キング・クリムゾン(King Crimson)とは、英国のプログレッシブ・ロックバンドである。5大プログレッシブ・ロックバンドの一つでもあるが、実験音楽としてジャンル分けされる事もある。伝説的ロックグループでもあり、1968年に結成以来、後世のミュージックシーンに多大な影響を与えている。メンバー構成が目まぐるしく変化するが、グループ創設の一人であるロバート・フリップだけがただ一人、オリジナルメンバーとして残っている。
King Crimson(キング・クリムゾン)の概要
キング・クリムゾン(King Crimson)とは、1968年12月に結成されたイングランド(イギリス)出身のロック・バンドである。同国のミュージシャンであるロバート・フリップが主宰(リーダー)を務めていることで知られ、活動は中断期間や幾度もの再結成を挟みながら50年以上に及び、ロック史に大きな足跡を刻んでいる。
一般的に彼らのジャンルはプログレッシヴ・ロックと格付けられており、同分野で重要な位置を占めるグループの一つとされている。しかし、リーダーのロバート・フリップ自身は、自分たちの音楽はどんなジャンルにも当てはまらない進化し続ける音楽だとして、そのジャンル分けを否定している。
1969年、イアン・マクドナルドとピート・シンフィールドが楽曲の中心的な役割を担ったアルバム『クリムゾン・キングの宮殿(In The Court Of Crimson King)』でデビューを果たした。このアルバムは、当時チャートで1位に君臨していたザ・ビートルズの『アビイ・ロード(Abby Road)』を1位から引きずり下ろしたと言われている。これについては明確な証拠がなく、都市伝説として扱われたりしているものの、間違いなくロックの歴史に残る名盤として高く評価されている。
以降、リーダーのロバート・フリップはバンドのメンバーを次々と替えていき、音楽性も多様に変遷を辿った。オリジナル期はいわゆる普通のバンド編成であったが、再々結成後のアルバム『ディシプリン』の時にはアメリカ人のメンバーを入れた4人編成に変化した。その後もトリオをふたつ組み込んだダブルトリオ編成(つまりドラマーが2人)を採用するなど、変幻自在なスタイルを展開した。
その後も活動の中断と再結成を繰り返しており、ライブツアーのために2013年にまた再結成をした。その際にはドラマーが3人の「トリプルドラム」になっており、メンバーも7人と大人数である。
このように、常に編成や表現を進化させながら強烈な存在感を放っていたキング・クリムゾンだったが、2021年の北米ツアーの際に年長メンバーの高齢化を理由に最後にツアーになることを示唆。同年11月より開催された来日ツアーでも、ロバート・フリップはツアーの全行程を「日本で幕を閉じる」と述べている。
その後のバンドの状況については、メンバーのギャヴィン・ハリソンが音楽メディアの取材で「ロバート・フリップは物事をプロジェクト単位(○○年周期)で考えるため、継続なのか解散なのかといった判断はしない」と述べている。
King Crimson(キング・クリムゾン)の活動経歴
結成から1969年
King Crimsonは、イギリス・ドーセット州ボーンマスで活躍していたミュージシャン、マイケル・ジャイルズとピーター・ジャイルズの兄弟が、ピーターのバックアップ・ボーカルとオルガンが弾けるミュージシャンを新聞広告で募集したところ、ロバート・フリップがこれに応募し、1967年に結成されたGiles Giles & Frippが母体となっている。その年に、イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールド、そして女性ボーカリストのジュディ・ダイブルが加わり、初期のKing Crimsonのひな形が生まれる。
しかし、翌1968年ダイブルが脱退。ボーカル兼ベーシストとしてグレッグ・レイクが加入し、ピーター・ジャイルズが脱退して残った5人態勢が、発足当時のKing Crimsonの正規メンバーとされている。
同年10月、デビューアルバム「In The Court Of The Crimson King」(邦題:クリムゾン・キングの宮殿)をリリース。この時に、バンド名がKing Crimsonと決まった。
「バルトークとコルトレーンと『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』の向こう側に何か新しい世界がある」を合言葉に制作されたこのアルバムは、ロック・ミュージック界に激震を起こす。当時のロック・ミュージックシーンは、「即興演奏至上主義」ともとれる演奏形態が流行っていたが、ロバート・フリップは、クラシック音楽の壮大かつ複雑な構成法をロックに導入すると言う、真逆の方法をとる。この前代未聞の実験的サウンドが大評判となり、全英アルバムチャート5位を記録。”プログレッシブ・ロック”と言うジャンルを確立する事になった。
