【閲覧注意】男性芸能人の自殺・他殺・事故死まとめ【桜塚やっくんほか】
芸能人の訃報が発表されると、テレビやネットニュースなどでは生前の活躍ぶりをまとめた特集が組まれることは珍しくない。特に不可解な自殺を遂げたケースや誰かに殺されてしまったケース、突然の事故死などは大々的に扱われ、死後数年が経ってからも定期的に話題が持ち上がることもあるのだ。本記事では自殺・他殺・事故死などでこの世を去った男性芸能人についてまとめて紹介する。
東京都板橋区高島平にある愛人の「中野美沙(39歳)」のアパートで刺し殺された。
出典: x97.peps.jp
佐々木には妻子がいたが、ギャンブルにのめり込んで巨額の借金を作り、家庭内でのいざこざが絶えなかった。佐々木は1987年4月頃に家を出て、新 宿の ポーカーゲーム屋で知り合った女性と同棲していた。女性は、佐々木の借金の一部を肩代わりしていたが、それでも足りないと佐々木がさらなる金銭を要求 したため、二人の仲は次第に険悪になっていった。事件当日、女性が飼っていたシーズー犬を佐々木が殴って骨折させたことがきっかけとなり、女性は佐々木の全身を刃 物で刺して殺害した。
隣の4畳間のテーブルの上には「おとうさん、わたしもおとうさんのそばに行きます、でもわたしがおとうさんをころすなんてゆめにもおもわなかった、あのよでふたりでやりなおそうね」と遺書が残されていた。
出典: 97.xmbs.jp
9月4日夜、佐々木の所属するプロダクションの社長が仕事先に現れない佐々木を探し、愛人中野美沙のアパートを訪れた。その時、佐々木の遺体は腐敗して おり、ドアのすきまから死臭がつたわってきていた。社長はドアを蹴破り部屋に入ると、全身を滅多刺しにされて殺されており中は血だらけだった。佐々木の遺体はシーツや毛布が被せられ、枕を北にして仰向けに寝かされていた。
中野美沙入水自殺
事件後、中野は全国に緊急指名手配。TVは盛んに中野の顔写真を放映。青森へ逃走した中野は深夜タクシーを拾うと下北半島をただひたすら走るよう運転手に命じむつ市大湊駅で下車。その後、陸奥湾で入水自殺。
大友柳太朗《飛び降り自殺》享年73(1985年)
1985(昭和60)年9月27日午前9時13分、東京都港区南青山5丁目の自宅・7階建てのシャトー青山第1マンション屋上の高さ1.2メートルのサクを乗り越え、約20メートル下の植え込みに飛び降り、全身を強く打って即死した。
1980年代に入り台詞覚えが悪くなった事から、老人性痴呆症にかかったと悲観しはじめ、不眠症にも悩まされるようになったという。
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あるタレントが大友の台詞覚えの悪さを愚痴っていたのを、大友本人が聞いてしまったという話もある。
伊丹十三さんの『タンポポ』って映画に出て、そのタンポポって映画でものすごい長台詞があるんです」「それが上手に言えないことと、自分が年をとってセリフ覚えが悪くなってるってタイミングが重なっちゃって、大友柳太朗さんって名優は、タンポポの完成試写をキチンと見届けてから、すぐに自殺なさったんです。その話を、大滝秀治さんと伊丹十三監督がしてて」
坂本九《航空機事故死》享年43(1985年)
8月12日、東京でラジオの収録を終えた彼は、選挙応援の為大阪へ向かう事になっていた。彼は事故の多い日航を避け、国内移動には必ず全日空を使っていたが、今回はチケットやホテルの手配などはすべて招待する側の立候補者の側近が担当。全日空便が満席で(※事故当日のダイヤでは、日航機と同時刻・同区間で全日空機も飛んでいた)仕方なく確保したのが日航123便であったため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていたそうである。尚、この事故で運命を共にした小宮マネージャーは、早めに羽田空港へ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、お盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。2人は2階席に搭乗。由紀子夫人の話では事故の数日後、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話があったという。
事故の翌日の8月13日、フジテレビ系列で「なるほど!ザ・ワールド」200回記念特番が放送された。彼はこの特番の収録に夫妻で参加していたが安否未確認のままの放送であった為、番組は開始冒頭から事前収録であることを示すテロップを入れて放送された。そして番組の最後に、敢えて放送に踏み切った経緯を文章で説明するとともに、締めくくりとしてブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントを寄せたが、放送終了翌日の8月14日に死亡が確認され、残念ながらこの願いは叶うことはなかった。
昔日航機墜落事故で坂本九が死亡しましたが明石家さんまも搭乗する可能性があった... - Yahoo!知恵袋
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昔日航機墜落事故で坂本九が死亡しましたが明石家さんまも搭乗する可能性があったのは本当?。さんまはその事や事故をテレビで語った事はありますか?
