King Crimson(キング・クリムゾン)の徹底解説まとめ

英国のプログレッシブ・ロックバンドグループ。5大プログレッシブ・ロックバンドの一つでもあるが、実験音楽としてジャンル分けされる事もある。伝説的ロックグループでもあり、1968年に結成以来、後世のミュージックシーンに多大な影響を与えている。メンバー構成が目まぐるしく変化するが、グループ創設の一人であるロバート・フリップだけがただ一人、オリジナルメンバーとして残っている。

1947年11月10日~2016年12月7日 イギリス・ドーセット州出身 担当:ベース、ヴォーカル
King Crimson結成時のメンバーにして、Emerson, Lake & Palmer (以下、ELP)の創設者でもある。
幼いころから音楽に親しみ、10代でベースを弾き始める。1968年、フリップの誘いでKing Crimsonの結成に参加する。1970年発表の2ndアルバム「In The Wake Of Poseidon」レコーディング中にキース・エマーソンとELP結成に誘われて、グループを脱退している。
その後、ELPのベーシストとして活躍。
2016年12月、癌のため逝去。

ジョン・ウェットン(John Kenneth Wetton)(1973年~1975年在籍)

1949年6月12日~2017年1月31日 イギリス・ダービー州出身 担当:ベース、ヴォーカル
アルバム「Larks' Tongues in Aspic」から「Red」までの間、グループに参加した。技巧的なベース演奏は高い評価を得ており、その為King Crimsonの他にもAsiaやU.K.などと言った有名バンドを渡り歩いている。
晩年は病気を患う事が多くなり、2006年には、心臓のバイパス手術を受けている。2017年、大腸がんのため逝去。

ビル・ブルーフォード(William Scott Bruford)(1972年~1997年在籍)

出典: blogimg.goo.ne.jp

1949年5月17日 イギリス・ケント州出身 担当:ドラムス
King Crimsonのみならず、Yes、Genesisなど、名だたるプログレッシブ・ロックバンドを渡り歩いた、伝説的ドラマーとして有名である。
幼少の頃よりジャズが好きで、歯ブラシをスティック代わりにして、ジャズのレコードに合わせて演奏していたと言う。
目立った活動は、1968年のYesに参加から始まる。その後1972年まで在籍し、Yesの黄金時代を支えた。King Crimsonには20年以上在籍しているが、グループが解散・再結成を繰り返す為、その合間に他のバンドに参加したことも多く、特にジョン・ウェットンと結成したU.K.は、当時スーパーバンドともてはやされた。1974年のKing Crimson二度目の解散時には、フィル・コリンズの紹介で、Genesisのドラマーとして活躍している。
プレイスタイルは、極端な速さを求める傾向ではなく、複雑な変調リズム、いわゆるポリリズムを正確無比に刻む、非常に高度で堅実なプレイをする。これは、フリップのギター・プレイスタイルと非常に似ており、その為に、フリップが長年メンバーとして受け入れてきた一因とも言われている。
1997年の脱退以降、ロック・ミュージックシーンからは距離を置いており、もっぱら、コンテンポラリー・ジャズのジャンルで音楽活動を行っている。

エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)(1981年~2008年在籍)

1949年12月23日 アメリカ・ケンタッキー州出身 担当:ギター、ヴォーカル
幼少よりジャズを好み、最初に取り組んだ楽器はドラムスであった。しかし、単核白血球増加性という難病を患い、入院生活を送る際にギターを弾き始めた。
退院後は、プロミュージシャンを目指していた。転機は1977年、ナッシュビルのクラブでローカルバンドの一員として演奏していたところを、フランク・ザッパに認められ、オーディションに誘われた時にあらわれる。その後、無事オーディションを通過した彼は、フランク・ザッパ・バンドの一員として活躍する。
1979年に、ザッパ・バンドでのライブ演奏をブライアン・イーノに見初められ、その当時、デヴィッド・ボウイが自身のバンドのギタリストを探していたが、イーノの口利きで、メンバーとして参加する事になった。
その後、1980年までデヴィッド・ボウイの元で活躍。その後、イーノの紹介で、ロバート・フリップと出会う。その時、フリップは新バンド”Disciple”立ち上げを計画しており、そのギタリストとして招聘されたのが、King Crimson参加のきっかけとなる。
オーソドックスだが堅実なギターテクニックを持っているが、持ち味は、多彩なエフェクターを駆使しての効果音を奏でる事で、アルバム「Discipline」の1stトラック「Elephant Talk」では、エフェクターを使った像の鳴き声をギターで再現している。
また、King Crimsonではリード・ヴォーカルとしても活躍。メロウで伸びやかな歌声を披露している。
2008年グループ解散後、事実上の脱退をしたと言われており、2015年の再結成には応じていない。

