強くなりたいは必要か?
日本のアニメで、「強くなりたい」と主人公は決まってこう言います。そして、日本の少年たちも、「強くなりたい」と決まってこう言います。
これらは本当に必要なのでしょうか?
当たり前ですが、強くなる=成長と捉えれば、必要なのでしょう。
渋谷で彷徨っていた少年がバケモノに拾われ、強くなった(=成長した)ことで、周囲の評価が変わり、信頼を得るに至ったのでしょう。
ただただ、渋谷の街をブラブラしても(とはいえ、社会生活的には、成長しているのかもしれませんが)、あまり変わってはいかないでしょう。
そうであれば、帰宅しても厄介払いされるし、勉強を教えてもらうこともないのでしょう。
その人がどのようなストーリーを経て今に至るのか。そして、なにができるのか。そうしたことがあるからこそ、人からの評価は変わってくるのだと思います。
9歳の頃、どの親類からも厄介払いをされていた少年は、バケモノに拾われて、鍛えられることによって成長し、家に戻っても歓迎されるまでになったと見ることができます。
少年が成長した事によってバケモノ自身の評価も上がっていることにも価値があります。やはり、人生には成長するときが必要なのでしょう。
強くなるということは、成長することの1つの側面になるのだろうということです。