ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One

『ゴジラ-1.0』(ゴジラマイナスワン)とは、世界的に有名な怪獣映画『ゴジラ』シリーズの生誕70周年を記念して制作された映画作品。監督は山崎貴、主演は神木隆之介で、「戦後、日本。無から負へ」とのキャッチコピーで話題となる。
太平洋戦争が集結して間もない東京。元特攻隊の敷島浩一は、仲間を見殺しにした罪悪感に慄きながらも懸命に生きていた。そんな折、東京に恐竜じみた巨大生物が出現。それが戦時中に見たゴジラという怪物だと気づいた敷島は、仇討ちのために、日本の未来のために、命懸けでこれを倒さんとする。

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus Oneのレビュー・評価・感想

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
10

戦後日本の影を映し出す圧倒的な怪獣映画

「ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)」は、戦後の日本を舞台にした怪獣映画であり、圧倒的な破壊力を持つゴジラを通して、戦争の傷跡と、それに向き合いながら再び立ち上がろうとする人々の姿を描いた作品です。

この映画では、主人公・敷島が戦争で大切なものを失い、その喪失感と向き合いながらも、生き残った家族や仲間たちと共にゴジラに立ち向かう姿が描かれます。
敷島の葛藤や犠牲の中で見つけた希望が、映画全体の重要なテーマとなっており、観る者の心を深く揺さぶります。

ゴジラがもたらす破壊と混乱は、戦後の日本が直面していた現実そのものであり、1954年の初代ゴジラが核兵器の恐怖を象徴していたように、本作では戦争の爪痕とそれに続く再建の道が描かれています。ゴジラが特攻隊や戦争による被害を象徴する存在である点も、非常に深い意味を持っています。

また、この映画では、リアルに再現された東京の街並みと巨大なゴジラの姿が、圧倒的な視覚効果を発揮し、観る者に強烈な印象を与えます。
同時に、1950年代特有のクラシカルな雰囲気とVFXが見事に融合した映像によって、観客は時代を超えてこの世界に引き込まれるのです。

「ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)」は、単なる怪獣映画を超えて、戦後日本の人々が直面した苦難と再生の物語を描いた傑作です。
ゴジラの圧倒的な破壊力と人間ドラマが深く結びついており、戦争の悲惨さや人々の再生への願いを強く訴えているのです。ゴジラファンのみならず、幅広い観客にぜひ観てもらいたい一作です。

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
3

今回の作品も...

記憶が正しければ、アカデミー賞視覚効果賞を受賞したような記憶があるので、期待は高めで見てみました。映画冒頭で、まだ完全体になる前のゴジラが出てくるシーンがあるんですが、その場面は恐怖感も感じられてワクワクしました。というか映画全体を見終わったあと、最大の見せ場は冒頭のみだったなと感じました。特に熱心なゴジラファンではないのですが、そのシーンはジュラシックパークを超えたかもというくらい迫力があったのです。
主人公は特攻隊員でしたが、特攻する事ができず逃げた背景があります。それは仕方のないことですし共感も出来ました。その記憶が中々消えることなく映画終盤まで引きずる事になるのですが、主人公やヒロインを含めて考え方や行動がブレブレで、感情移入が難しかったです。神木隆之介さんや浜辺美波さんは演技力の高い俳優さんだと思っているのですが、この作品に対しては申し訳ないですが、演技が良いとは思えませんでした。ご本人の意思ではなく監督の意向が強いのかなと思っているのですが。ゴジラに詳しい方ならもっと色々な意見があるかと思いますが、私は楽しめませんでした。何というか、次はこうなるんだろうなという展開が的中しすぎて、意外性もなかったです。
世間では高評価と低評価が真っ二つに分かれて評価されているようですが、その理由が分かる気がします。監督の作品は日本ではVFXは凄い技術なんだと思いますが、それだけな気がします。毎回新作が発表されるたびに期待して見ますが、映画の最後はモヤモヤ感を出す演出が入り、「またかぁ」といった感じでエンターテイメントとしてはスッキリしません。
素人目線で色々と話してしまいましたが、アカデミー賞を受賞したのは見終わったあと本当なのだろうかという思いが芽生えてしまう作品でした。

