もののべ古書店怪奇譚(漫画)のネタバレ解説・考察まとめ

『もののべ古書店怪奇譚』とは、2015年1月から「webコミックBeat's」にて連載が始まった紺吉によるホラー漫画である。2015年12月からは『月刊コミックガーデン』に連載の場を移した。ストーリーは寡黙な古書店の店主・物部正太郎(もののべしょうたろう)とその手伝いをしている少年・シロが、読んだものを鬼へと変える鬼書を探すものとなっている。人を食らう鬼と戦いながら、鬼書を回収する中で鬼を取り巻く謎と陰謀に巻き込まれていく。鬼となってしまった人たちの恐ろしく、ときに切ない物語が特徴となっている。

『もののべ古書店怪奇譚』の用語

鬼(おに)

人から転じた人を食らう化け物。鬼について書かれた鬼書と呼ばれる本を読むことでなるといわれている。鬼になると人間の体の特定部位に固執し、その部位しか口にできなくなる。鬼になるととてつもない飢餓状態になり、人間が美味な食べ物に見えるようになる。その飢餓は人間の頃とは比べ物にならないものらしく、我慢できずに人を手にかけてしまうようになる。普段は人に擬態して生活をしているが、読んだ鬼書に書かれていた鬼としての名を当てられると、強制的に鬼の姿に戻ってしまう。鬼としての姿形は明らかな化け物の姿から人間の姿に角が生えただけのものとその姿は多岐にわたる。
長く生きた鬼ほど強い力を持つようになると言われており、リョウエノカミなど長く生きた鬼はその辺の鬼ならば多数を一瞬で屠るほどの力を持つ。

鬼書を読むと鬼になると言われていたが、作中では目の見えない老人や本を読んでいないのに鬼になったリョウエノカミなど鬼になる原因は他にあるのではないかと正太郎は考えている。夜木は鬼の血によって鬼化するのではないかと話している。八重の手記では、人が人を食らうことで鬼の怨念が取り憑いて鬼になるとも語られている。

鬼書(きしょ)

鬼について書かれた本で、読んだ人間を鬼に変えると言われてる。内容は「腸吸い」など鬼の名ととともにその鬼についての詳細について書かれたものとなってる。表紙はすべて黒く、一見しただけで異様なものとわかる見た目となっている。当初は鬼書によって、人は鬼に変わると言われていたが、鬼についての謎が明らかになるにつれて、鬼書だけが原因ではないことが発覚する。

神虫(しんちゅう)

鬼を食らう善神。はるか昔大量の鬼との戦いに腕を失いながらも勝利するなどその力は計り知れない。今はシロを名乗り、子供の姿に擬態して正太郎を使い鬼を食らっている。昔の戦いで失った腕は神代村にあり、そこで白様と呼ばれて祀られていた。

神代村(こうじろむら)

とある山中にある村。大昔に鬼の災厄に見舞われた村で、神虫が鬼をすべて倒した後に村では鬼宿りと呼ばれる現象が多発するようになった。鬼宿りとは人が鬼となってしまう現象で、困った村民は天に神虫が再び来てくれるように祈ったが、来ることはなかった。そこで、村で新たに神を作ることにする。元々神代村では死者を食らう喰い弔いという葬儀法があったため、神虫の一部を人に食わせて神にする方法を編み出した。そして、神の器としてマユを作り出したが、偽神となったマユの手によって滅ぼされた。
小さな村であるために閉鎖的で、近親相姦を繰り返していたため村人はみな同じ顔をしている。

友隣会(ゆうりんかい)

理孤を教祖とした宗教団体。悪いことは狐憑きによって起こると話し、また狐はうまく使えば益にもなると信者に語る。信者は不老不死を手に入れると言われているが、これは信者を鬼にすることを指す。そのため教団幹部、信者はすべて鬼で構成されている。しかし、ただ1人理孤のみは人間である。元は時常が作った教団のようで、時常の神虫を手中に収める計画の一端で理孤になんらかの任を頼むために教祖を渡したと思われる。

『もののべ古書店怪奇譚』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

シロ「さぁこの神虫の贄となれ」

子供の神隠し、妊婦殺害の犯人である駐在が鬼としての姿を現して、正太郎との戦闘の末に頭を切断されたところにシロが鬼を食らおうとして「さぁこの神虫の贄となれ」と言った。

シロは話の冒頭から天真爛漫で愛らしい男の子という描写が多くされており、また鬼が姿を現した当初は正太郎に庇護される立場のような演技をしていたことから無力な子供といったイメージを読者に与えていた。しかし、その正体は鬼という化け物を超える神であり、さらに鬼を食らうことができる存在であった。天真爛漫な男の子から一変して、冷酷な笑みをたたえて異形の姿になり鬼を食らう姿は読者に衝撃を与えた。