しかし、1stアルバムリリース直後、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズが脱退する。King Crimsonはメンバーの入れ替わりが非常に激しく、既にこの時点で、オリジナルメンバーはフリップ1人だけとなってしまう。その為、”ロバート・フリップ・バンド”と揶揄される事もあるKing Crimsonだが、「In The Court Of The Crimson King」作成時点でのバンド内での力関係は、イアンの方が強かったと言われている。彼は、同アルバムで作曲・アレンジを行っており、またサックス、フルート、キーボード、ビブラフォーンなどを弾きこなせるマルチプレイヤーと言う彼の才能が、アルバムに与えた影響も大きく、彼の主導で新たな音楽ジャンルが生まれたと考えられている。
1970年~1972年
すでにこの時点で、バンドにはオリジナルメンバーがフリップ1人きりになってしまったが、「In The Court Of The Crimson King」をアイランド・レコードからリリースする際の契約から、引き続きアルバムをリリースる必要があり、フリップはグレック・レイク、マイケル・ジャイルズ、イアン・マクドナルドを再度招聘。1970年、2ndアルバム「In The Wake Of Poseidon」(邦題:ポセイドンのめざめ)をリリースする。しかし、アルバム制作後はフリップ以外のメンバー全員がグループを離れる。ここに、King Crimsonのメンバーの入れ替わりの変遷が始まる。
その為、バンド初のライブ・ツアーは1971年の3rdアルバム「Lizard」の発表の後になる。同年秋には、4thアルバム制作開始と共に、初の北米ツアーを開催するが、この頃から2ndアルバムから招聘したキーボード・プレイヤーのピート・シンフィールドとフリップの折り合いが悪くなっていき、アルバム「Islands」発表後、フリップはシンフィールドを解雇。しかし、マネージメント側から向こう3か月のバンドとしての活動契約が残っている、との主張より、しぶしぶ北米ツアーを同道する。
北米ツアーが終わった1972年、フリップはバンドを解散。後にフリップはこの解散劇を、「彼ら他メンバーとは、アイデアを具体化できなかったため。」と言っている
1973年~1974年
北米ツアー中から、次期King Crimsonの青写真を描いていたフリップは、それに相応しいメンバーの人選を始める。1972年夏、ドラマーに「Yes」のビル・ブルーフォードを引き抜き、ベーシストに、ジャズバンド「Family」でベーシストを務めていたジョン・ウェットンを招聘。また、パーカッショニストのジェイミー・ミューアとヴァイオリストのデヴィッド・クロスをメンバーに加え、第二次King Crimsonの出発をしている。
出典: www.slate.com
この体制で、1973年「Larks' Tongues in Aspic」(邦題:太陽と旋律)、1974年には「Starless And Bible Black」(邦題:暗黒の世界)と「Red」をリリース。特に、5thアルバム「Larks' Tongues in Aspic」は、「ロック史上の名盤の一つである、1st アルバム『In The Court Of The Crimson King』と比肩する」と評価されており、King Crimsonの傑作のひとつに挙げられている。
この3年間のグループ活動は、脱退したメンバーも少なく、フリップとしては音楽活動に注力出来た時期だった。「Red」のレコーディングでは、1stアルバム作成時のメンバーだったイアン・マクドナルドをゲストとして招いたり、他の有名アーティストとも積極的に交流している。
しかし、平和は長く続かなかった。「Red」のレコーディング直後、フリップはバンド解散を宣言。自分だけでもメンバーから脱退を考えていたほどのフリップは、解散後「もうギターは弾かない」とまで語っており、事実上の引退を宣言していた。しかし、デヴィッド・ボウイやブライアン・イーノなどが呼びかけ、音楽活動に復活。この時期は、イーノとのコラボレートアルバム制作(1975年)や自身のソロアルバムの制作(1979年)などを行っている。
1980年代のニューウェーブ期
1974年に引退宣言までしたフリップだが、他のアーティストとの交流を通しての音楽活動を行ってきた結果、70年代後半から再び、グループ活動を志向し始める。ドラマーのブルーフォードの他に、ブライアン・イーノの紹介で、フランク・ザッパの門下生であったエイドリアン・ブリュー、そしてベーシストとして、ピーター・ゲイブリエルを通して共演歴のあった、トニー・レヴィンと共に、新グループ「Discipline」を立ち上げる。
自身の音楽を、プログレッシブ・ロックと言う枠組みに当て嵌められるのを嫌い、常に新しい音を探していたフリップは、当初King Crimsonの名前を新グループに使う事を嫌っていたが、1981年の8thアルバム「Discipline」を発表する際、プロモートの面などからKing Crimson名義での活動をする事になった。
