シンガーソングライター・原田真二の凄すぎる伝説まとめ【早すぎた天才アーティスト】
シンガーソングライター・原田真二の凄すぎる伝説をまとめました。デビュー1年目で武道館ライブを行ったり、ジョン・レノンプロデュースの話もあったりと、とにかく異例だらけの音楽活動をしてきた彼。時系列順に彼の音楽活動や伝説の数々を紹介していきます!
1978年12月31日
‐ NHK紅白歌合戦に出場。
1979年4月21日
‐ 発売の2ndアルバム『natural high』の制作で、初の海外レコーディング(ロサンゼルス)。英語詞以外の作詞、作曲、編曲、プロデュースを手がけた。
↑これは本当にCD音源もすばらしいアレンジ。是非聴いてもらいたい。
1980年
- 21歳で事務所を独立。株式会社クライシスを興す。レコード会社もポリドールに移籍。ソロ名義から原田真二&クライシス(SHINJI & CRISIS)として活動開始。
1980年独立後~2000年までの活動
1980年
- 21歳で事務所を独立。株式会社クライシスを興す。レコード会社もポリドールに移籍。
1980年夏頃
‐ ジョン・レノンプロデュースの話が持ち上がるも、ジョンに不幸があり幻となる。
1980年11月5日
‐ コンセプト・アルバム『HUMAN CRISIS』発売。
1981年8月21日
- アルバム「ENTRANCヨ(エントランス)」発売。
1981年12月25日
‐ クリスマスライブにて米国への音楽留学による充電(約1年に及ぶ)を発表。
1982年10月
‐ 23歳で結婚。結婚パーティ-にはCHARや八神純子など音楽仲間も駆けつけた。
1983年5月5日
‐ アメリカから帰国後フォーライフへ再度移籍
1983年7月21日
- アルバム「SAVE OUR SOUL」発売
1984年3月21日
‐ アルバム『MODERN VISION』が発売。5月からツアースタート。
オープニングアクト(演劇)等を取り入れたライヴを発信
1984年11月21日
‐ 発売のシングル「Teardrops 」では、アメリカのPVに触発されCGを取り入れ制作。
1985年3月17日 - 9月16日
‐ 筑波科学万博で「BREATHE」の音楽を担当。観客動員数はパビリオン中で最大
1985年10月
‐ 新たに「Friday Night Club」というイベントを企画。定期的にクラブでのライブを試みた。
1985年11月1日
‐ レコードクレジットを原田真二に戻し、バンド・サウンドから打ち込みサウンドへ移行。
『Magical Healing』を発売
1986年10月21日
- アルバム「DOING WONDER」発売
1987年7月21日
‐ デビュー10周年として7月〜12月で「SWEET HEART」「LOVE OPERATOR」「君にもっと近づきたくて」とシングルを連続発売。
1988年7月
‐ 「NECアベニュー」に移籍。社名は「Air Field」バンド名はTHE AIRに変更
1988年11月21日
- アルバム『Urban game』発売。
1989年9月21日
‐ ライブアルバム「Just Urban Night」とライブビデオ「Live Act Urbangame」を同時発売
1990年6月
‐ 「アコースティック・ナイト」という小規模なアコースティックなライブを始める
1992年4月
‐ 「日本コロムビア」への移籍をライブ中に発表。
1992年11月
- アルバム『Miracle Love』を発売。
1996年2月21日
‐ 「生命交響楽」発売。カップリングは自身が手がけた小学校の校歌
1996年4月20日
‐ 広島原爆50年を迎え「ひろしまから始めよう」を発売
ジョン・レノンプロデュースの話があったがジョンの悲報により実現せず
1980年夏頃
‐ ジョン・レノンプロデュースでのレコーディングの話が内々で持ち上がるも、1980年12月8日、ジョンはニューヨークで銃弾に倒れ幻となった
HOT EXPRESS「原田真二 『OUR SONG』インタビュー」より
--あと、ジョン・レノンプロデュースでのレコーディングの話があった的な噂を聞いたことがあるんですけど、これは本当ですか?
