ドカベン・大甲子園(アニメ・漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

水島新司による野球漫画。週刊少年チャンピオンで1972年から1981年まで連載され、1976年にはアニメ化され、1983年には「大甲子園」1995年からは「プロ野球編」「スーパースターズ編」「ドリームトーナメント編」と続編も連載された。主人公のドカベン・山田太郎が岩鬼など個性豊かなチームメイトと共に甲子園を戦い抜く姿を描いた青春野球漫画。

『ドカベン・大甲子園』のあらすじ・ストーリー

ドカベン 無印

主人公の山田太郎は、小学生時代から野球をしていて捕手として活躍していた。中学に進学しても野球を続けていたが、プレイ中の不慮の事故により相手を失明の恐れのある怪我を負わせてしまい野球をやめてしまう。

その後、転校した山田だったが、そこでのちに最大のライバルであり仲間となる岩鬼正美とであう。転校初日に転校先の番長だった岩鬼のケンカに巻きこまれる形で知り合いとなり、腐れ縁となるのだった。柔道部に入った山田は、その類まれなる身体能力を生かし好成績を残し、岩鬼と共に柔道部を準優勝にまで牽引した。そんなある日、怪我を負わせてしまった相手の手術が成功し失明を免れた事を聴かされる。負い目による呪縛から解き放たれた山田は再び野球への熱意が復活し岩鬼と共に野球部へと入部する事を決意した。

中学3年となった山田は夏の地区大会を目指し始める。ピアノの名手だった殿馬などを加え大会に挑むものの、一回戦の東郷学園戦で惜敗し大会を去った。

高校1年時は、主将であり捕手を務めていた土井垣将からずんぐりむっくりで如何にも捕手を任されそうな体型から、古い時代の捕手であると酷評される。しかし、そのバッティングセンスや強肩、そして巧みなリードを武器に評価を集め捕手の座を掴み取った。また、のちの親友となる里中とも出会いバッテリーを結成しチームの主力として活躍。1年の夏の大会では見事優勝を果たした。

その後、春の甲子園でも優勝し常勝軍団として全国に名をとどろかせ始めた2年の夏の大会で初めての敗北を喫する。大会1回戦、岩手県代表の弁慶高校戦。1点をリードされた9回表に山田の起死回生のホームランで追いつく。しかしその裏、1アウト1、2塁から併殺崩れの間に2塁ランナーの弁慶高校のエース義経がホームを狙う。セカンド殿馬がホームに送球するもののクロスプレーの際、義経の必殺技「八艘飛び」でキャッチャー山田のブロックを飛び越えベースを許しサヨナラ負けとなった。

続く2年春の大会は、準々決勝で高知代表の強豪・土佐丸高校を破りそのままの勢いで決勝進出。4月にも関わらず雪が降る悪天候の中、見事優勝を果たす。しかし大会後、里中の母が病に倒れてしまう。そのため、母の看病と借金の返済を担う事になった里中は野球を捨て学校も休学する事になった。

大甲子園

里中を失った明訓高校だったが、優勝候補の筆頭である事には変わりなく順調に予選を突破していた。しかし、決勝の相手は不知火率いる白新高校。簡単には勝てない相手だった。そんな中母の手術が成功し里中が野球部に復帰する。ブランクによる体力低下や土砂降りの悪天候に苦しみながらなんとか投げ切り見事甲子園出場の切符を手にした。

甲子園を順調に勝ち進む明訓高校は、準決勝で中西球道率いる青田高校と対決する。160キロを超えるストレートを要する中西という難敵に加え、里中が試合前に怪我を負うアクシデントに襲われ苦戦を強いられる。熱戦となったこの一戦は延長18回で勝負がつかず再試合にもつれ込むもなんとか勝利を収める。

決勝は剣道部から部活ごと鞍替えして野球部となった紫義塾との対決となった。身体能力を生かしたプレイスタイルで攻める紫義塾だったが、経験で有利に立つ明訓高校が優勢な試合運びを見せ見事優勝を果たした。

プロ野球編

甲子園5連続出場し4度制覇という輝かしい成績を残した明訓高校メンバーは、卒業後それぞれプロ入りを果たす。

山田太郎は西武ライオンズ、岩鬼正美は福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に。千葉ロッテマリーンズに里中智、殿馬一人はオリックスブルーウェーブ(現オリックスバファローズ)に入団し、微笑三太郎は読売ジャイアンツに入団した。

また、山田のライバルたちもヤクルトスワローズに江川学院の中二美夫、阪神タイガースに土佐丸高校の犬飼武蔵、広島カープに土佐丸高校の犬神了、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に横浜学院高校の土門剛介、中日ドラゴンズにクリーンハイスクールの影丸隼人。日本ハムファイターズには白新学園の不知火守、近鉄バファローズ(現消滅)に通天閣高校の坂田三吉がそれぞれ入団した。

山田たちはそれぞれのチームで一年目から活躍を果たす。岩鬼は悪球打ちならプロでも圧倒的な飛距離を放ちホームランを量産、殿馬も秘打・秘守を駆使しプロ選手を手玉にとり安定した成績を残す。山田は開幕戦こそ当時現役の伊東勤選手に正捕手を譲り、代打出場も空振り三振とほろ苦いデビューとなるが、代打や指名打者で徐々に頭角を現しシーズン終盤には正捕手としてチームを牽引するまでに。里中も開幕を2軍で迎え黙々と体作りに専念したが、2軍生活の中生涯の武器となるスカイフォークの開発に成功、オールスター戦で華々しく1軍デビューを果たすのだった。

