Linkin Park(リンキン・パーク)とは【徹底解説まとめ】

Linkin Parkとは、アメリカのロックバンドである。
従来のロックサウンドにヒップホップ、インダストリアルなど様々な要素を融合させた、革新的なサウンド作りのメジャーデビューアルバム「ハイブリッド・セオリー」が大きな反響を呼んだ。
3枚目のアルバム「ミニッツ・トゥ・ミッドナイト」で音楽性の路線変更があり賛否両論を巻き起こす。
リードヴォーカリストのチェスター・ベニントンが2017年に、自殺によりこの世を去った。

Linkin Parkの概要

Linkin Park(リンキン・パーク)は2000年代から活躍するロックバンドである。
2000年に1stフルアルバム『ハイブリッド・セオリー』をリリースしてメジャーしてデビュー。
ラウドロッにヒップホップ、ハードコア、インダストリアル、エレクトロニックなど様々な音楽要素を融合させた、ヘビィでハードなサウンドをバックに激しいシャウトやラップ、スクラッチなどが乱れ舞う、ニュー・メタルやミクスチャー・ロックの先駆けになった。
2002年、第44回グラミー賞で3つの部門にノミネートされ、『ハイブリッド・セオリー』からの2ndシングル「クローリング」でベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。

2007年に3rdアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』をリリースし音楽性で大きな路線変更があり、賛否両論が起こる。
アルバムからのファースト・シングル「ワット・アイヴ・ダン」が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画『トランスフォーマー』の主題歌に使用された。
年となった。

2017年、7thアルバム『ワン・モア・ライト』を同年5月にリリースした。
チャートでは全米1位を獲得したものの、アルバムの方向性をこれまでのバンドの作品と比較しても大きくポップ路線へと変更したことにより、賛否両論が巻き起こった。

全世界累計アルバムセールスは5,500万枚以上を記録している。
リードヴォーカリストのチェスター・ベニントンが2017年に、自殺によりこの世を去った。

Linkin Parkのメンバー

チェスター・ベニントン(Chester Charles Bennington)

驚異的な激しいシャウトと、メロディアスなバラードでの伸びやかな歌声でヴォーカルを担当。
ソロプロジェクトのデッド・バイ・サンライズとしても活動し、ストーン・テンプル・パイロッツのヴォーカルも務めた。
入れ墨の愛好者で、体中に入れ墨とピアスがある。
元々病弱で様々な病や怪我に悩まされる。
クリス・コーネルとは親しい友人で、彼の葬儀ではレナード・コーエンのハレルヤを歌った。
2017年7月20日、ロサンゼルスの自宅で死亡しているのが発見された。

マイク・シノダ(Mike Shinoda)

ヴォーーカル、ラップ、ギター、キーボードを担当。
日系米国人の父とロシア系米国人の母とのハーフ。ソロとしても作品を発表している。
アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン卒で母校の奨学金制度を設立。
日系アメリカ人の組織やエイズ基金、インドネシア津波基金などにも積極的に寄付している。

ブラッド・デルソン(Bradford Phillip Delson)

アンスラックスとパブリック・エネミーとのジョイントコンサートに感銘を受けギターを始める。
ユダヤ系アメリカ人でUCLA卒。大学ではフェニックスとルームメイトだった。
プロダクションや作曲にも参加し、映画「トランスフォーマー: リベンジ」主題歌の「ニュー・ディヴァイド」では、作曲に加わっている。

フェニックス(Phoenix)

ウィーザー、ビートルズ、デフトーンズ、ザ・ルーツ、ボブ・マーリー、サラ・マクラクランらの影響を受けベースを始める。
Tasty Snaxというパンクバンドに所属していて、大学時代はブラッド・デルソンと同じ部屋で練習していた。
エレクトリックベース、エレクトリックギター、チェロ、バイオリンの演奏に習熟し、コンサートではコントラバスを弾くこともある。
コーラスも担当する。
愛称は「フィーフィー」である。

ジョー・ハーン(Joseph "Joe" Hahn)

