2pac(2パック・トゥーパック)の徹底解説まとめ
2pac(2パック・トゥーパック)とは、アメリカ合衆国のラッパーであり、俳優としても活躍した偉大なアーティストである。1991年にDigital UndergroundでMCニューヨークとしてデビューし、同年11月に2Pacとして『2Pacalypse Now』でソロデビューを果たす。黒人差別や社会問題をリアルにつづった歌詞は、多くの人に影響を与えた。1996年9月8日のラスベガスで銃弾を4発被弾し、25歳という若さで命を落とす。この世を去ってからも多くのアーティストやファンに愛され続けている。
2pac(2パック・トゥーパック)の概要
2pac(2パック・トゥーパック)とは、アメリカ合衆国のラッパーであり、俳優としても活躍したアーティストだ。1991年にDigital Undergroundで「MCニューヨーク」としてデビューし、同年11月に2Pacとして『2Pacalypse Now』でソロデビューを果たす。翌年の1992年には、アメリカ合衆国の人種差別をテーマにした映画『ジュース』で冷酷な殺人鬼ビショップを演じ、映画界へ進出するラッパーの先駆けとなり、注目を集めた。
彼の楽曲はギャングスタ・ラップやウェスト・コーストラップに分類される。ギャングスタ・ラップというダーティなサウンドに、メディアが取り上げにくいような内容のリアルな歌詞を乗せるスタイルだ。ヒップホップの世界では欠かせないジャンルである。彼は黒人差別や社会問題を音楽で表現し、メッセージ性の強い歌詞は多くのアーティストやファンに影響を与えた。
5発の銃弾を撃ち込まれるという事件に巻き込まれ、2pacは重傷を負った。彼が重傷を負わされた現場にはNotorious B.I.G.とP.Didyがいたことで、事件に巻き込まれたのは、イースト・コーストの音楽レーベルであるバッド・ボーイ・レコードの陰謀であると疑い始める。これらの事柄がきっかけで、それまでの2pacは黒人を代表するリーダーというようなポジティブな歌詞が多かったが、次第に「怒り」や「憎しみ」といったディスソングが多くなっていった。
1996年9月8日のラスベガスで銃弾を4発被弾し、25歳という若さで死去した。彼は膨大な未発表音源を残しており、死後も多くの楽曲がリリースされ、ローリング・ストーン誌では、「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」の第86位に選ばれている。
2pac(2パック・トゥーパック)の活動経歴
2pac(2パック・トゥーパック)の原点
2Pacの幼少期はおとなしい性格で引っ込み思案な少年だった。本を読むことが好きで、詩や日記を書いて過ごしていた。
母は黒人政治団体ブラックパンサー党でアフリカ系アメリカ人の人権のために政治的な活動をしていたAfeni Shakurだ。2Pacは差別による過酷なスラム街での貧困生活や母の影響を強く受けている。母が過去にブラック・パンサー党で活動していたことが原因で雇用主から解雇されてしまい、一家に収入が無くなって生活ができなくなったり、お金を稼ぐためにドラッグの売人もやった。この経験が「貧困」「アフリカ系アメリカ人を差別し暴行を加える警官の蛮行」「同胞や女性に対する励まし」といったメッセージ性の強い楽曲制作に反映されている。
ソロデビューと映画出演
2Pacの母Afeniは表現する場を与えるため、彼が12歳の時にハーレムの劇団へ入団させた。1994年に公演された映画『黒い一粒のプライド』の元になったミュージカル『A Raisin the Sun』でトラヴィス役を演じ、才能が開花し始める。その後、ボルティモアで芸術学校のオーディションを受験し、合格。彼は入学後の高校生活において、演劇や音楽の勉強に励み、MCニューヨークという名前で曲を書くようになる。
だが、母Afeniがクラック中毒に陥り、家庭崩壊寸前だったため、2Pacは高校を中退し、ドラッグの売人をして生計を立てながらラップで成功するという夢を掲げてペンを走らせていた。そして、MCニューヨークという名でラップパフォーマンスを始めた2Pacは、とある女性の紹介で、世界的人気を集めていたDigital Undergroundに出会い、転機が訪れることになる。リーダーのShock Gの前でアドリブのラップを披露すると、即加入が決定し、『Same Song』でデビュー。その後まもなくして彼のデモテープが広まり、アメリカの音楽レーベルインタースコープ・レコードから声がかかり、『2Pacalypse Now』で2Pacとしてソロデビューを果たした。このアルバムに収録されている「Brenda’s Got A Baby」はファーストシングルながら、R&Bチャートで23位を記録している。
