【閲覧注意】男性芸能人の自殺・他殺・事故死まとめ【桜塚やっくんほか】
芸能人の訃報が発表されると、テレビやネットニュースなどでは生前の活躍ぶりをまとめた特集が組まれることは珍しくない。特に不可解な自殺を遂げたケースや誰かに殺されてしまったケース、突然の事故死などは大々的に扱われ、死後数年が経ってからも定期的に話題が持ち上がることもあるのだ。本記事では自殺・他殺・事故死などでこの世を去った男性芸能人についてまとめて紹介する。
私は生きる気力を失い苦しさに負け、死を選びます。
私の死は、私自身の人間としての問題で有り、沖雅也としてでなく日景城児として、死んでいきます。
一、日景家一同様、名を汚して申しわけ有りません。許してください。
一、日景忠男殿、あなたにうけたあたたかい思いやり、身にしみて感じておりました。一五年、大変お世話になりました。楽しい日々でした。お元気で、ありがとう
出典: www.din.or.jp
自宅に残された遺書その1
私 沖雅也は生きていく気力を失い自殺します
この自殺は私個人の問題で有り人をきづつけた私のせめてものおわびです、死という弱いひきょうなことでしかおわびの方法を知らない私をおゆるし下さい
他人にめいわくのかからぬ様死にたかった
日景忠男殿
あなた様のこの一五年の心苦いかばかりか さっするにあまりあります
あなた様から受けた人生道、人間道、身にしみて、心より感謝いたします
一心同体で歩いてきた道ですが途中で投げ出す私をおゆるし下さい。あなた様に何もしないで何も言わないで死んでいく私を、おしかり下さい。
私のごとき男がそばにいてはあなたの人生がダメになります
有りがとうございました
お世話になりました。
出典: www.din.or.jp
自宅に残された遺書その2
沖の飛び降り自殺は、高層ビルの安全管理が見直されるきっかけとなった。それまで比較的自由に行けたビル屋上は、これ以降厳重に閉ざされ管理されるようになっている。
中田治雄《飛び降り自殺》享年41(1979年)
10月25日午後1時25分、静岡県熱海市錦ヶ浦の展望台下70mの海面に死体が浮い ているのをホテルマンが発見、中田であった。発見直前に飛び込んだとみられ、内臓破裂で死亡しており、白いエナメル靴、白いブレザーのコート、紺のズボン 姿で、展望台に置いてあったカバンには漫才の台本などが入っていた。
青いボールベンによって5枚の便箋に「死出の旅」という遺書が残されており、「人はい さ心も知らぬ故里に死ぞ昔の香に匂ひけり」と辞世の歌が書かれ、東尋坊では知らない人に声をかけられ自殺出来なかったなどと書かれていた。
当時の借金額が3千数百万円だった中田さん。平川さんが様子のおかしい中田さんを問いただして借金の実態を知る。そして、二人で吉本興業へ行き、借金の肩代わりを懇願する。その際に吉本興業から「借金はいくらあるのか?」と、尋ねられた中田さんは「3千万円です。」と答える。本当は3千数百万円あった金額を「残りの数百万」が言い出せずにいたのであった。結果残りの数百万円を取り返す為にまたもや博打に手を出すことになるのであった。
田宮二郎《猟銃自殺》享年43(1978年)
出典: japaneseclass.jp
田宮は、趣味のクレー射撃に使うアメリカ製散弾銃をベッドの中に入れ、足の指でひきがねをひいたものらしく、弾は心臓部に直径ほぼ3センチの穴をあけ、即死の状態であった。ベッドの中と右腕は血まみれになっていた。
昭和53年12月28日、田宮二郎は、当時夫人と2人の子供を青山のマンションに別居させ、港区元麻布の自邸に一人で住んでいた。午前11時ごろ、田宮は付き人の西村豊に弁当をとってきてくれと頼んだ。西村が赤坂の仕出し屋から弁当を買って来て、午後1時半ごろ2階に上がってゆくと、10畳の寝室のダブル・ベッドの中で、赤いパジャマを着た田宮が死んでおり、銃身の先が、胸までかかった毛布からのぞいて見えた。
猟銃自殺の1年前…田宮の奇行が現れ始める《中略》家族、金、全てを失いかけた田宮は、自分がおかしい事を認め、原因を探るため病院へ「躁うつ病」と診断された
田宮二郎さんは躁うつ病になってしまった原因は30代半ばになってから髪の毛が薄くなってしまったことでした。デビュー当時から二枚目俳優として活躍していた田宮二郎さんにとって、頭髪がなくなることは恐怖でしかなかったのです。
1年半ほど前から強度の躁鬱病にかかり米国で治療したものの治らず、被害妄想の果ての死とみられている。このほか、映画製作失敗による借金苦、女性問題などいろいろな憶測がとんだが、夫人は日記帳7ページにわたり綴られた遺書を公開して噂を否定した。
田宮二郎の遺書
oosawatechnica.tumblr.com
田宮二郎の遺書
畠山麦《首吊り自殺》享年34(1978年)
1978年7月13日、『特捜最前線』の撮影期間中に自宅で34歳の若さで首吊り自殺。自殺した理由は「役者としての伸び悩み」と「キレンジャーのイメージの払拭の失敗」が原因だと言われている。
「収入の少なさ」が原因と言われている。34歳という若さで死を選んだ畠山に対し、『ゴレンジャー』での共演(アカレンジャー役)を経て吉野刑事役で共演していた誠直也は、「力になってあげられなくて残念だった」と後年の雑誌インタビューで語っている。
子ども向け番組に多く出ていたことで、大人向けの演技ができない――などという中傷もあったらしい。
出典: sugaya.otaden.jp
それが事実かどうかは不明だが、もしもキレンジャーのイメージが強すぎたことが、その後の仕事に影響したのだとしたら、その役を売り込んだぼくにも、責任の一端があるのではないか……? そんなことばかり考えて、しばらくの間、気が滅入ったものだった。
Related Articles関連記事
【衝撃!】桜塚やっくん事故死の真相を紹介!