韓国系アメリカ人二世で、大学でマイク・シノダと初めて出会いDJを担当する。
2002年に、韓国系アメリカ人初のグラミー賞を受賞。
2010年には、テレビ・ゲームのメダル・オブ・オナーのメイン・テーマソングに自身が手掛けた"The Catalyst"が使用された。
両親共に韓国人で、親戚が韓国にいるそうだが、韓国語は話せない。
映像作家としも、リンキン・パークのほとんどのミュージック・ビデオを監督しており、また映画作品もこれまで2本制作している。
マイクとともに、いくつかのアルバムのアートワークも手掛けている。
日本の玩具、特にガンプラが好きで、「Somewhere I Belong」のミュージック・ビデオの中でガンプラを登場させている。

ロブ・ボードン(Rob Bourdon)

ユダヤ系アメリカ人でエアロスミスのコンサートを観て、ドラムスをプレイし始める。
高校で中学時代からの親友であるブラッド・デルソンとRelative Degreeを結成。
Relative Degreeは間もなくして解散したが、すぐに高校の同級生のマイク・シノダとバンドの前身となるSuper Xeroを結成。

Linkin Parkの活動経歴

もともとは、中学、高校からの親友であったヴォーカルのマイク・シノダとギターのブラッド・デルソンが、友人だったドラマーのロブ・ボードンを誘いバンド、スーパー・ゼロを結成する。
その後、ブラッドがアパートをシェアしていたルームメイトのベーシスト、フェニックスと、マイクがパサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで知り合ったDJのジョー・ハーンが加入した。2人の加入後、バンド名は短縮されゼロとなった。
5人組となった彼らは、さらにヴォーカルにマーク・ウェイクフィールドを加え、初のデモテープを自主制作した。
1998年にはマークが脱退し、彼の後任を探していたメンバーは、9年間ソロや他のバンドで歌っていたヴォーカリスト、チェスター・ベニントンを知り、デモテープを受け取ったチェスターはその音響に感銘し、オーディションを受け加入が即決定し、ハイブリッド・セオリーに改名し活動を続け、なんとかワーナーとの契約締結に漕ぎ着け、Linkin Parkと再改名した。

2000年に衝撃のデビュー作『ハイブリッド・セオリー』でデビューし、2002年の第44回グラミー賞でシングル「クローリング」がベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。
2003年に2ndアルバム『メテオラ』をリリース。初週に81万枚を売り上げ、アメリカとイギリスで初登場1位を獲得し、現在までに全世界で1000万枚以上の売り上げを記録している。
チャリティ活動にも積極的に参加し、2003年4月8日から行われたツアーに、アメリカの軍人とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う」と述べ、軍人らを称えた。2004年に東南アジア地域がスマトラ島沖地震による災害に見舞われた際には、赤十字の協力のもとに基金団体「ミュージック・フォー・リリーフ」を設立、バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた。
2005年、チェスター・ベニントンは、アメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害救済のチャリティー企画に参加し、モトリー・クルーのヒット曲「Home Sweet Home」を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てた。

2007年3rdアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』をリリースし、音楽性の路線変により更賛否両論が起こったが、アメリカ、日本を初め世界31か国で1位を獲得。そのほとんどの国々でプラチナディスク、ゴールドディスクの認定を受けた。シングル「ワット・アイヴ・ダン」が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画『トランスフォーマー』の主題歌に使用された。
2007年7月に、世界7大都市で同時開催されたチャリティーコンサート「ライヴ・アース」の東京公演に、ヘッドライナーとして出演した。

2010年9月、前作から約3年ぶりの4thアルバム『ア・サウザンド・サンズ』をリリースした。
2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震及び東日本大震災支援のため、「ミュージック・フォー・リリーフ」制作のチャリティーアルバム『ダウンロード・トゥ・ドネート:ツナミ・リリーフ』に向け、新曲「Issho Ni(いっしょに)」を提供した。

2012年6月には、前作から約2年ぶりの5thアルバム『リヴィング・シングス』をリリース。

2014年に6thアルバム『ザ・ハンティング・パーティー』をリリース。

2017年2月16日、バンド初となる女性シンガーのキアーラをフィーチャリングした楽曲「Heavy」を、7thアルバムからのリードシングルとしてリリース、その7thアルバム『ワン・モア・ライト』を同年5月にリリースした。
チャートでは全米1位を獲得したものの、アルバムの方向性をこれまでのバンドの作品と比較しても大きくポップ路線へと変更したことにより、賛否両論が巻き起こった。

2017年7月20日、リードボーカルのチェスター・ベニントンが、ロサンゼルスの自宅で首吊りによる窒息によりこの世を去る。

Linkin Parkのディスコグラフィー

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