日本航空JAL123便墜落事故とは、1985年8月12日に起きた単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故である。その数は520名に及ぶ。
当日のJAL123便はお盆の帰省シーズンであること、当時開催中のつくば万博からの帰り客がいたことなどから、ほぼ満員となっており、乗員乗客524名が搭乗していたが墜落によりその内の520名が犠牲となった。犠牲者には歌手の坂本九、元宝塚歌劇団の北原瑤子、阪神タイガース社長中埜肇、ハウス食品社長の浦上郁夫ら数名の著名人や、甲子園球場で行われていた夏の高校野球を見に1人で搭乗していた小学生なども含まれている。
沖雅也《飛び降り自殺》享年31(1983年)
出典: blog.livedoor.jp
1983(昭和58)年6月28日5:00、新宿区西新宿2-2-1の「京王プラザホテル」47階建ての屋上から、150メートル下の7階の屋根に沖雅也こと日景城児(31)が飛び降り自殺した。《中略》部屋には「オヤジ、涅槃で待つ」とホテルの便箋に書かれた遺書があった。
出典: 36.xmbs.jp
沖は本名で宿泊していた。スポーツウエアを着ていた沖を、「J.Kプランニング」社長で、沖の養父の日景忠男(46)が確認した。沖は非常用エレベーターで47階まで上がり、鍵のない非常口のドアを開け、バルコニーへ出て、煙草を吸い、1.5メートルの柵を右足でまたいだ。警備員(24)が発見して止めたが、そのまま落ちたという。
今……
プラザホテル様へ
大変申し分けなくおゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。
(便箋裏)
"おやじ 涅槃で まってる"
沖 雅也
出典: www.din.or.jp
ホテルに残された遺書
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目次 - Contents
- 萩原流行《交通事故》享年62(2015年)
- 加瀬邦彦《自殺》享年74(2015年)
- TENN《自殺》享年35(2014年)
- 桜塚やっくん《交通事故》享年37(2013年)
- 牧伸二《入水自殺》享年78(2013年)
- 玄也《自殺》享年23(2012年)
- 田中実《首吊り自殺》享年44(2011年)
- 奥山英志《首吊り自殺》享年61(2011年)
- 大佑《薬物過剰摂取自殺》享年31(2010年)
- 萬屋吉之亮《首吊り自殺》享年36(2010年)
- 郷里大輔《自刃/手首 自殺》享年57(2010年)
- 加藤和彦《首吊り自殺》享年62(2009年)
- 伊藤隆大《練炭自殺》享年21(2009年)
- 阿知波信介《入水自殺》享年67(2007年)
- 加藤善博《首吊り自殺》享年48(2007年)
- 高田真理《飛び降り自殺》享年59(2006年)
- 団優太《飛び降り自殺》享年38(2006年)
- ポール牧《飛び降り自殺》享年63(2005年)
- 又野誠治《首吊り自殺》享年43(2004年)
- 古尾谷雅人《首吊り自殺》享年45(2003年)
- 塩谷庄吾《飛び降り自殺》享年35(2002年)
- 四代目・桂三木助《首吊り自殺》享年43(2001年)
- 井上大輔《首吊り自殺》享年58(2000年)
- 松宮一彦《首吊り自殺》享年45(1999年)
- 二代目・桂枝雀《首吊り自殺》享年59(1999年)
- 沖田浩之《首吊り自殺》享年36(1999年)
- 長谷有洋《飛び降り自殺》享年31(1996年)
- 尾崎豊《???》享年26(1992年)
- 佐々木つとむ《刺殺・失血死》享年40(1987年)
- 大友柳太朗《飛び降り自殺》享年73(1985年)
- 坂本九《航空機事故死》享年43(1985年)
- 沖雅也《飛び降り自殺》享年31(1983年)
- 中田治雄《飛び降り自殺》享年41(1979年)
- 田宮二郎《猟銃自殺》享年43(1978年)
- 畠山麦《首吊り自殺》享年34(1978年)
- 戸野広浩司《事故死(出血多量)》享年25(1972年)
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