10代で読んで欲しい哲学&倫理学&心理学の名作を紹介!プラトンやニーチェなど
長年に渡り世界中で読み継がれている哲学や倫理学、心理学の名作をまとめました。古代ギリシアの哲学者プラトンの『国家』や、ドイツの思想家ニーチェの『道徳の系譜』など、各作品の基本情報や読者の感想をまとめています。哲学入門編にぴったりな本もまとめて紹介しています。
―自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎づける。
人が全く絶望していない状態を叙述したキルケゴールさんの定式である。
キルケゴールさんはほとんど全ての人間は絶望していると言う。絶望していない人はほとんど存在しない。存在しているとしたら上記の定式に当てはまっているというわけである。
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この本では絶望の様々な形態が抽象的かつ具体的に細かく描写されている。それぞれの絶望が目に浮かぶ。
何も考えることなく日々の辛い日常に埋没している人、単に享楽に浸り込んでいる人、世の中を恨み引きこもっている人、自分は成功者と人々にもっともらしい説教(最近はネットの発展でFacebookやTwitterで持論を展開していることも含まれるかな?)をしている人、企業家、政治家、仕事に疲れたサラリーマン、夫に愛想を尽かした妻、そしてなんとこの私自身もこの本のなかに見事に描写されている。
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キルケゴールさんはこの本を教化のための著作といい、教化とはもちろん表面上はキリスト教を信仰しなさいという意味なんだけど、そして、この本の結論としては、これまた表面上は絶対に何等の絶望も存しない状態になるためには信仰するしかない…というものではあるのだけれど、わたしには実のところキリスト様は関係ないのじゃないかと思う。
脳が脳を見ることができないように、世界を見る自分という存在がその見る対称たる世界に含まれているという矛盾から生まれる叙述の不可能性ゆえに、脳の中でのグルグル回しの無限性ゆえに、不可能を可能にする、無限を体現する神を仮定せざるを得なかっただけなんじゃないかと…
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マキャベリの君主論とキルケゴールの死に至る病、面白かった。こういう妄想が極限までいって論理化したようなのって、やっぱこういう時代のものが重厚で面白いわ。
— 高須賀とき (@takasuka_toki) February 7, 2015
キルケゴールが闇過ぎて 死に至る病とは絶望のことである。とか言っちゃうし、でも実在哲学めっちゃ面白いし頭おかしくなりそう
— はしもと こうやくん (@hasiko_) 2016.11.10 10:13
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この本は、もともと自然神学をテーマとしてスコットランドの4大学で開講されているギッフォード講義に招聘されたジェイムズが、エディンバラ大学で行った講義だったそうだ。聴衆に語りかける語り口が親しみやすく、引用が多いわりには平易で明快な論述になっている。
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講義の全編を貫く主題は、リアリティとは何かという問いだといえるだろう。様々なタイプの人間が、それぞれの仕方で、これこそ自分にとってリアルな存在だと感じるものがある。それが別の立場の人間からは否定されたり軽視されたりするものであっても、等しく人間の生を基礎づける根本的なヴィジョンであるかぎり、その意義と価値を認めていこうというのが、ジェイムズの基本姿勢のようだ。
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わたしたちを取り巻くリアリティは、ある特定の立場からその全容を解明されるようなものではなく、どこまでも奥深く、多様な側面をもったものなのだ。ジェイムズが語る宗教経験の諸相は、多様な仕方で現われるリアリティのどこまでも深い深みを、多角的に照らし出してくれる。これは、宗教的寛容や、宗教多元論など、現代社会が直面する課題にとっても、とても有益な、ほとんど唯一の方向性を示した見解ではないだろうか。
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ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』(桝田啓三郎訳)を久しぶりに読み返している。ベルクソンがこの本にふれ、著者は幾多の宗教現象を網羅的に論じた、というのは全く的外れで、彼自身が神秘の次元の住人となったところに眼目がある、と語っているが本当だ。批評としても一流の作だと思う。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) January 28, 2017
