2pac(2パック・トゥーパック)とは【徹底解説まとめ】

2pac(2パック・トゥーパック)とは、アメリカ合衆国のラッパーであり、俳優としても活躍した偉大なアーティストである。1991年にDigital UndergroundでMCニューヨークとしてデビューし、同年11月に2Pacとして『2Pacalypse Now』でソロデビューを果たす。黒人差別や社会問題をリアルにつづった歌詞は、多くの人に影響を与えた。1996年9月8日のラスベガスで銃弾を4発被弾し、25歳という若さで命を落とす。この世を去ってからも多くのアーティストやファンに愛され続けている。

「俺がされてきた残虐行為をラップすべきじゃないって?メディアは一切そういうことを取り上げない。だから俺はラップでそれを伝えなきゃいけないんだ。」

1994年インタビューにて、「俺がされてきた残虐行為をラップすべきじゃないって?メディアは一切そういうことを取り上げない。だから俺はラップでそれを伝えなきゃいけないんだ。」と発言した。
黒人差別による残虐行為をメディアが取り上げることがないのは、「真実」として明確にしたくない事柄であるからだ。だからこそ、過酷な環境で生き抜いてきた2Pacのこの発言は、事実を隠すことは何も変わらないのと同じだと言っているようにも思える発言である。

「オレはいつも闘い続け、もがいてきた。 死ぬってこと以外にそれを制止できない。」

1995年のインタビューにて、「オレはいつも闘い続け、もがいてきた。 死ぬってこと以外にそれを制止できない。」と発言している。
2Pacの壮絶な人生において、生き抜くために闘い続けてきた彼らしい言葉である。

「母さんのことは愛してるよ。最高の母親だ。失敗も含めて全部愛してる。」

1995年のMTVのインタビューにて、「母さんのことは愛してるよ。最高の母親だ。失敗も含めて全部愛してる。」と発言した。
コカイン中毒という失敗もあった母親のAfeniについて聞かれた2Pacは、迷うことなく答えている。幼い頃から女手一つで育ててくれた母への思いが感じられる言葉だ。

2pac(2パック・トゥーパック)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

「サグ」という言葉の意味

「サグ」という言葉はヒップホップを聞いている人には馴染みの単語である。この言葉の意味は「極悪人」「犯罪者」「ギャング」「やくざ」というような意味を持っているが、2Pacは社会的困難を乗り越えようとするたくましい人物といったポジティブなイメージに変えた。BONE Enterpriseというアメリカの4人組のラッパーが、Bone Thugs-N-Harmonyに改名したのは「サグ」という言葉のイメージが変わったからという説もある。

『All Eyez on Me』がレコーディングされた期間は2週間

『All Eyez on Me』に収録されている曲は全部で27曲もあるのだが、これをフィーチャーしたアーティストも含め、ほぼ1発取りであった。1発取りが強要されるなか、Snoop Doggだけはこれを免れ、家に帰って歌詞を書くことを許されていたそうだ。

名曲『Dear Mama』のメモに書かれたメッセージ

プラチナディスク認定された「Dear Mama」という楽曲は、人気の高い名曲であるが、この曲の歌詞が書かれたノートが発見され、7万5000ドルでオークションで販売された。直筆のノートには一時期の間、2Pacと付き合っていたと言われている、ラッパーのYo-Yo、師匠に近い存在であるラッパーのIce Cubeの名前が書かれており、「俺が刑務所でレイプされたとか言ってるマザーファッカーたちがいる。俺がラップ・ゲームで成功したから彼らは俺に死んでほしいんだ。でも自分を信じろ。」と自分を奮い立たせるかのようなメッセージが残されていた。

2pac殺害事件で狙われたのはデス・ロウ・レコードの創設者

1996年9月13日に銃撃事件に巻き込まれ、命を落とした2Pacだったが、狙いは彼ではなく、デス・ロウ・レコードの創設者であるSuge Knightだった。この事件はデス・ロウ・レコードのセキュリティー部門を務めていたReggie Wright Jr.と、その元妻であるSharithaがデス・ロウ・レコードを乗っ取るために計画されたものであると、ドキュメンタリー映像で明らかにされた。
だが、この証言が真実であるかは、未だ不明である。これが真実であったとしても、偉大なラッパーである2Pacは戻らない。当時、この事件について詳しく調べられることがなかったのも不可解な点である。

2Pacの最期の言葉は「Fuck You」

銃撃事件があった日のラスベガスで夜勤をしていた警官Chris Carrollは2Pacが撃たれた後、捜査の協力を求めたが、デス・ロウ・レコードの創設者であるSuge Knightに、ずっと何かを伝えようとしていたとの証言した。この後に2Pacは、警官に「Fuck You」と言って意識を手放し、意識が戻ることはなかった。

「若者について」というインタビュー

1988年に撮影されたドキュメンタリー映像のインタビューで、当時17歳だった2pacは「女の子や車も音楽も好きだけど、僕は社会問題に目を向けたい。ドラッグに関する授業、真剣な性教育、警官による暴行の存在を教える授業、アパルトヘイトについての授業、なぜ人々が貧困に悩まされているのかを教わる授業があるべきなのに、実際にはそんなものは無くてジムで体育なんかをやっている。さあ、バレーボールをやりましょうだなんて。」 と語っていた。17歳とは思えないこの発言は、母親のAfeniがブラックパンサー党で活動していたことや、毎朝の新聞を隅々まで読むように教育されて育ったことで身に着いた知性からの言葉であると思われる。

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