正太郎「もう独りは嫌だ」

如月の襲撃を受けてボロボロになっているところを正太郎はシロに救われたが、如月だけでは腹が満たされなかったシロが空腹を訴える。シロの空腹の訴えを聞いて、生きることに疲れていた正太郎は親友・清を亡くして孤独の日々を思い出したことでシロに「もう独りは嫌だ」と言い食われて死ぬことを望んだ。

人間の頃からの親友であった清を亡くしたあとは鬼であるために死ぬこともできず、独りで首つりを繰り返していた正太郎は日々心をすり減らしていた。しかし、ある時シロが現れてシロの命令のままに鬼を狩ることとなった。ようやく終えた孤独の日々を再び送るくらいならば死んだ方がマシであると言わせるほどに正太郎の心に深い傷をつけているのがわかるシーンとなっている。

桜子「あった事は変わらないんですもの」

マユが偽神として暴走してしまった末に死んでしまった後、正太郎は古書店からマユがいなくなったと桜子に知らせた。桜子は別れの言葉を言えなかったことが寂しいと口に出したため、正太郎はマユは幼かったから大きくなるにつれて桜子たちのことは忘れてしまうだろうから気にするなと言う。しかし、桜子はたとえマユが忘れてしまっても自身は覚えているからと「あった事は変わらないんですもの」と言った。

正太郎はマユが偽神で死んでしまったという事情を伏せて、マユは海外の親戚に引き取られたこととして桜子に報告した。そのため、桜子はマユが生きていると思っており、別れを言えなかったことを悔いていたため正太郎は励ます。正太郎から二度と会えないならば忘れた方がいいと思うかと問いかけられた桜子は、自身の記憶にないほどの小さい頃のことを父母から聞くことが恥ずかしくもうれしいと感じているため、たとえマユが忘れても桜子が覚えていれば嬉しいはずだと語った。
生まれから凄惨を極めて決して救われているとは言い難い最期を迎えたマユだが、桜子の気持ちはマユと彼女のことを気にしていた正太郎を救ったと思われるシーンとなっている。

『もののべ古書店怪奇譚』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

表紙に描かれた花は登場人物をイメージしたもの

コミックの表紙は必ず登場人物1人と花が描かれており、その花はキャラクターをイメージしたものと思われる。
1巻表紙は正太郎と椿が描かれている。椿は色によって花言葉が変わるが、椿全体の花言葉は「控えめな優しさ」である。これは寡黙で感情を表に出さないが、清やマユ、桜子に見せる優しさを表わしている可能性がある。また、椿は枯れる際に花が茎から落ちることから、首が落ちる様のようで縁起が悪いと言われている。正太郎の鬼としての名は首咬みであると言われているため、これも関係していると思われる。
2巻表紙はシロとアジサイが描かれている。アジサイも色によって花言葉が変わるが、その中に「無常」というものがある。無常とは仏教用語ですべての物は一定ではないことを指し、また人の世が儚いことを表わしている。神であるシロからすれば、人は弱く儚い生き物であるためそれを表わしている可能性がある。また、アジサイは身近に存在する綺麗な花だが、毒を有していることでも知られている。シロは見た目は可愛らしい男の子そのものであるが、その実態は恐ろしい存在であるという暗喩であるともとれる。
3巻表紙は夜木と藤が描かれている。藤の花言葉のなかに「決して離れない」というものがある。これは、夜木の正太郎への執着のようなものを表わしている可能性がある。夜木は正太郎が人間であったころから顔見知りであり、またキョウカとは別の方面から正太郎の行動を監視している節がある。
4巻表紙はリョウエノカミと百合が描かれている。百合の花言葉には「威厳」というものがある。これは、鬼でありながら山の神を名乗っていることに由来していると思われる。リョウエノカミは神としての威厳を表わすために、村人を食らう代わりに村の厄災を取り払っていることから可能性が高い。また、百合の色が黄色であることから「偽り」「陽気」といった花言葉もリョウエノカミの性格などを表わしていると考えられる。
5巻表紙にはマユと彼岸花が描かれている。彼岸花は墓地でよく見られる花であるため、美しい花であるにも関わらず不気味であると考える日本人が多いがその花言葉は「悲しき思い出」と物悲しいものがある。マユの過去は悲惨の一言で尽きるものとなっており、マユからしても人として当たり前に与えられるものがなかった悲しいものとなっているためこれを表わしている可能性が高い。また、アジサイ同様に強い毒を持っていることから、愛らしい外見に反する恐ろしい力を持っているマユの正体への暗喩であると考えられる。
6巻表紙にはキョウカと狐の剃刀が描かれている。狐の剃刀の花言葉は「妖艶」である。妖艶とは男性を惑わす色香などを指すことが多いが、キョウカの場合は鬼を惑わし扇動することを表わしている可能性が高い。また、キョウカは作中で女狐と呼ばれているため、これも関連していると思われる。
7巻表紙には時常と睡蓮が描かれている。睡蓮の花言葉には「信仰」というものがある。これは、時常が信仰の対象である神虫を手中に収める計画を立てて行動していること、また理孤から神様と呼ばれていることから、何らかの理由で神様と称される立場になっていることが考えられる。

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