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
10

主軸となるのは、やはり敷島の挫折と絶望からの再生の物語。戦後復興の日本と重なり、胸が熱くなる。

搭乗機の故障を訴え、特攻から逃げた主人公・敷島は、味方からその真意を見透かされ塞ぎ込む。
その晩敷島が見たのは、人間の希望や生への執着など紙くずのように蹴散らす、巨大な獣だった。
今までとは比べものにならない恐怖に、怖じ気づいて逃げ出す敷島。
味方はあえなく全滅し、生き残りの橘に再三なじられ責められながら、帰国を果たす。
しかし待っていたのは、がれきと化した実家に戦火に果てた家族……。
何もかもなくなった廃墟の中、心に癒えぬ傷を抱えながら生きる敷島。
しかし日々の糧を得る仕事や仲間、守るべき人々に恵まれ、徐々に平和な生活を取り戻す。
そんな敷島の前に、繰り返す悪夢が現実になったかのように、あの巨大な獣が忍び寄る。
敷島は悪夢を振り払い、愛する者を守り抜くことが出来るか――。

舞台は戦後まもなくの、人々が食うや食わずの生活を強いられている極貧の時代。ゴジラを倒す超兵器などあるはずも無く、人々は枯れ葉のような木造船や廃棄された兵器をかき集めて立ち向かいます。
相手は核兵器を彷彿とさせる熱線を吐き、一歩踏み出すだけで何十人を踏み殺すバケモノなのだから、苦戦は必至。それでも戦わねば、背後にいる愛する人々が踏みつけられ、焼き殺される。
太平洋戦争を生き延びた人々が、再び知恵を総動員、団結して決死の戦いに挑む。そのドラマに最後まで目が離せませんでした。

本作の見所は色々ありますが、私が作中で特に気に入ったのは、ゴジラの面構え。歴代のゴジラは、どこか人間など眼中にない王者の風格を醸し出していました。
しかし今回のゴジラの目つきには、人間への殺意と憎しみ、そして明確な攻撃の意思を感じるのです。
己を原爆によって焼いた人間という“種”そのものを憎悪している。映画館の席に座りながら、そう感じてゾッとしました。
逃げ惑う人々が容赦なく踏み潰される絶望感。吐き出す熱線の先に上がるキノコ雲。絶望の神の姿に痺れました。

幻の試作戦闘機“震電”や、有名な幸運の駆逐艦“雪風”、戦後まで生き残った戦艦“高雄”など。ミリタリーファンが喜びそうな兵器も登場します。
舞台設定から緊迫した展開まで、非常に良く出来た映画でした。イチオシです!

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
9

ヒューマンドラマと怪獣映画のマリアージュ

『ゴジラ-1.0』は、見る前にかなり侮っていました。しかし鑑賞後は、そんな気持ちで見てしまった事を謝りたい気持ちでいっぱいでした。一部、ネタバレがありますのでご注意ください。

前半部分は、物足りない感もあります。ただ特攻帰りの敷島(神木隆之介)と、大石典子(浜辺美波)、太田澄子(安藤サクラ)が戦後の混乱期を乗り越えながら、血も繋がっていない明子を協力して育てていく姿は非常に好きでした。特に敷島と典子の関係はお互いに助け合っていかないといけないのに、夫婦ではない。夫婦になるためには付けなければいけないケジメがあるので…という非常にデリケートな関係が、物語に合っていて好きでした。
浜辺美波を見直してしまう演技でした。敷島の職場の人間描写も見ていき飽きませんでした。一緒にいた人たちが実は凄かったパターンはやはり好きです。

物語は、ゴジラが出てくると一変して、迫力の怪獣映画に様変わりします。巨大な戦艦がゴジラに対して何もできずに沈んでいく様、それを見て絶望する主人公達。「倒せるのか?」という疑問の中で開かれる集会。見ていてワクワクしました。
ゴジラを倒すロジックも良かったです。海神(わだつみ)作戦と予備の作戦の失敗、主人公の覚醒から、とどめを刺す。最後に亡くなったと思われていたヒロインと再会しハッピーエンド。王道展開でも、ベタでも、迫力があり見入ってしまいました。

ツッコミどころはありますがゴジラの迫力と、ホームドラマの2つの要素が上手く混じり合っていた良作だったと思います。
怪獣映画に飽きてきた人、ヒューマンドラマが好きな人、浜辺美波ファンは必見だと思います。

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
7

今までのゴジラの作品の中でも絶望感が凄い!

