ハッチ=アミィ?『みつばちハッチ勇気のメロディ』を人間視点で深読みする

『おそ松さん』などで、作品のリメイクというものについてある程度考えてみるに、やはり「時代に合わせて」という言葉が浮かんできます。しかし、何故わざわざ人間の少女アミィを出したのか?時代に合わせてのこと?かわいいハッチとかわいい女の子が仲良くしているところを見せたいから?違うでしょう。深読みしてみました。(ネタバレあり)

わがまま言わないの!

そう考えると、スズメバチの襲撃シーンも違って見えてきます。そもそもなぜスズメバチはやってきたのか?「原作がそうだから」「餌の確保でしょ」。それだけではないと思います。ミツバチもスズメバチも同じハチです。しかしミツバチは小さく非力な「食われる側」。
詳しい事情は分かりませんが、ある日突然、アミィは引っ越しする旨告げられたのではないでしょうか。引っ込み思案な少女にとって環境が変わることは寂しく、悲しいことだったはずです。大人たちを自分より大きくて、居場所を奪うスズメバチに置き換えた、ともとれます。
ありえないほど多数のスズメバチ、都合よく天気が雷雨になるなどの演出が心理描写のようです。

スズメバチ(大人?)にだって事情はあります。

アミィが聞き分けのいい子でも、心の中では慣れ親しんだ土地や友人と別れたくなかったはず。これはいい悪いの問題ではありません。スズメバチがミツバチの巣を襲撃したのと同じく仕方のないことなのです。
ミツバチの必死の抵抗はアミィの内心での不満、ハッチを逃がしたのはある意味パンドラの箱に残された希望という意味合いかもしれません。
原作アニメではいきなり始まった襲撃シーンが、ハッチ目線での日常の崩壊という形に変えられていたのもアミィの心境を表しているようでした。

ハーモニカ演奏時のアミィ

基本的に、アミィはハーモニカを吹く際目を閉じています。ノベライズ版によれば「目を閉じていた方が気持ちいい」「遊んでいる子たちを見たくない」。
つまり現実(友達ができない、弱い自分)を見たくないから目を閉じて、ハーモニカという自分の世界に浸っていたわけです。
誰もいない橋の上でさえ目を閉じての演奏。そこにハッチがやってきてのご対面、というわけです。

現実を見たくない少女と、その本心、という図式にとれなくもない…?

虫パートはアミィの心の中?

アミィが関わらない虫だけのパートも深読みさせ力があります。すべて、アミィの心の中、彼女の心の一部なのではないかと。
弱者である虫を食らう、スズメバチも含めた肉食性の虫は大人、もしくは(アミィから見た)人間社会の理不尽さを現しているのではないでしょうか。
アミィは友達ができないという現実をつきつけられて心の中で傷つけられます。遊んでいる子たちを見る描写が何だか切ないです。

もうひとりの分身、クネクネ

左から二番目、緑色のイモムシがクネクネです。彼もまた弱者であり、カマキチに脅されたりスズメバチと聞いただけで怯える立場です。が、ハッチに次ぐもうひとりの分身にも思えました。
そして、彼が出ているときのハッチは理想の姿に変わります。足が遅いという設定、「ハッチは飛べていいなあ」という台詞からはアミィのコンプレックスを感じさせますし、アミィに対してハッチを庇う発言も。「理想を忘れないで」ということなんでしょうか。

クネクネがある行動をとったとき、アミィは立ち上がりました。

スズメバチ(親や周囲の大人?)に捕まったクネクネはその牙城にて散々ゴミ扱い。
しかし、偶然とはいえ脱出に成功します。スズメバチはまたもゴミだと嘲りますが、社会不適合者扱いを受けた、という風に深読みできます。
ですが、彼には重要な役割がありました。アミィの背中を一押しするきっかけとなったその役割とは?イモムシが何の幼虫かを考えれば、見えてくると思います。

カマキチが協力してくれたわけ

「いやだから、原作が…」確かに、原作でもカマキチは協力してくれました。今作においても、カマキチはハッチを憎んでいましたが、ある事情で協力を買って出ます。これはともすると、大人や社会に対する不満等が氷解し、理解し始めててきていることの描写ではないでしょうか。
「世の中について教えてやる」頼もしい言葉です。カマキチは単なる強者ではなく苦労を重ねた大人で、頼もしい大人の側面でもあります。

最初から強かったわけじゃないからこそ、「弱肉強食」の掟を(ボコボコ殴りながら)説くシーンに説得力があるのです。

カマキチにだって非力な弱者の時期はありました。カマキチの子供時代が直接描かれていなくとも、カマキリの子供が成す術なくスズメバチに追い回されているシーンを見れば明らかです。
弱肉強食の世界を勝ち抜いて強者になった。だから甘いハッチが許せなかった、という見方もできなくはないですね。

「刺さないで」の意味

バッチーノの号令でスズメバチやその場の虫が集まってきた時。初めてハッチと言葉を交わした時同様、アミィは「刺さないで」と言いました。これはスズメバチに対する恐怖心(大人への不信感)が完全に払しょくされるための儀式にも思われます。
水車小屋から逃げる攻撃を受けていたこともあって「協力してくれるらしい」と知りながらもやはり恐れはあり、「刺さないでよ?」と聞くのでした。返ってきた返事は「刺すか!」(意味もなく傷つけない)。
ハッチのママ救出のため川に入ったアミィですが、ここへ来てスズメバチの女王も意識したはず。最後に話が通じなくなった女王が子供を抱えていたのは、スズメバチにも守るものがあるという側面を表しています。
それが、スズメバチ=大人の事情をアミィが知った、ということなのかもしれません。

ママが表すものは?

アミィが見失っていた自分の長所、スズメバチ(大人や周囲)にとられたと思い込んでいた本当の自分などではないでしょうか。
川に沈んだせいかママは牢が破られた時気を失っていました。ハッチは動かないママに懸命に話しかけます。自己確認のようにも思えます。この行為。ママが目を覚まして親子の再会が叶った時に、ようやくアミィは本来の自分を取り戻した、という。
「誰しも、ハッチがママを探すように自分を探している」(大意)との言葉をネット上で見かけましたが、まさにアミィがこの状態だったようです。

まとめ・「ずっと友達」の意味

アミィとハッチは物語上、所詮人間とミツバチ。いつまでも一緒にはいられません。それにお互いこれからの人生や王国の立て直しが待っています。困難しか想定できませんが、劇中ラストでハッチとアミィは「ずっと友達」と約束を交わすのです。
これは、「自分の勇気も良さも、忘れずにいれば大丈夫」ととれます。色々と深読みさせる映画でした。

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