トニー・レヴィン(Tony Levin)(1981年~1984年、1994年~1997年、2003年~2008年、2015年~現在在籍)

1946年6月6日生まれ アメリカ・マサチューセッツ州出身 担当:ベース
幼少より、クラッシック音楽を親しんできた。10歳よりコントラバスをはじめた。
イーストマン音楽学校に在籍中に、ジャズ・ドラマーのスティーブ・ガッドに出会い、ジャズやフュージョンへ転向する。
1970年代からプロのミュージシャンとして活動を始めたが、当初はスタジオ・ミュージシャンとして活躍しており、ポール・サイモンやレノン&ヨーコのアルバム作りにも参加している。
1977年にGenesisを脱退し、ソロとして活動をし始めたピーター・ゲイブリエルのバンドへ参加して以来、一緒に活動を共にしている。
King Crimsonには1981年に加入。当時は、Discipleのベーシストを探していたフリップに、ゲイブリエルが紹介したことが経緯である。その後、グループの解散時期も含めて、何度かグループ離脱を繰り返している。
エレクトリック・ベースのみならず、コントラバス、チャップマン・スティック、チェロなど、多彩な楽器を奏でる。彼の奏でる音は非常に広く多彩であることが特徴で、幅広いジャンルに適応出来ることから、フリップやゲイブリエルに好まれている。

主なアルバム

In The Court Of The Crimson King

1. 21st Century Schizoid Man including Mirrors
2. I Talk to the Wind
3. Epitaph
a. March for No Reason
b. Tomorrow and Tomorrow
4. Moonchild
a. The Dream
b. The Illusion
5. The Court of the Crimson King
a. The Return of the Fire Witch
b.The Dance of the Puppets

King Crimsonの1stアルバム。1969年発表。全英チャート最高5位。
「キング・クリムゾンは一部の人から尊大であると非難されるだろう。だが、そういった批判は実に不当だ。彼らはエネルギーと独創性を持ったシュールな作品を創作するために、あらゆる音楽スタイルの要素を組み合わせたのだ。」とローリングストーン誌のジョン・モースランドは、当時このアルバムについてこう述べている。
このアルバム以前に、アンダーグラウンド・シーンでのサイケデリックな音楽としての、プログレッシブ・ロックのひな形的存在はあった。ピンク・フロイドなどの、実験的音楽を行うグループも登場し始めた矢先、‘60年代の英国ロックで主流だったブルース調の傾向に反して、ジャズやクラッシックと言った要素をロック世界に持ち込んだこのアルバムの影響は大きく、その衝撃は、プログレッシブ・ロックと言う新しい音楽の創造へとつながる。
非常に目を引くライナージャケットも有名。イギリスのアーティスト、バリ―・ゴッドバーの自画像と言われるこの絵は、このアルバムを表願するには、あまりにも的確に表現されたものである。
グループ名の「King Crimson」は、このアルバム名からとられたものである。

In The Wake Of Poseidon(邦題:ポセイドンの目覚め)

1. Peace – A Beginning
2. Pictures of a City including 42nd at Treadmill
3. Cadence and Cascade
4. In the Wake of Poseidon including Libra's Theme
5. Peace – A Theme (instrumental)
6. Cat Food
7. The Devil's Triangle (instrumental)
a. I. Merday Morn
b. II. Hand of Sceiron
c. III. Garden of Worm
8. Peace – An End

グループの2ndアルバム。1970年リリース。
“フリップ・バンド”と揶揄される事が多いKing Crimsonだが、発足当時はイアンの方が主導権を持っていた、とも言われている。しかし、フリップの独特な価値観や長く続いたツアーの疲れもあって、イアンはグループ活動から身を引く事になった。同時に、グレッグ・レイク(ボーカル、ベース)と、マイケル・ジャイルズ(ドラムス)も脱退。
このアルバムでは、新たにキース・ティペット(ピアノ)、ゴードン・ハスケル(ボーカル)を迎えての陣容で作られた。ちなみに、アイランドとの契約の問題で、グレッグとマイケルも、レコーディングには参加している。
全英チャート4位を記録するこのアルバムは1stアルバムよりも上位にランクインしたが、評価は分かれる。前作での音楽的支柱だったイアン・マクドナルドのメロウなラインが影を潜め、更にジャズの要素を前面に打ち出した感じの実験的要素が強くなっている。

Larks’ Tongues in Aspic(邦題:太陽と戦慄)

出典: pbs.twimg.com

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