物語の舞台は、第二次世界大戦の終盤から戦後。今までゴジラとは違い、アメリカに負けたことにより、武器となるものが少なくボロボロの状態からゴジラが現れるという、まさに絶望するしかないと言える作品だ。
主人公である敷島浩一は特攻で向かう途中に零戦が故障したと嘘をついて、小笠原諸島の大戸島に着陸。その日の夜、突然ゴジラが現れ、橘宗作と敷島以外の全員がゴジラによって殺されてしまう。その後、戦争が終結したため、故郷である東京に戻るのだが、家族は全員死亡しており、1人となってしまう敷島。彼同様に家族を失った大石典子と、託された赤ん坊の明子とともに3人で生活することとなる。
そのようなボロボロの状態でありながらも少しずつ日本が復興していく中でゴジラが上陸して、日本を絶望に追い込む。それでも主人公とゴジラに対抗する人たちが、武器もない中でどのようにしてゴジラを倒すのか。
今までの作品には、ゴジラに対抗する武器が何かしら出てきていたため、勝てる望みは少なからずあった。しかし、今回の作品では勝てる見込みが無く、アメリカからの助けも全くないと言った状況。あまりにも無謀な状態でも、勝つために決死の覚悟でゴジラに勝とうとする日本人の姿に感動した。ぜひ1度見て欲しい作品である。

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
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『ゴジラ-1.0』で知る山崎貴のVFXと脚本の凄さ!

11/3に公開された同映画は日本では12/6に39億円、全米では12/5に34年ぶりとなる、歴代邦画実写作品で興収No.1(およそ1436万ドル)の大記録を打ち立てました。
どこに魅力があるのか探ってみましょう。

その①【邦画でもVFXでここまでできることが凄い!】
この映画では「邦画でもここまでできるんだな!」と驚くほどの出来栄えです。
「VFX」とは視覚効果という意味で、リアルの世界では見ることができない画面を演出させるために使われる映像技術のことです。その緊迫感やリアルな映像は思わずに夢中になってしまうほどで、「そこに本当にいる!」と思わせるようなゴジラの暴れ具合や海上での対戦には、目を見張るものがあります。

その②【山崎貴の脚本が秀逸すぎる!】
ゴジラの歴代の作品の中で「ゴジラを倒した感!」を感じるのはほとんどありませんでした。
しかし今回、戦後の変わり果てた東京で生きる人達が「生存する」ために、想像もしなかった方法でゴジラを倒します(一時的にですが…)
「ここまでやれるのか?」と感心させられました。

そして敷島役の「神木隆之介」と大石役の「浜辺美波」が、最後の最後で生存できたことに涙する人は多いのではないでしょうか。
敷島は最後に「ゴジラと爆死か?」と思わせるシーンがあり、大石は爆風で吹き飛ばされて行方不明になります。そんな絶望感のなか「生きていた」ことに安堵するに違いありません。

映画を見た方からは「『シン・ゴジラ』を超えた!」「ゴジラ映画の最高傑作!」と評価が高い作品になっています。
是非、映画館でその現実を実感されてはいかがでしょうか?

ゴジラ-1.0 / Godzilla Minus One
8

ゴジラ生誕70周年記念映画は先祖返り

ゴジラ生誕70周年記念作となった今作の舞台は、ゴジラの先祖返りを目指した第二次世界大戦直後です。
アメリカ版や庵野秀明版では、巨大化した姿が印象的で完成度も高かったのに対し、この映画のゴジラは、初代にならって身長が50mほどになっていました。大分小柄になったものの、良くなった映像技術の影響もあり、俊敏な動きが怖かった印象が強いです。
建物が壊された銀座で暴れるシーンは、ゴジラの足元で逃げ惑う大勢の人々が細かく描かれていたため、特に迫力があり背筋がぞくっとしてしまいました。
ゴジラと人々の距離がとても近く、見ている自分も踏みつけられるのではないかという錯覚に陥ったほどでした。
時代的に自衛隊や防衛組織がなく、高度な化学兵器もなかった中、ゴジラに立ち向かう人たちも日本人だけでできる限りの技術で倒そうとしていました。成功するか、しないか全くわからない作戦に参加し、ゴジラに挑む人々が僅かな期待でも諦めずに戦う姿が印象的でした。
また、人間側のドラマにも深く踏み込んで描かれていました。主人公の元特攻隊の青年は、死ぬのが嫌で逃げ出したことが心のトラウマになっており、葛藤していました。そんな青年を支えていた周囲の人たちの姿が感動的でした。