイズで亡くしてきた彼は、自らエイズ患者救援者団体「エルトン・ジョン・エイズ基金」を設立。1992年以降のシングルの全収益の寄付を始める。
1994年、ディズニー映画『ライオン・キング』の音楽を担当。この映画のサウンドトラックは全米チャート1位を記録し、最終的に30年以上に渡るジョンのキャリアの中で『グレイテスト・ヒッツ』に次ぐ商業的成功を収めることとなった。自身の歌唱による主題歌「愛を感じて(Can You Feel the Love Tonight)」もグラミー賞最優秀ポップ男性ボーカル賞とアカデミー歌曲賞を受賞している。
1998年にはヴェルディのオペラをモチーフにしたミュージカル『アイーダ』や、アニメ映画『エルドラド』のサントラ盤などの制作に取り組み、この2枚のアルバムの中で、スティングやジャネット・ジャクソン、シャナイア・トゥエイン、バックストリート・ボーイズなど共にデュエットも披露している。
結婚
2005年、イギリスで同性同士の準婚関係を認めるシヴィル・パートナーシップ法が制定されたことを機に、15年来のパートナーだったカナダ人映画監督、デヴィッド・ファーニッシュと男性同士で同契約を結び、事実上の「結婚」をしたことでも話題を呼んだ。
2007年3月25日の60歳の誕生日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで通算60公演目となる記念コンサート「60 in 60」を開催し、その模様を収めたDVDを発売。
このころには、ミュージシャンとしての活動と共に他の歌手への批判や中国のパパラッチに対する暴言などの奇行などが取り沙汰されることが増えている。
全盛期ほどのペースではないにせよ、着々とオリジナルアルバムの発表を続け、過去に発売されたアルバムのデラックス版やリマスター盤なども再発売、2004年から2008年にかけては、ラスベガスのシーザーズ・パレス・ホテル内のコロシアムで、セリーヌ・ディオンとの日替わりという形で定期公演を行っていた。
公演活動からの引退
2018年1月、ジョンは同年9月から開始する、3年超にわたる大規模な世界ツアーを最後に公演活動からの引退することを表明。
音楽活動そのものは続けることを宣言し、アルバムやミュージカルの制作は今後も関わっていくと説明した。
これについて、家族と過ごす時間を増やすことが理由であるとし、2010年に代理母出産でもうけた自身の子供の誕生で自身の中の優先度が変わり、「子どもをサッカー教室に連れて行くことが最も重要になった」と述べている。
この「さよならツアー」は新型コロナウイルスのパンデミックで幾度の延期を余儀なくされたが、2023年に無事完遂した。
2023年6月、グラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーのステージにて母国イギリスでの最終公演を行い、そして7月8日のスウェーデン公演をもって、52年間に渡るライブツアー活動に終止符を打った。
Elton John(エルトン・ジョン)のプロフィール・人物像

1947年3月25日、イギリスのミドルセックス州で誕生する。本名はレジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。
4歳からピアノを弾き始め、一度聞いたメロディーをすぐに再現できたことから「神童」と呼ばれ始める。
11歳の時にイギリス王立音楽学院に入学し、6年在籍したのちに友人たちと「コルヴェッツ」というバンドを結成。アメリカ人歌手のバックバンドなどで経験を積み、1969年にElton John(エルトン・ジョン)名義でソロデビューを果たす。
他のミュージシャンやパパラッチなどへの辛辣な言動が取り上げられがちだが、かつて同性愛者を揶揄する歌詞を書いたエミネムともコラボレーションし、「音楽性が優れたアーティストに協力するのは当然」として批判も意に介さない懐の深さも持ち合わせる。
両性愛者であることを公言し、15年来のパートナーであったカナダ人映画監督、プロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュと2005年に男性同士で結婚。2010年には代理母出産で男児を儲けている。
Elton John(エルトン・ジョン)のディスコグラフィー
アルバム
Empty Sky

1969年発売のファーストアルバム。当初はイギリスのみで発売されており、残念ながらほとんど注目されていなかったが、1975年にようやくアメリカなど各国で発売されて好セールスを記録している。
1.Empty Sky
2.Val-Hala
3.Western Ford Gateway
4.Hymn 2000
5.Lady What's Tomorrow
6.Sails
7.The Scaffold
8.Skyline Pigeon
9.Gulliver / 1It's Hay Chewed / Reprise
Elton John
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目次 - Contents
- Elton John(エルトン・ジョン)の概要
- Elton John(エルトン・ジョン)の活動経歴
- 誕生からバンド結成まで
- ソロデビューから世界的ヒット
- 心身の不調に苦しんだ1980年代
- 治療と復活
- 結婚
- 公演活動からの引退
- Elton John(エルトン・ジョン)のプロフィール・人物像
- Elton John(エルトン・ジョン)のディスコグラフィー
- アルバム
- Empty Sky
- Elton John
- Tumbleweed Connection
- Madman Across the Water
- Honky Chateau
- Don't Shoot Me, I'm Only the Piano Player
- Goodbye Yellow Brick Road
- Caribou
- Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy
- Rock of the Westies
- Blue Moves
- A Single Man
- Victim of Love
- 21 at 33
- The Fox
- Jump Up!
- Too Low for Zero
- Breaking Hearts
- Ice on Fire
- Leather Jackets
- Reg Strikes Back
- The Complete Thom Bell Sessions
- Sleeping with the Past
- The One
- Duets
- Made in England
- The Big Picture
- Songs from the West Coast
- Peachtree Road
- The Captain and the Kid
- The Union
- The Diving Board
- Wonderful Crazy Night
- Regimental Sgt. Zippo
- The Lockdown Sessions
- Who Believes In Angels?
- Elton John(エルトン・ジョン)の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- Your song
- Rocket Man
- Candle in the Wind
- Elton John(エルトン・ジョン)の名言・発言
- 「彼女に同情なんていらない、これはコンサートだ、いいか?」
- Elton John(エルトン・ジョン)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 実はギラギラのロック・ミュージシャンだったElton John(エルトン・ジョン)
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