翌年の1992年には、アメリカ合衆国の人種差別をテーマにした映画『ジュース』で冷酷な殺人鬼ビショップを演じ、映画界へ進出するラッパーの先駆けとなり、活躍の場を広げている。
セカンドアルバムのリリースと銃撃事件
2Pacの勢いはとどまらず、1993年にセカンドアルバム『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z.』をリリースした。前作はR&Bチャート最高13位であったが、このアルバムは最高4位を記録し、プラチナディスクを獲得している。同年、アメリカ合衆国の恋愛映画『Poetic Justice』では俳優としてJanet Jacksonと共演し、アーティストや俳優として成功を収めた。
しかし、1994年11月にニューヨークのタイムズスクエアにあるスタジオへレコーディングに向かう途中、何者かに銃口を向けられ、5発の銃弾を撃ち込まれるという事件に巻き込まれてしまう。襲った犯人は未だ捕まっていないとされており、2Pacから金目のものを奪い、逃走。「頭部に2発」「股間に2発」「手に1発」の銃弾を受け、重傷を負った状態でエレベーターに乗ったところ、良き友であるNotorious B.I.G.とP.Didyの姿を目の当たりにした。この事件がきっかけとなり、2Pacはイースト・コーストの音楽レーベルであるバッド・ボーイ・レコードの陰謀であると疑い始めるようになった。
銃撃事件の前にレイプ疑惑で訴えられていた2Pacは、銃撃事件から3か月後の1995年2月に車いすを使って裁判に出廷した。この裁判で有罪となり、懲役1年半から4年半という判決が下され、刑務所に入ることになる。彼の友人は「レイプをするような人間ではない」と訴えており、2Pacは「女性から生まれて名前と勇気を授かった。なのになぜレイプや軽蔑ができるんだ?」という歌詞も書いているが、有罪となった理由は明らかにされていない。
服役中に持ちかけられた商談
刑務所に服役することになった2Pacだが、服役中にサードアルバム『Me Against The World』をリリースすると、自身初のビルボードチャート1位を獲得した。
その後も刑務所での悲惨な生活を送っていた2Pacに、友人でもあるデス・ロウ・レコードのオーナー、Suge Knightから自分のレーベルに移籍すれば140万ドルの保釈金を用意するという話を持ち掛けられる。
これに同意し、刑務所内でデス・ロウ・レコードとの契約が成立。9カ月の服役後、1995年10月に保釈金を支払って出所した。
デス・ロウ・レコードに移籍後の1996年2月にヒップホップ界史上初となる2枚組のアルバム『All Eyez On Me』をリリース。このアルバムは瞬く間にビルボードチャート1位に輝いている。
2pac(2パック・トゥーパック)に訪れた悲劇
Notorious B.I.G.とのビーフ(ラッパー同士がディスり合うこと)が白熱し、マスコミからは「ウェストとイーストの抗争」と煽られ、メディアに大きく取り上げられることとなった。MTVのインタビューで2Pacは、加熱する報道メディアに向け、自重するように訴えている。
しかし、その3日後である1996年9月8日、ラスベガスで友人であるマイク・タイソンのボクシングの試合を観戦した後、車での移動中に横付けされたキャデラックに乗っていた人物から「腕に1発」「太ももに1発」「胸に2発のうち1発は右肺」に計4発の被弾を受け、昏睡状態に陥ることとなる。それから6日後の9月13日、25歳という若さでこの世を去った。
2Pacは自分の死を予想していたかのように、数多くの楽曲を作成していた。
その未発表曲は母であるAfeniが所有しており、生前にリリースされたアルバムは4枚と少ないが、死後にリリースされたのは、その倍の8枚だ。リアルな現実と強く優しさを兼ね備えた歌詞で表現した音楽を作成し、世の中を変えようとした彼の情熱が伺える。
2pac(2パック・トゥーパック)のプロフィール・人物像
本名Tupac Amaru Shakur(トゥパック・アマル・シャクール)。1971年6月16日生まれ。ニューヨーク市マンハッタン区ハーレム地区出身。享年25歳。
彼の名前はスペイン支配に対する反乱に失敗し、1781年にペルーで処刑された最後のインカ支配者の子孫であるトゥパック・アマルⅡにちなんで名づけられた。レイプ疑惑で服役していた時に読んだ本のイタリアの政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリに感銘を受けた2pacは、『All Eyez on Me』をリリースした後、Makaveli(The Don Killuminati)に改名している。死後にMakaveli名義で1枚のアルバムがリリースされた。
2pac(2パック・トゥーパック)のディスコグラフィー
シングル
『Trapped』
目次 - Contents
- 2pac(2パック・トゥーパック)の概要
