発禁R15の問題作『アシュラ』ー生きる意味・強さとはー
『眼をそむけるな』-有害図書に指定された問題作が、まさかの映像化!非難された作品であっても、それでも伝えたい想いがあります。今こそ「生きる意味」に向き合ってみませんか?
原作紹介
アニメ映画化
出演者
□アシュラ/野沢雅子 □法師/北大路欣也 □若狭/林原めぐみ □七郎/平田広明 □地頭/玄田哲章
あらすじ・ストーリー
時は15世紀、室町時代の京都。相次ぐ洪水や飢饉のために畑は荒れ果て、食糧も底を尽き、やがて人々は争い合いながら飢え苦しみ、廃れていった。そんな時代に産み落された”アシュラ”は、母親に食べ物として見られながらも捨てられ、1人生き延びていた。そんな時、1人の少女・若狭や法師と出会い、その愛情や教えから次第に人間性を備えていく。人間性が備わったアシュラにとって、幸せだと思う事は苦しみの始まりだった。
「生まれてこなきゃ良かった!」
アシュラを救った少女・若狭
アシュラを怖がらずに傷を手当てし、食料が少ない中で食べる物を用意し言葉を教え、その愛情を持ってアシュラと向き合い、もう二度と殺生をしないようにと教えたアシュラを救った少女・若狭。彼女に好意を寄せている七郎は、自分達の数少ない食料を盗んでは彼女に届けていたが、それもついに途絶えてしまった。日に日に痩せ細る若狭に、アシュラが「馬肉だから食べろ」と渡しに来るのだが、人を殺生していたアシュラからの生肉を前に、[人肉かもしれないが食べる]か[食べなければ飢えて死ぬ]の理性の選択を迫られる。
アシュラを救った法師と名言・名セリフ
「確かに人は皆、ケダモノを抱えておる。だが他のケダモノとは明らかに違うんじゃ。…心ぞ。人には心がある。人は獣の道を歩けば歩くほど苦しくなる。お前がさっき苦しいと言ったのは、人の証じゃ。」
それでも人ではないと振り切るアシュラに、法師は自身の左腕を切って差出し
「さぁ食え!わしの腕を食ってみろ!…わしも同じぞ。誰だって人肉など食いたくはない。それは理性があるからじゃ。だがな、だれしも時に魔が差し、ケダモノの本性をさらけ出してしまうことがある。だが、己の中のケダモノと戦わねばならんのじゃ。人を憎むな、己を憎め。己のケダモノを憎め。これはおまえが人になった祝いじゃ。」
罪と罰
大好きな人に信じてもらえなかった虚しさと、人を人と思わず敵として殺生し食べてきたという事実の矛盾。若狭の葬列とすれ違った時、アシュラの目には一筋の涙が零れ落ちた。
視聴者の感想
70分ほどの作品ですが、無駄なシーンは一瞬もありませんでした。
荘厳なBGM、醜美ともいえる映像。
アシュラの切ない心の葛藤、人間の限界と恐ろしさ。
どんどん引き込まれ、終始 自分の口は「あ」の形のままでした。
原作とはちがいましたが、これはコレで良かったです。
出典: www.amazon.co.jp
今の飽食の時代では、こうして飢え、苦しむことのない幸せを忘れています。
この映画で描かれる飢饉、そして主人公が人を喰らうシーンは本当に気が滅入るものですが、作品には必要なものです。
そのことを、決して「綺麗事」ですまさずに教えてくれる本作は、確かな説得力を持っているのです。
生きる為に食う事を是とするのか、人としての尊厳を守って果てるのか。
この物語の人々は快楽ではなく、究極の選択の上での事。
旅の僧も言います。誰も食べたくて食べる訳ではないと。
モラルの間で悶え苦しむのは心を持った人だからこそ。
80分弱に描かれる、獣のごとく人を食らう事で生き残って来たアシュラが"人"になってゆく過程での苦悩とラストの姿。
この作品見た後でも私は正直迷いますね。
出典: www.anikore.jp