スーパースターズ編

2003年、山田たちは9年目を迎えそれぞれFA(フリーエージェント)の権利を獲得していた。

山田は三冠王を獲得するなど球界を代表する打者に成長し、かつてのチームメイトやライバルたちもチームの中心選手となっていた。山田世代と言われ人気と実力も兼ね備えた世代となっていた選手たちのFAの動向が注目されてた。

松井秀喜に実力を認められていた微笑三太郎はメジャーで再びチームメイトになるため早々とFA宣言。他の選手たちも続々とメジャー移籍を念頭にFA宣言をしていく。山田もまたメジャーへの夢があったが、チームを残して移籍する事に責任を感じ悩んでいた。しかし、かつてのライバル弁慶高校の武蔵坊や周り人々からの後押しにより自分自身の未来のためにFA宣言をする事を決めた。

こうして山田世代12人全員FA宣言する事となったが、これを黙って観ていられなかったのが、日本プロ野球協会総裁、崖淵壮兵衛だった。スター選手のメジャーへの大量流出を日本プロ野球界の危機と捉えある策略を練った。それは、パリーグに新球団を2球団創設する事、メジャーへ新天地を求めるなら国内に新天地を求めてはどうか、という考えからだった。

山田とまたチームメイトとして戦いと考えた里中など元明訓メンバーは山田と共に東京スーパースターズへ、そしてかつてのライバルたちは再び打倒山田を胸に四国アイアンドックスにそれぞれ入団。再び国内を舞台に戦いを決意する山田たちであった。

ドリームトーナメント編

新球団、東京スーパースターズと四国アイアンドックスが創設されたパリーグは新しい風を受けて盛況を博していた。しかし、それは人気の偏りを示していた。

そこで、崖淵総裁はセリーグの振興を図るべく新たなる球団を京都と新潟に創設した。京都微笑三太郎率いる京都ウォーリアーズと岩田鉄五郎率いる新潟ドルフィンズが誕生した。

計16球団となった所で崖淵総裁が新たな施策を打つ。球団も増え新たなスタートを切る事を記念した大会、ドリームトーナメントを開催する事を決定。ドリームトーナメントの優勝をかけて熾烈な叩きが繰り広げられる。

『ドカベン・大甲子園』の登場人物・キャラクター

山田太郎

明訓高校の4番でキャッチャー。甲子園通算で7割を超える打率を残し打点51を稼ぐほどの勝負強いバッティングを誇るスラッガー。また、強肩と巧みなリードでキャッチャーとしても一級品。通称ドカベンは岩鬼が山田のカバンいっぱいの弁当を見て、ドカッと大きい弁当、から付けられた。

小学生時代相撲部だったが、両親には野球を勧められていた。しかし相撲に惹かれていた山田は断り続けていた。しかし、家族旅行の際バスの事故に巻きこまれ両親が重傷を負う。そんな両親を励ますため野球を始めた。試合の前日一夜漬けで練習をした結果、当日には盗塁するランナーを刺したりさよならホームランを放つなどその才能を開花させた。しかしそんな姿を見せることなく両親は息を引き取った。

岩鬼正美

明訓高校の三塁手。山田太郎をライバル視しており自分以外に倒させないという信念から柔道部、野球部と追い掛け回した。

悪球打ちで知られ、自身に迫る暴投やワンバウンドのボールを軽々スタンドインさせた。またその圧倒的な腕力でバックスクリーンのスコアボードを破壊したり球場外にボールを運ぶこともあった。ただし、ど真ん中にはめっぽう弱くコントロールの良いピッチャーの前には三振の山を築いた。そのため、様々工夫をしど真ん中を悪球にする努力が本作の名物でもある。

悪球打ちは女性の好みにも表れ、美人をブスと蔑み、美人でない人を好みのタイプとしていた。中学時代には同学年の夏子に好意を持ち卒業後思い続けるなど一途な一面を見せた。その後プロ入り後再び出会い結婚を果たす。

里中智

明訓高校のエース。端正な顔立ちで線の細い体型でありながら、プライドが高くマウンド度胸満点のピッチングから小さな巨人と評された。しかし、魚嫌いでカルシウム不足から度重なる故障に見舞われたことから、ガラスの巨人と揶揄されることもあった。

特徴的なアンダースルーから伸びのある速球と七色の変化球で打者を手玉に取るピッチングが持ち味。シュート、高速シンカー、スライダー、カーブ、スローカーブを持ち球として持ち、独特な変化を見せるシンカー(サトルボール)を武器としていた。プロ入り後は、一度空に消えるほどの落差を持つフォーク、スカイフォークを習得し、さらに投球の幅を広げた。

殿馬一人

明訓高校の2番セカンド。口癖が語尾に「づら」を付ける事。元々ピアノの名手であり山田に野球に誘われてから本格的に野球を始める。

音楽家ならではリズム感を持ち、独特なプレイスタイルを披露する。数多くの秘打・秘守を繰り出し相手を翻弄した。

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