ジャパンシューゲイザー<第ゼロ世代>1990年代前半
90年代インディーズでもメジャーでも音楽ムーブメントは海外のムーブメントと実は直結していた。シューゲイザーにおいてはアンダーグラウンドながらも海外のシーンでも活躍が出来そうなほどの高レベルなバンドがそろっていたことを再確認したい。90年代前半の日本のシューゲイザー、ジャパンシューゲイザー<第ゼロ世代>の主要バンドを紹介する。
メジャーになったあとにぱっと思いつくシューゲ曲はないのだが、インディーズでリリースした1stアルバム「Swing,Slide,Sandpit」は当時の本場のUKシーンのバンドよりかっこいいかもしれない。
ZEPPET STORE(ゼペット・ストア)は日本のバンド。1996年メジャー・デビュー。2005年8月に解散したが、2011年に再結成された。13枚のシングルと12枚のアルバム(内2枚はインディーズ盤)を発表している。hideに見出された形でメジャーデビューに至り、深い関わりを持っていた。1997年という、一説に「ニューロック世代」と言われる時期のバンドの一つ。
出典: ja.wikipedia.org
2ndのリリースからギターの五味誠が脱退し、それ以降シューゲイザーの雰囲気はなくなっていたが、UKの雰囲気は残っていた。
2011年の東北大震災のときにチャリティーのために解散時のメンバーで再結成。
その際、五味誠がメンバー更に参加。2014年にリリースされた曲は、正にスターゲイザー。
Paint in Watercolour(ペイント・イン・ウォーターカラー)
日本で最初のシューゲイザーバンドと言われる。新潟で結成されたバンドで新潟のライブハウスで大人気だったところからのメジャーデビュー。1991年のコンピレーション「DANCE 2 NOISE 001」が初出?1992年リリースUnknownは、レベルの高いシューゲイザーアルバムだった。確かに全曲シューゲイザーというバンドはペイント・イン・ウォーターカラーが石版最初かもしれない。
ジャケットがマイブラのラブレス風で全リリースのジャケットが色味が単色に寄せられてぶれた写真で完全にマイブラフォロワー。楽曲のクオリティーは高い。
WHITE COME COME(ホワイト・カム・カム)
マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの初来日の前座を務めた歴史的なバンド。Pale saintsが好きだったんだろうなって感じがする。アルバムブラン・ニュー・スキップ・デコレーションは92年リリース。
◆衣笠理洋(Vo,G) / 法村洋美(B,Vo) / 笠行弘和(G) / 楠部嘉久(Dr,Per)
▲1992.06.25 SKIN <CD EP/POR SUPUESTO/STAP-0206>
●1991年3月に大阪で結成されたシューゲイザー系バンド。同年11月には、結成8ヶ月でありながら、マイ・ブラディ・バレンタインの前座をつとめて話題となる。本バンドを結成する前は、法村は60's調サイケ、衣笠はハードコア・パンク、楠部は(衣笠とともに)アヴァンギャルドなサイケデリック・ロック、といったカラーのバンドを経験しており、その音楽性がこのバンドの音楽性に少なからず反映されている。
出典: www.geocities.jp
PLECTRUM(プレクトラム)
TEENAGE FANCLUBのNorman Blakeに命名してもらったエピソードが有名な0次世代。現在でもインディーズで精力的に活動している。
ポリスターからメジャーデビュー。(それにしてもこの時期の好きなバンドはポリスターばかり…)
Plectrum official website
www.the-plectrum.com
TOTOS オフィシャル・サイト
高田泰介/岸原尚紀/藤田顕/中井敦
→高田泰介(Vo.,G.) / 岸原尚紀(B.) / 藤田顕(G.)
→高田泰介(Vo.,G.) / 藤田顕(G.,Vo.)
●1992年、大阪府立大学の音楽サークルでスターサイン[STAR SIGN]として結成されたギターポップバンド。バンド名は、スターサインから、1995年にTEENAGE FANCLUB命名によるプレクトラムに変更。
出典: www.geocities.jp
Loco-Holidays(ロコーホリデイズ)
ホワイト・カム・カムがマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの前座だった一方で、こちら、Loco-Holidaysは、チャプターハウス来日のオープニングアクトを務める。
初期国内シューゲイザームーブメントとしては重要なポジションのバンド。
1991年リリースのアルバム「Engine Flower」二周力されている楽曲「Strawberry」は、チャプターハウスも真っ青のチャプターハウスの曲風味。
GtVoとDrの上条兄弟はPENPALS(ペンパルズ)を結成して、90年代の日本のインディーメロコアシーンを牽引するバンドとしても活動した。
以上、ジャパンシューゲイザーの初期ムーブメントの主要バンドでした。
1990年代前半にUKのムーブメントと同調して出てきたバンドの面々だが、その本家の衰退と同じくすぐに衰退してしまいます。
しかしながら、この後も音楽ファンからの音に対する欲求は衰えることがなく、表現者としてもシューゲイザーに取り憑かれたままの大人もいれば若い人たちが一定数必ずこのシーンに入ってきます。続いて、1990年代後半についてもまとめようと思っています。