しかし、新しいアルバムは賛否両論の評価を迎える。当時のムーヴメントだったニューウェイブを取り入れたアルバムを歓迎する一方で、「King CrimsonのTalking Heads(ロックの殿堂入りもしているアメリカのバンド)化だ」との批判もあり、特に「Discipline」の前にリリースされていた「Remain In Light」(Talking Headsのアルバム)と比較され「二番煎じだ」との酷評もある。
この様な評価を受ける中、翌1982年に9thアルバム「Beet」を、1984年には10thアルバム「Three of a Perfect Pair」をリリース。「Discipline」からジャケットが、それぞれ赤・青・黄で表現された80年代の三部作を、「ニューウェーブ時代の三部作」とも呼ばれている。これについてフリップは、「レーベルとの契約には、アルバム3枚リリースが条件だった。本来意図したアイデアは『Disciple』で完結している」と後年述べている様に、本人としては意図した活動ではなかったらしく、「Three of a Perfect Pair」をリリースした同年7月、グループを再度解散させた。
ダブルトリオ時代(1994年~2000年)
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目次 - Contents
- King Crimson(キング・クリムゾン)の概要
- King Crimson(キング・クリムゾン)の活動経歴
- 結成から1969年
- 1970年~1972年
- 1973年~1974年
- 1980年代のニューウェーブ期
- ダブルトリオ時代(1994年~2000年)
- ヌーヴォー・メタルへの傾倒と活動休止(2001年~2008年)
- トリプルドラム編成での再始動(2011年~2016年)
- ダブルカルテット編成と結成50周年(2017年~2020年)
- ツアーの終焉とプロジェクトの今後(2021年~)
- King Crimson(キング・クリムゾン)のメンバー
- ロバート・フリップ(Robert Fripp)
- マイケル・ジャイルズ(Michael Rex Giles)(1969年在籍)
- グレッグ・レイク(Greg Lake)(1969年~1970年在籍)
- ジョン・ウェットン(John Kenneth Wetton)(1973年~1975年在籍)
- ビル・ブルーフォード(William Scott Bruford)(1972年~1997年在籍)
- エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)(1981年~2008年在籍)
- トニー・レヴィン(Tony Levin)(1981年~1984年、1994年~1997年、2003年~2008年、2015年~現在在籍)
- King Crimson(キング・クリムゾン)のディスコグラフィー
- 『クリムゾン・キングの宮殿』 (In The Court Of The Crimson King)
- 『ポセイドンのめざめ』(In The Wake Of Poseidon)
- 『リザード』(Lizard)
- 『アイランズ』(Islands)
- 『太陽と戦慄』(Larks’ Tongues in Aspic)
- 『暗黒の世界』(Starless and Bible Black)
- 『レッド』(Red)
- 『ディシプリン』(Discipline)
- 『ビート』 (Beat)
- 『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』(Three of a Perfect Pair)
- 『スラック』(Thrak)
- 『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』(The ConstruKction of Light)
- 『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』(The Power to Believe)
- King Crimson(キング・クリムゾン)の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- Epitaph
- In The Wake Of Poseidon
- Larks’ Tongues In Aspic Part Two(邦題:太陽と旋律 パートⅡ)
- Elephant Talk
- Frame by Frame
- King Crimsonのエピソード・逸話
- 大学生時代
- ギターに対する取り組み
- 日本好き?
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