アニメ『怪談レストラン』は「怪談アニメ」として失敗作か、否か?
児童文学のアニメ化はよくあります。こちらもその一つです。もう何年も前の作品ではある上自分は原作未読なんですが、あまり恐怖は感じなかったんですよね…。失礼ながら、「これ失敗じゃないか?」とさえ思ったものです。ただ、思い返せば結構「怖い」ところもありますし、目的は違うところにあるんじゃないか、とも…。
アニメ『怪談レストラン』スタイル
前菜、メイン、デザートの順でストーリーが展開されます。街中に普通にある「レストラン」のドアを開けると、原作では「ドロちゃん」とも呼ばれる支配人「お化けギャルソン」がお出迎え。従業員にその日の「メニュー」がどんなものかを説明させるのです。
前菜、メインが恐らく原作にもあるであろう「怪談」で、デザートは登場人物3人が声のトーンを落として怪談百物語風に「怖い話」をし、蝋燭を吹き消す、というスタイル。うん、怖そう。でも怖くない要素が多々あったんです…。
怖いと思えなかった要素1:メインキャラがいる
メインがいたって、突っ込みどころも無視して十分怖がらせることは可能なはずなんですが、どういうわけか「この3人の近辺で怪奇現象起きすぎだろう」なんて思ってしまうわけです。中央にいるアコの叔父さんが急に亡くなったり、その兄である父親があまり悲しんでなかったり。何とはなしに「無理」を感じてしまいました。
メインキャラを設定するとどうにも世界が狭まる上、一種の「危機感」もそがれてしまうように思います。作家、星新一氏は言いました。「主人公は保険を得てしまう」(『できそこない博物館』より)と。つまり、この3人は最終回までは死ぬこともなければ、呪われることも、異次元に吸い込まれて戻ってこられなくなることもないわけです。3人だけでなく、少なくとも彼らと近しいモブキャラでさえ同じ保険を得ることになります。「パラレルワールドシステム」という手もありますが、それだと違う意味で緊張感がなくなってしまいます。「次の回じゃ復活するんでしょ」と。
『地獄先生ぬーべー』と比較
かつて、ジャンプにホラー漫画『地獄先生ぬーべー』という作品がありました。霊能力を持った教師が主人公で、自身の受け持つ生徒を悪霊や妖怪から守るというストーリー。こちらもメインキャラを据え、ギャグ描写、微エロ要素なども満載。それでもガッツリ怖かったし、緊迫感もありました。やはり「命がけで戦う」描写(それこそ、血だらけになったり廃人になったり)があったり、メインキャラであっても取りつかれたり悲惨な目に遭ったりと、鬼気迫る、緊迫するシーンがちゃんと描かれていたからでしょうね。「死ぬことはない、助かる」という保障があってもハラハラするんです。
『怪談レストラン』の方は大体が先の叔父さんの設定にしろ、色々と「唐突」感、設定の無理が多かった気もします。何より描写が怖くない。緊迫感はあっても何だか中途半端。何も血を出せ、瀕死にしろっていうわけじゃないですが、もう少し怖がらせる工夫あったんじゃあ、と思うのです。「怖い」描写があってもオチで「怖さ」がそがれてしまった回もありました。
怖いと思えなかった要素2:ED曲の爽快感
曲自体は結構いいと思います。歌詞も、足掻きながら未来へ向かおうとする若者を描いたような…って「怪談」関係ないし。そもそも、EDアニメがかわいい上に爽快。それって怪談アニメの主題歌としてどうなんだろうと思っていました。OP主題歌がない分、EDは重要なはずです。
アニメ『学校の怪談』EDと比較
それを言ったら同じ怪談アニメの『学校の怪談』のED曲もエロティックな歌詞で怪談とは無関係なんですが。ただアニメが百鬼夜行を思わせる一枚絵の部分部分を少しずつ見せるという手法だった上、曲に唸り声のようなエフェクトがかかっていたり、アダルティーな歌詞を煽るための曲調、編曲も相まっておどろおどろしく仕上げられていました。比喩的な意味の天国を表したかと思えば「地獄に落ちる」ことを連想させるような歌詞もありますし、怪談アニメの主題歌としての考慮がなされているように思われます。『怪談レストラン』のED曲も重低音で始まってるんですけど、何か場違い感があります。せっかくの名曲が勿体ない、とすら思ってしまうような。
失敗作ではない理由
個人的には失敗作ではない、との結論に至りました。何だかんだで恐怖演出はありましたし、かわいい絵柄、かわいいキャラでも「何か怖い、不気味」と思わせる点では十分成功作です。子供の時に見ればトラウマにもなったかもしれません。怖さ、というより「怪談」の要素は一つではないと思わせてくれた一作ではないでしょうか。