ただ、僕は12月にツアーの合宿に入っていたんですけど、その最中にニュースで「射殺された」っていうのを聞いて。--実現できなかった訳ですね。
事務所独立後の原田真二 自ら「いばらの道だった」と語る
1980年
- 21歳で事務所を独立。株式会社クライシスを興す。レコー会社もポリドールに移籍。
中川:でも、デビューして、一気に売れたわけですから、なかなか自分のやりたいことをやるというわけにはいかなかったんじゃないですか。
原田:全然できませんね。曲を作る時間もないし、このままではダメだと思いました。
それで、コンサート中心の活動をしたいと思って、思い切って独立しました。それからが、イバラの道でしたが(笑)。
でも、大変な道を選んで良かったと今では思っています。痛みとか苦しみといったものも知ることができましたし。
中川:自分の音楽を追求できるようになったわけですからね。
出典: www.shinkiko.com
3rdアルバム『HUMAN CRISIS』発売 当時のJPOP界ではコンセプトアルバムはまだまだ珍しかった
1980年11月5日
‐ 10月のシングル「STRAWBERRY NIGHT」に続き、アルバム『HUMAN CRISIS』発売。「僕の中にあるハードな部分ががつ~んと出た一品。当時のファンの人たちを裏切りまくった僕のトライでした。」
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目次 - Contents
- 原田真二とは
- 原田真二の凄さがわかるデビュー当時1、2年の出来事
- 1977年(デビュー)
- 1978年(デビューアルバムオリコン初登場1位~紅白出場)
- 1979年(当時異例中の異例 デビューすぐ海外でのアルバムレコーディング)
- 1980年(21歳で事務所独立)
- ■それでは、項目ごとに丁寧に解説を
- 1ヶ月ごとにシングル3枚発売、オリコンベスト20に同時ランクインという異例のデビュー
- 1stアルバムの発売(1978年2月25日)
- Sportsライブ版(YOUTUBE)
- スピッツもカヴァーして話題の名曲「タイムトラベル」
- ロック御三家として騒がれていた時代 ほぼ毎日TVに出演
- 伝説のライブを中心にドキュメンタリー映画が劇場公開
- 1980年独立後~2000年までの活動
- ジョン・レノンプロデュースの話があったがジョンの悲報により実現せず
- 事務所独立後の原田真二 自ら「いばらの道だった」と語る
- 3rdアルバム『HUMAN CRISIS』発売 当時のJPOP界ではコンセプトアルバムはまだまだ珍しかった
- BRAND NEW AGE / SHINJI&CRISIS
- Wise Way
- INFORMATION NETWORK
- ▼激レア 原田真二のシンセサイザー講座
- アルバム「ENTRANCヨ(エントランス)」発売
- LION,SHIROKUMA & KITSUNE
- 中野サンプラザ クリスマスライブで米国への音楽留学を発表
- ファンに根強い人気の「I wanted to stay in love with you」(YOUTUBE)
- アルバム「Save Our Soul」 発売
- YOUTUBE「without you」
- YOUTUBE「save our soul」
- YOUTUBE「雨のハイウェイ」
- YOUTUBE「ライブロックショー」
- アルバム『MODERN VISION』が発売
- YOUTUBE「Modern Lovers 」
- 伝説のPV「TEAR DROPS」
- アルバム「Magical Healing」発売
- YOUTUBE動画「バンドは金曜日に出来た 」
- アルバム「DOING WONDER」発売
- YOUTUBE動画「DOING WONDERS」
- YOUTUBE動画「彼女にアンコール」
- YOUTUBE動画『夏のDERAY』
- アルバム「urban game」発売
- YOUTUBE動画「Romantic Dance」
- ⇒アルバム「KINDNESS」発売
- YOUTUBE動画「永遠の時間」
- YOUTUBE動画「SHOW GIRL」
- ⇒通算12枚目のフル・アルバム「Miracle Love」発売
- YOUTUBE動画「フライディ・ナイトクラブ・スペシャル」原田真二
- 原田真二は色あせない
- そして、最近の原田真二の活動は?
- お陰様で36周年!! デビュー36周年記念ライブ&トーク決定!!
- 原田真二 -Hot Summer Over 2013-
- アコースティックコンサート The Road to The Light 2nd stage solo
- NHK「第19回 家族で選ぶにっぽんの歌」に出演
- デラックスブック発売決定
- チャリティーライブ!
- 35周年スペシャルライブDVD!
- Twitterの反応