ジェイムズに言わせるとニーチェとショーペンハウアーは死にかけた2匹のネズミの断末魔の遠吠えである。なるほどこの意見には何か否定せざるものがある。宗教的経験の諸相、これには仏教に関する間違った知見もある。また他の人の本で大拙のフォルステルングを表象と理解できない学者がいた。
— ワダアキラ (@akira23141) June 14, 2017
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難しいがなんとか読了。この本を読んで昔の大学生は色々論じていたかと思うと頭が下がる思い。もうちょい勉強します。
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本書において、ニーチェは、人類にとってこれからも永遠に問題であり続けるテーマを、人類史上初めて明確な言葉にもたらした者として提起している。それは、「無への意志」という、これ以上厄介なものは到底考えられないテーマだ。以下に該当部分を引用する。
「…何物かが欠如していたということ、人間の周囲に一つの巨大な空隙があったということ、このことをこそ禁欲主義的理想は意味するのだ…「何のために苦しむのか」という問いの叫びに対する答の欠如していたことが彼の問題であった。―そして禁欲主義的理想は人類に一つの意義を提供したのだ!(中略)…無への意志…人間は欲しないよりは、まだしも無を欲する」(『道徳の系譜』第三論文28節)
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この「無」に何を代入するかによって、人類の歴史は、また個々人の生活史は、際限なく多様な、そして大抵の場合実に厄介な幻想を抱え込むことになる。
ニーチェの翻訳は、本書のように成功した場合には、生涯に渡って消えることのない感動をもたらす経験となるだろう。
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ニーチェの道徳の系譜学
— Yamauti (@Yamauti3) September 7, 2017
すごいなあ。文庫本で1000円でお釣がきて意味の通じる日本語になっててちゃんと世界観が変わる。
弾圧に適応することを自ら行なうべき道徳と信じこんだりする被支配層の気持ち悪さ。そして勝ちと負けが逆転して過労死するまで働くことがよい人生になったり
今「人はなぜ物語を求めるのか」を読んでいるのですが、ニーチェの「道徳の系譜学」の一説からまさか「アンパンマンのマーチ」の歌詞の一部へと接続されるとは思いもせず、全然関係ないと思っていた二者間の関係性になぜか不意に笑ってしまった pic.twitter.com/4NRJCEbltm
— 享楽 (@vita_t_t_t_act_) August 9, 2017
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ベーコンは、彼の考えを、アフォリズムという短い文章を積み重ねる形式で表した。これは、論理を積み重ねていく、という思考形式自体を批判していることによる。
ベーコンは、人間は、自分が直接観察あるいは経験したことだけを知ることができるとして、演繹法的な思考を批判した。
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彼は、人間の論理展開は勿論、人間の直接の感覚自体にも、批判的な見解を述べている。これは、後のヒュームにも通じる、イギリスに特有の、人間という存在に対する、基本的な懐疑が現れている。
こうした思想からは、狂信的な思想は決して生まれない。
ベーコンは、単に思考形式の問題だけではなく、批判的な見方を許さない、キリスト教の影響が強かった当時の風潮も批判している。
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彼がこの書で明らかにした、いわゆる4つのイドラ、すなわち、人間の本性、個人、社会生活、論証の誤った諸規則、のそれぞれによる偏見、という問題は、今日でも当てはまる。
これまでの考え方やものの見方が、限界を迎えつつある現代の日本において、もういちど、目の前の現実を、一から見直してみるために、この書は、もっと読まれていい本だと思う。
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ベーコン『ノヴム・オルガヌム』
— 【小学生資産家】 (@sundenotokorode) July 17, 2017
アリストテレス論理学なんかを徹底的にこきおろす感じが楽しい
しかし楽観的だ。事実うまくいったんだけども。
第一千年紀は、アリストテレスの『オルガノン』の時代だった。 第二千年紀は、ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』の時代だった。 第三千年紀は、ウスペンスキーの『ターシャム・オルガヌム』の時代である。
— イデア (@parudo6) 2016.08.04 17:41
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