チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(映画)のネタバレ解説・考察まとめ

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』とは、1987年に香港で制作・公開(日本では1989年に公開)されたSFホラー恋愛映画である。
遠い昔の中国を舞台に、借金の集金をしながら旅をしている青年ニン・ツォイサンが一晩泊まれる場所を探し、蘭若寺へ向かう。すると琴の音色が聞こえ、ツォイサンが音色の方へ行くと、琴を奏でる美女シウシンと出会う、というストーリーである。本作品におけるSFXホラーは画期的であり、香港映画界に大きく影響を与え、これ以降多くの類似作品が多く製作された。

剣の使い手で、幽霊や妖怪を退治する事を主な使命としている。インはその道士の職務を全うする一方、ハーハウの様に欲の為に道を踏み外す者も少なくない。道士というキャラクターは映画『霊幻道士』シリーズ等のホラー作品で多く描写されている。

鈴&金剛経

金剛経。

インがおとりになるツォイサンに渡した道具。蘭若寺の中でツォイサンが待機し、妖怪や幽霊(シウシン含む)が現れたら、外で待機するインに向けて鈴を鳴らす。また、妖怪や幽霊に対し金剛経に書かれたお経を唱える様にインから指示される。しかし、蘭若寺ではこれらの道具があまり発揮される事がなかった。ただ本作品クライマックスでは、黒山妖怪に連れて行かれたシウシンを助ける為に冥界へ向かったツォイサンが、服の胸部にしまってあった金剛経が飛ばされ黒山妖怪の頭部に張り付いた事で妖力が弱まった。そしてツォイサンはインの剣を黒山妖怪の頭に突き刺し、黒山妖怪が爆破と共に消失した。

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

ツォイサン「宇宙は無限 真の愛は永遠 何より愛こそが最も強力な武器だ」

道士インとハーハウの剣で板挟み状態となったツォイサン。

ただで泊まれる場所を求めて蘭若寺を訪れ、戦っていたインとハーハウの剣で板挟み状態となった際にツォイサンが言った言葉である。
己の命が関わっているとはいえ、詩的かつ筋が通った言葉である。この言葉を聞き入れたのか、ハーハウはその場を去って行く。

イン「巨大な野心があっても、死ねば皆ただの皮だ」

「ミイラ」化したハーハウの体を術で燃やすイン。

川でシウシンにより「ミイラ」にされたハーハウのもとへやって来たインが「巨大な野心があっても、死ねば皆ただの皮だ」と思わず口にする。どんなに野心や欲があっても、いずれ失くなってしまうという、印象的で強いメッセージである。「ミイラ」化したハーハウはなおインに襲いかかるも、直ぐにインの術で体を燃やされる。

シウシン「時には幽霊より人間のほうが何倍も残酷よ」

出典: image.uc.cn

自分に冷たい態度を取るツォイサンに対し、涙を浮かべるシウシン(写真右)。

インの妖怪や幽霊を退治する作戦のもと、蘭若寺で待機していたツォイサンのもとへ、シウシンが現れ再会する。ツォイサンは既にシウシンを幽霊と知り怯えた様子で、彼の様子にシウシンは思わず涙を浮かべる。そしてシウシンは「時には幽霊より人間のほうが何倍も残酷よ」と訴えつつ、自身が幽霊として歩んで来た日々を話し、二日後の黄昏前に自分の骨壷を田舎の家に埋葬すれば転生ができると告げた。それを聞いたツォイサンが、シウシンの願いを叶えようと決心した。

ツォイサン「真人間になれよ、永遠に忘れない」

出典: s.zimedia.com.tw

顔を見られずにシウシンに別れを告げるツォイサン。

黒山妖怪を倒し元の世界へ戻って来るが、既に夜明け時で、シウシンがこの世にいられる時間はもう無かった。ちょうどその時、木の柱が倒れるのをツォイサンが押さえ、日の光が差し込むのを押さえていた。ツォイサンはシウシンの顔が見られない状態で「真人間になれよ、永遠に忘れない」と別れの言葉を伝えた。ツォイサンが振り返ると、シウシンは骨壺へ戻っていた。

イン「人間運が悪い時は、幽霊より悲惨だな」

出典: p3.pstatp.com

シウシンの骨壺を埋葬し新たな旅立ちを始めようとするインとツォイサン(写真左から順に)。

物語終盤、シウシンの骨壺を埋葬しながら、「人間運が悪い時は、幽霊より悲惨だな」とインが話した。人間の数々の醜い部分を目の当たりにし、世捨て人として道士の道を歩んだインの言葉が、ツォイサンに重くのしかかる。

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

「ワイヤーワークの神様」チン・シウトン

出典: i.mydramalist.com

チン・シウトン主演のカンフー映画『出籠馬騮』(1979年)の広告。

本作品で監督を務めたチン・シウトンは17歳でスタントマンとなり、父親で監督のチン・カンが手掛けた『14アマゾネス 王女の剣』(1972年)では副武術指導も務めた。また、1979年に制作のカンフー映画『出籠馬騮』では武術指導兼主演を務めた。しかし、俳優を務めたのはこの作品と子役として出演したキン・フー監督『大酔侠』(1966年)のみであり、以降は武術指導や監督に徹している。(1980年代初めの)映画俳優の給料は7000元だったのに対し、武術指導は2万元であり、直ぐに武術指導を選択したとの事。

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