人気お笑い芸人として活躍していた桜塚やっくん。しかし高速道路で起きた事故によって、早すぎる最期を迎えることとなった。突然の訃報はワイドショーなどでも連日報道され、話題となっている。本記事では衝撃の事故を画像付きで解説していく。
Read Article
交通事故で亡くなった有名人まとめ
約0.245%の確率で発生すると考えられる交通事故。数字上ではめったに起こらないと言えるが、誰もが知っているような有名人が交通事故で亡くなった例は数多くある。ここでは交通事故によって亡くなってしまった有名人をまとめた。
Read Article
桜塚やっくんの死を予言していた?内容が怖すぎると話題になったデスブログを徹底解説!
人気絶頂の中、交通事故により帰らぬ人となってしまったお笑い芸人・桜塚やっくん。そんな彼の死を予言していたとして、東原亜希のブログが「デスブログ」と称されて話題になりました。様々な考察が派生した噂の「デスブログ」について、徹底解説していきます。
Read Article
【マリリン・モンロー】36~39歳で亡くなった芸能人・有名人まとめ【桜塚やっくん】
昨日まではテレビであんなに元気な姿を見せてくれていたのに、翌日に突然飛び込んでくる芸能人・有名人の訃報…。それが自殺だったり事故だったりすると、「どうしてあの人が…」と戸惑うと同時に、やり場のない悲しみがこみ上げてきますよね。この記事では、30代後半に亡くなってしまった国内外の著名人についてまとめました。「死」は人間にとって避けられない宿命。いつどうなるかわからないのもまた人間なら、せめて「今」という一瞬を大切に生きようと思います。
Read Article
桜塚やっくん事故死!今回も東原亜希デスブログが関係していた!?【驚愕の事実】
スケバンの格好でコントをして大人気を博していた芸人・桜塚やっくん。彼が交通事故で亡くなったというニュースは世間に大きな衝撃を与えました。そんな彼の死と、ある人物のブログの関わりの噂を、徹底解説します。
Read Article
タグ - Tags
目次 - Contents
- 萩原流行《交通事故》享年62(2015年)
- 加瀬邦彦《自殺》享年74(2015年)
- TENN《自殺》享年35(2014年)
- 桜塚やっくん《交通事故》享年37(2013年)
- 牧伸二《入水自殺》享年78(2013年)
- 玄也《自殺》享年23(2012年)
- 田中実《首吊り自殺》享年44(2011年)
- 奥山英志《首吊り自殺》享年61(2011年)
- 大佑《薬物過剰摂取自殺》享年31(2010年)
- 萬屋吉之亮《首吊り自殺》享年36(2010年)
- 郷里大輔《自刃/手首 自殺》享年57(2010年)
- 加藤和彦《首吊り自殺》享年62(2009年)
- 伊藤隆大《練炭自殺》享年21(2009年)
- 阿知波信介《入水自殺》享年67(2007年)
- 加藤善博《首吊り自殺》享年48(2007年)
- 高田真理《飛び降り自殺》享年59(2006年)
- 団優太《飛び降り自殺》享年38(2006年)
- ポール牧《飛び降り自殺》享年63(2005年)
- 又野誠治《首吊り自殺》享年43(2004年)
- 古尾谷雅人《首吊り自殺》享年45(2003年)
- 塩谷庄吾《飛び降り自殺》享年35(2002年)
- 四代目・桂三木助《首吊り自殺》享年43(2001年)
- 井上大輔《首吊り自殺》享年58(2000年)
- 松宮一彦《首吊り自殺》享年45(1999年)
- 二代目・桂枝雀《首吊り自殺》享年59(1999年)
- 沖田浩之《首吊り自殺》享年36(1999年)
- 長谷有洋《飛び降り自殺》享年31(1996年)
- 尾崎豊《???》享年26(1992年)
- 佐々木つとむ《刺殺・失血死》享年40(1987年)
- 大友柳太朗《飛び降り自殺》享年73(1985年)
- 坂本九《航空機事故死》享年43(1985年)
- 沖雅也《飛び降り自殺》享年31(1983年)
- 中田治雄《飛び降り自殺》享年41(1979年)
- 田宮二郎《猟銃自殺》享年43(1978年)
- 畠山麦《首吊り自殺》享年34(1978年)
- 戸野広浩司《事故死(出血多量)》享年25(1972年)
- ↓関連した「まとめ」を読む