モンテッソーリ 子どもの家(映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『モンテッソーリ 子どもの家』とは、世界中の多くの人々から支持されている教育メソッド「モンテッソーリ教育」の魅力と子どもたちの成長をつづったフランスのドキュメンタリー映画。北フランス・ルーベにある同国最古のモンテッソーリ幼稚園を2年3カ月にわたって取材し、2歳半~6歳の28人の子どもたちがユニークな教具で自由に学ぶ姿、そして彼らが成長していく中でふと訪れる感動的な瞬間を捉えることに成功している。日本語吹き替え版ではマリア・モンテッソーリの声を本上まなみ、監督の声を向井理が担当している。

教具

音感ベルを鳴らすシャルロット

モンテッソーリ園では、棚の中に整然と教具が並べられている。子どもたちはその中から自由に選択して、自分の机に持っていき、心ゆくまで「お仕事」に集中し、終えたらまた、元あった棚に戻す。これを繰り返す。教具はモンテッソーリ教育の中でも大切なものであるが、この教具とおもちゃの違いはその目的が異なる点である。
おもちゃは子どもを楽しませることを目的としているのに対して、教具は子どもの成長を援助することを目的にしている、という明確な違いがある。そして使い方もそれぞれの教具ごとに決まっており、自由気ままに扱えるおもちゃとは一線を画すところがある。

『モンテッソーリ 子どもの家』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

マリア・モンテッソーリ「子どもの行動は、私たちに多くのことを教えてくれます。子どもは決して力のない存在ではありません。威厳に満ちた存在なのです。」

先生のお話を聞く子どもたち

映画冒頭、最初のマリア・モンテッソーリの言葉が、「子どもの行動は、私たちに多くのことを教えてくれます。子どもは決して力のない存在ではありません。威厳に満ちた存在なのです。」である。モンテッソーリが子どもを観察する中で発見したのは、子どもは生まれながらにして自らを発達させる力を持っているということであった。モンテッソーリ教育の根幹をなしている重要な言葉である。

マリア・モンテッソーリ「私は馬鹿げた思い込みをしていました。子どもを聞き分けの良い努力家に育てるにはその子の食欲や自尊心などを褒美を与えて満たしてやればいいと考えていたのです。でも今まさに伸びようとしている子どもにはそのような欲は存在しませんでした。」

砂文字版に触れる園児たち

子どもたちの「お仕事」を観察する中での、マリア・モンテッソーリの言葉が、「私は馬鹿げた思い込みをしていました。子どもを聞き分けの良い努力家に育てるにはその子の食欲や自尊心などを褒美を与えて満たしてやればいいと考えていたのです。でも今まさに伸びようとしている子どもにはそのような欲は存在しませんでした。」である。子どもたちに褒美を与えたり、罰を科すことはないことをモンテッソーリは強調している。それは褒めたり罰を与えたりする行為は、自分で間違いに気づく楽しさや意欲や興味を奪うことになりかねないからである。

アレクサンドル・ムロ監督「教室は実験室であり、観察する場である。子どもに介入せず集中を妨げないこと、障害となるものは置かないこと、そうすれば子どもたちは素晴らしい飛躍を見せてくれる。」

空け移しの「お仕事」に没頭するジェロ

子どもたちの「お仕事」を観察する中での、アレクサンドル・ムロ監督の言葉が、「教室は実験室であり、観察する場である。子どもに介入せず集中を妨げないこと、障害となるものは置かないこと、そうすれば子どもたちは素晴らしい飛躍を見せてくれる。」である。モンテッソーリ教育にはマニュアルに沿った日々の細かい時間割や教師主導のプログラムはない。子どもたちの活動は自主性によって保たれ、自らの力によってもたらされた達成感が、次の課題に向かう原動力となっている。学びと自己実現のためには集中力が肝心である。この事実が神経科学で解明されるよりもずっと前にモンテッソーリは気づいていたことから、この言葉の重要性は特筆すべきである。

『モンテッソーリ 子どもの家』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

制作のきっかけは監督自身の長女の存在

本作では子どもたちの生き生きとした表情が映し出されている

本作はムロ監督のプライベートな映像から始まっている。その映像とは監督自身の長女の姿である。日常の中で子どもを観察する際、ムロ監督は子どもの好きにさせ、自分で困難を見定めて自分のリズムで解決させていた。しかし、周囲にはなかなか理解されず、奇異に思われたり、正気を疑われたりもした。ムロ監督はこの出来事をきっかけに本作を制作することにし、子どもの心理や教育法に興味を持つきっかけにもなったとされている。

1人での撮影を決めたムロ監督

アレクサンドル・ムロ監督

モンテッソーリの教育法を見せたかったムロ監督は1人で撮影することに決め、自由に動けるように小型カメラに脚を付け、そこにマイクを2個付けた。そして子どもたちの視線の高さで撮影している。教室を3週間観察した後で2015年3月に撮影を開始。子どもたちの中にそっと溶け込めるように機材を少しずつ運び込み、映像の前に写真を撮ることから始めている。撮影は2016年6月に一旦終わったが、その後も何度もクラスを訪れ、子どもたちの成長ぶりを撮り続けていた。ルーベでの試写会は、子どもたちとその全家族に加えて620人の観客が集まり、とても感動的なものになったとされている。

ありのままの姿が撮られた子どもたち

中心的な園児のジェロ

監督は「子どもたちを選んではいない」と答えており、「撮影中に特別に何人かの子にカメラを向けていたわけでもない」と話している。ルーベのモンテッソーリ幼稚園に規則正しく撮影に通い、何が起きるかはまったく予測できない中で、非常に難しい撮影だったとされている。本作では何人かの個性が際立っているが、それは子どもたちの学びにおける魔法のような瞬間を捉えるチャンスに偶然恵まれたからであり、教師が忍耐強く待つのと同じことである。子どもたちは上手にできるやり方やコツを自ら発見し、文字を読み、水を移すことに夢中になり、瞳を輝かせる。楽しさと優しさにあふれたシーンの数々は取りかかるまでに長時間ためらい、迷う子どもたちもいた。撮影を観察していた子どもたちの姿も本編で垣間見ることができる。観客は彼らをその他大勢と見なしがちだが、それは映像の読解論であり、監督の意図したことではない。このメソッドのおかげで自立や集中、他者との関わり方、謙虚さを体得した子どもたちが、この映画の魅力を引き出してくれている。

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