- 2pac(2パック・トゥーパック)の活動経歴
- 2pac(2パック・トゥーパック)の原点
- ソロデビューと映画出演
- セカンドアルバムのリリースと銃撃事件
- 服役中に持ちかけられた商談
- 2pac(2パック・トゥーパック)に訪れた悲劇
- 2pac(2パック・トゥーパック)のプロフィール・人物像
- 2pac(2パック・トゥーパック)のディスコグラフィー
- シングル
- 『Trapped』
- 『If My Homie Calls』/『Brenda's Got a Baby』
- 『Holler If Ya' Hear Me』
- 『Keep Ya Head Up』
- 『I Get Around』
- 『Papa'z Song』
- 『So Many Tears』
- 『Temptations』
- 『Dear Mama』
- 『How Do U Want It』/『2 of Amerikaz Most Wanted』/『 California Love』
- 生前にリリースしたアルバム
- 『2Pacalypse Now』
- 『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z...』
- 『Me Against the World』
- 『All Eyez on Me』
- 死後にリリースされたアルバム
- 『The Don Killuminati: The 7 Day Theory 』
- 『R U Still Down? (Remember Me) 』
- 『Greatest Hits』
- 『Until the End of Time』
- 『Better Dayz』
- 『Loyal to the Game』
- 『Pac's Life』
- 『2Pac Live』
- 『In His Own Words』
- 『Beginnings: The Lost Tapes 1988–1991』
- 『The Prophet: The Best of the Works』
- 『The Rose That Grew from Concrete』
- 『The Rose, Vol. 2』
- 『Best of 2Pac, Part 1: Thug』
- 『Best of 2Pac, Part 2: Life』
- 生前ににリリースしたコラボレーションアルバム
- 『Thug Life: Volume 1 』
- 死後にリリースしたコラボレーションアルバム
- 『Still I Rise』
- 死後にリリースされたサウンドトラック
- 『Tupac: Resurrection』
- DVD
- 『Live at the House of Blues』
- 『Complete Live Performances』
- 2pac(2パック・トゥーパック)の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- 『Trapped』
- 『If My Homie Calls』
- 『Brenda's Got a Baby』
- 『Holler If Ya Hear Me』
- 『I Get Around』
- 『So Many Tears』
- 『Dear Mama』
- 『2 Of Amerikaz Most Wanted』(Feat. Snoop Dogg)
- 『Hit 'Em Up』
- 『California Love 』feat. Dr. Dre
- 2pac(2パック・トゥーパック)の名言・発言
- 「ラップっていうのは演じることなんだ。もっと上手くなりたいから努力もする。誰よりも飛びぬけていたいし、デカいことをやってやりたいんだ。」
- 「アメリカという国で育ち、幼少時代はとても楽しかったけれど、貧しい生活は大嫌いだった。とても辛かった。俺たちが住んでいたのは地獄のような貧しい街で危険地域だった。」
- 「俺がされてきた残虐行為をラップすべきじゃないって?メディアは一切そういうことを取り上げない。だから俺はラップでそれを伝えなきゃいけないんだ。」
- 「オレはいつも闘い続け、もがいてきた。 死ぬってこと以外にそれを制止できない。」
- 「母さんのことは愛してるよ。最高の母親だ。失敗も含めて全部愛してる。」
- 2pac(2パック・トゥーパック)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 「サグ」という言葉の意味
- 『All Eyez on Me』がレコーディングされた期間は2週間
- 名曲『Dear Mama』のメモに書かれたメッセージ
- 2pac殺害事件で狙われたのはデス・ロウ・レコードの創設者
- 2Pacの最期の言葉は「Fuck You」
- 「若者について」というインタビュー