ドラゴン危機一発(映画)のネタバレ解説・考察まとめ

『ドラゴン危機一発』とは、1971年制作の香港映画。アメリカから香港に凱旋したブルース・リーがゴールデン・ハーベスト社と契約して主演した一連のカンフー映画の第1作目。香港では当時の映画興行記録を更新する大ヒットとなった。日本では大ヒット映画『燃えよドラゴン』の人気を受けて1974年に劇場公開された。 町の製氷工場で働く事になった田舎の青年が、その工場に麻薬犯罪がからんでいる事を知り、工場一味に戦いを挑む。

最後の戦い

仲間を殺された復讐のため、連れ去られたチャオ・メイを救うため、1人マイ社長の屋敷に乗り込んだチェン。屋敷の広大な庭でのチェンとマイ社長との壮絶な一騎打ちが始まった。

息子や手下のヤクザを悉く倒されてしまい、もう自分しか残されていないマイ社長。追い詰められた彼と捨て身のチェンの戦いは、本作のクライマックスを飾るにふさわしい名シーンであり、お互いがカンフーの達人であるが故の壮絶な戦いとなった。

衝撃のラストシーン

マイ社長を死に至らしめ勝利したチェンを待っていたのは、チャオ・メイの通報で駆け付けて来た警官隊だった。彼らに抵抗しようとするチェンに、チャオ・メイは「抵抗しちゃだめ!」と言い聞かせ、彼女はチェンの胸に飛び込んだ。そしてチェンは「大丈夫だ」と彼女に言い残し、警官隊に連行されて行くのだった。

本作の結末はチェンがマイ社長に勝利してジ・エンドかと思いきや、なんと警官隊に連行されて行くという衝撃の結末であった。チャオ・メイが最後にチェンを助けるという展開は誰も予想しなかったに違いない。見事なラストシーンと言っても過言ではないだろう。

『ドラゴン危機一発』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

制作当初のエピソード

本作は製作当初から、ロー・ウェイが監督を担当することになっていたが、直前に製作していた作品の完成が遅れてしまったため彼はクランクインに間に合わなかった。そこでクランクイン直後はとりあえず、ゴールデン・ハーベストの創業者の一人でもあるレナード・ホーが代わりにメガホンを取っていた。だが彼もロー・ウェイが戻る前に別の仕事で現場を去ることになり、助監督で工場長役のチェン・チャオと、同じく助監督で最初に麻薬を発見し殺される青年を演じたチー・ヤオチャンの二人がロー・ウェイが戻るまでの間、現場を切り盛りした。因みにチェン・チャオはタイ在住の華僑であり、現地のスタッフとキャストを取り纏めるなど、本作では八面六臂の活躍をしており、チー・ヤオチャンは本作での仕事ぶりをブルース・リーに認められ、以降『燃えよドラゴン』に至るまでの全てのリーの主演作品で助監督を担当している。
また、本作品の主演は当初、シュウ役を演じるジェームス・ティエンで考えられていた。ティエンはゴールデン・ハーベストの創設時にショウ・ブラザースから移籍した期待の俳優だった。その頃アメリカから香港に凱旋したブルース・リーがゴールデン・ハーベストと契約。当初リーは準主役で考えられていたが、彼の凄まじいインパクトに魅せられた製作サイドが、急遽リーを主役に据える方向でシナリオを書き替えたという。

ロケ地はタイ王国

本作は、ほとんどのシーンのロケがタイ王国で行われており、主要キャストを除いてエキストラもほとんどがタイ人である。
ストーリー上の設定としては20世紀初頭をイメージして制作されたが、タイ側スタッフの意思統一が図られなかったためか、登場人物は皆、前時代的な衣装を着ている。また、劇中に現代風の大型バスやパトカー等の車両が登場するが、登場人物は常に徒歩移動しているという、不可解な世界観で描かれている。

撮影中のエピソード

本作のロケーションが行われたタイ王国は、一年を通じて暑い日が続く熱帯モンスーン気候であり、首都・バンコクの平均気温は約29℃である。主役を演じたブルース・リーもタイの過酷な気候には耐えられず、撮影中に体重は激減してしまったそうである。
また、ブルース・リーがロケーションの最中にコップを洗っていた際、右手の人差し指を十針も縫う大ケガを負ってしまったというアクシデントがあった。後に関係者から語られた情報によると、彼は握力が強すぎてコップを握りつぶしてしまったようだ。

公開当時ブルース・リーの怪鳥音は無かった

本作には、ブルース・リーの必殺技として有名なヌンチャクが登場しないのだが、同時に彼の代名詞となった「アチョー」という怪鳥音も公開当時には入っていなかった。後の『燃えよドラゴン』でリーの怪鳥音が人気となったため、1982年に香港でのリバイバル公開時に合わせ、他のリー作品(主に『燃えよドラゴン』)からサンプリングした怪鳥音をアクション・シーンに被した広東語音源で新たに製作された。以後のソフトでは、ほぼ全てがこの音声をメイントラックに扱っている。因みに日本で発売された最初のビデオソフトにはこの音源が使用されている。この広東語版は、最も馴染みのある音声という新しいファンも多いのだが、その一方で初期公開時のオリジナル音声を支持する層もいるようである。

タイトルについて

タイトルについて、イギリス統治下時代の香港映画には第一公用語である英語の原題が必ず有り、本作の英題は『The Big Boss』であるが、アメリカの劇場公開版では『Fists of Fury』になっている。そして次作の『ドラゴン怒りの鉄拳』は英題『Fist of Fury』が『The Chinese Connection』となっていた。これは本作の『The Big Boss』(大親分)を『The Chinese Connection』(中国麻薬密売組織)に改題して配給しようとしたが、両作品を取り違えて付けたと考えられる。だが真相は不明である。因みに「The Big Boss」とはマイ社長を指すものではなく、原題「唐山大兄」の意訳であり、主役のブルース・リーの事を意味したものである。(直訳は「Chinese Big Brother」)
また、日本題名の『ドラゴン危機一発』について、映画「007シリーズ」の第2弾である『007 危機一発』(後に『007 ロシアより愛をこめて』に改題)をもじったもので、ストーリーとは全く関係ない。(「発」を「髪」と表記すると誤り)

『ドラゴン危機一発』の主題歌・挿入歌

主題曲:『ドラゴン危機一発』

主題歌:マイク・レメディオス『鋼鉄の男』

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