King Crimson(キング・クリムゾン)の徹底解説まとめ

英国のプログレッシブ・ロックバンドグループ。5大プログレッシブ・ロックバンドの一つでもあるが、実験音楽としてジャンル分けされる事もある。伝説的ロックグループでもあり、1968年に結成以来、後世のミュージックシーンに多大な影響を与えている。メンバー構成が目まぐるしく変化するが、グループ創設の一人であるロバート・フリップだけがただ一人、オリジナルメンバーとして残っている。

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2000年に、12thアルバム「the construKction of light」をリリースするが、ProjeKct X名義となっているのには理由がある。ドラムスのビル・ブルーフォードが、自身のバンドEarthworksの活動に専念したいと脱退。また、トニー・レビンも、盟友ピーター・ゲイブリエルの先約があるため、グループを離脱。6人揃っての活動を望んでいたフリップにとって、King Crimson名義でのアルバム作成は出来なかったと言われている。

ヌーヴォー・メタルへの傾倒(2001年~2008年)

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更なるヌーヴォー・メタルの音を追及する事に注力していくフリップは、2001年より、次作に向けたアイディア集めのための短期ツアーを行いながら、レコーディングを開始する。2013年、彼が追求してきたヌーヴォー・メタルの集大成と言われる、13thアルバム「The Power To Believe」を発表。同年、ワールドツアーを実施する。
しかしここで、ベーシストのトレイ・ガンが脱退。代わりに、トニー・レビンが復活。しかし、翌年から開始した、新しいメンバーでのリハーサルが思い通りにいかず、結局バンドは再び活動休止になる。
2008年には、新たにドラマーとしてギャヴィン・ハリソンを迎え、新たに活動を開始する計画を立てていたが、フリップとエイドリアン・ブリューとの確執が表面化。活動計画も頓挫してしまう。

2011年~

2011年、King Crimson結成当時のメンバーだった、ピーター・ジャイルズ、イアン・マクドナルドなどを集めて、”King Crimson Project”を結成する。同年、「A Scarcity Of Miracles」をリリース。着々と、再活動への準備を進めていくが、翌2012年、フリップは「ユニバーサル・ミュージックとの出版権、及び所有権について法廷闘争をする事になり、そちらに専念するため。」としてバンド活動の終了と、音楽活動からの引退をも宣言してしまう。
しかし、翌2013年にユニバーサル・ミュージックとの争いに決着がつくと、バンド事務所のデイヴィッド・シングルトンが、トリビュート形式でのKing Crimsonの活動再開を計画。それにフリップも同意し、引退宣言を撤回。2014年にライブ活動を再開する。
しかし、グループとしての活動はライブなどに留まっており、アルバムは、2003年の「The Power To Believe」以降作られていない

主なメンバー

King Crimsonのメンバーとして正式にクレジットされている人数でも30名近くに上る。その為、ここではグループを支えた主要なメンバーのみ説明する。

ロバート・フリップ(Robert Fripp)

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1946年5月16日 イギリス・ドーセット州出身 担当:ギター
11歳の時初めてギターを手にし、地元のギター教室に通い始める。元々左利きだったと言う彼だが、ギターを弾くために、右利きに直したと言う。最初は、チャック・ベリーやエルビス・プレスリーの音楽に興味を持っていたが、その後、クラシック・スタイルを学ぶために、フラメンコ・ギターに傾倒していた時期があったと言う。
18歳でボーンマスにあるマジェスティック・ホテルのジャズバンド専属ギタリストとなる。前任者がアンディ・サマーズたっだが、彼がバンドと折り合いがつかず脱退する事になり、その後任として選ばれた。
その後、1967年にジャイルズ兄弟とGiles Giles & Frippを結成、これがKing Crimsonの母体になった。
King Crimsonただ一人のオリジナル・メンバーであり、リーダーであり続けている。時に、強権的なリーダーシップを見せ、メンバー構成、グループの活動計画すべてが彼の意向に拠る事から、King Crimsonを「フィリップ・バンド」と揶揄される事もある

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ギターのプレイスタイルは、ロック・ギタリストとしては非常に珍しく、常に椅子に腰を掛けて演奏する。グループ主宰者としての強権的な振る舞いとは裏腹に、リード・ギター的な主張のあるプレイスタイルではなく、ギターソロもまれで、機械的な正確さでピッキングを繰り返す、いわゆるシーケンス・フレーズの正確さを持ち味としている。特に、プログレッシブ・ロックの持ち味である、変拍子も含んだ複雑な曲構成を、間違いなく正確に一曲通してピッキングするその技術は、驚異的とも言われる。
5大プログレッシブ・ロックバンドの一つに挙げられるKing Crimsonだが、本人はプログレッシブ・ロックのジャンルにカテゴライズされる事を好まないと発言をしており、「実験音楽家」と名乗る事もあった。

椅子に座って演奏するロックンローラー、複雑な旋律をピッキングで休みなく、ワンフレーズ間違う事なく演奏するテクニック、毎日8時間ギターの練習をする等、逸話に尽きない人物でもある。正確無比なその演奏技術を見て、ジミ・ヘンドリックスが、「心臓に近い左手で握手してくれ(心臓の鼓動に、その性格無比なピッキングテクニックを焼き付けたい、と言う揶揄)。」と言う逸話も残っている。
完璧な演奏技術と相まって、音楽に対する取り組みも非常にストイックで妥協を試みないと言われており、その為、他のメンバーが追従できない事もしばしばで、その為、長期にわたって在籍した者が居ない。また、自身で納得できないメンバーに対して解雇すると言う、強権的な態度をとる事もしばしばある。

出典: i.dailymail.co.uk

しかし、多くのアーティストとの交流は非常に盛んに行っており、コラボレートやセッションで組んだ相手も、デヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、ピーター・ガブリエル、ダリル・ホール、デヴィッド・バーン(Talking Heads)、アンディー・サマーズ(The Police)、デヴィッド・シルヴィアン(Japan)など、そうそうたる面々である。また、2017年に、デヴィッド・ボウイを偲んでの、トリビュート・アルバム「HEROES」を発表している。
ローリングストーン誌が選ぶ「最も偉大な100人のギタリスト」2016年で42位。

マイケル・ジャイルズ(Michael Rex Giles)(1969年在籍)

1942年3月1日 イギリス・ハンプシャー州出身 担当:ドラムス
King Crimsonの創設者の一人で、初代ドラマーである。10代の頃よりドラマーとして活動し始め、1964年より、ベーシストで弟のピーター・ジャイルズと共にプロとして活動を始める。幾つかのバンドでの経験を経た後、1967年、自身のバンドを立ち上げる為、ピーターのバックボーカルとオルガンが弾けるメンバーを募集した処、ロバート・フリップと出会う。
1969年の「In The Court Of The Crimson King」発表の後に、フリップとの意見の違いによりグループを脱退。その後、セッションミュージシャンとして、ロジャー・グローヴァー、アンソニー・フィリップス、ブライアン・フェリーなどの作品に参加している。
2012年のローリングストーン誌が選ぶ「最も偉大な100人のドラマー」で49位に選ばれた。

グレッグ・レイク(Greg Lake)(1969年~1970年在籍)

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