イノサン(漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『イノサン』は、坂本眞一による歴史漫画作品。タイトルの「イノサン」とは、フランス語のInnocent(イノサン)、英語のInnocent(イノセント)を意味する。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて、2013年9号から2015年20号まで連載された。18世紀のフランスで、処刑人の家に産まれた青年の物語。国王直々の処刑人の傍ら、医師となり人々を救ったが、サンソン家の人間は死神と蔑まされた。処刑人の家業に前向きではない青年が、彼の意志には反して処刑人として血に染まった人生を歩んでいく物語である。

『イノサン』の概要

『イノサン』は、坂本眞一による歴史漫画作品。タイトルの「イノサン」とは、フランス語のInnocent(イノサン)、英語のInnocent(イノセント)を意味する。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて、2013年9号から2015年20号まで連載された後、続編『イノサン Rouge(ルージュ)』が『グランドジャンプ』(同社刊)にて2015年12号から2020年3号まで連載。18世紀フランスにて国王ルイ十六世の斬首刑の指揮を執った実在の死刑執行人「シャルル=アンリ・サンソン」とその妹「マリー=ジョセフ・サンソン」を主人公としている。「処刑」というセンセーショナルな内容を芸術的に描く作品として国内外で高く評価される。
第17回、第21回文化庁メディア芸術祭で審査委員会推薦作品に選出。第18回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)読者賞ノミネート。2017年には「ルーヴル美術館特別展」に出展。耽美なシャルル役を栗原類が演じたラジオドラマが、集英社ヴォイスコミックステーションサイトで配信された。「処刑」「拷問」「解剖」などのエピソードの写実的な描写と、人間心理を克明に描く耽美な比喩表現が特徴である。死刑執行人をテーマに描いているが、圧倒的な画力でどの描写も凄惨になりすぎず、どのページも暗い美しさが漂う。週間連載だったとは思えない精密極まるタッチで迫力が醸し出されている。
舞台は、フランス革命真っ只中の混沌とした18世紀のフランス。代々、処刑人を家業としてきたサンソン家に産まれたシャルル=アンリ・サンソンの苦悩な日々の物語。主人公が処刑人であるがゆえに、グロテスクな描写が多数描かれているが、それでも読者を引き込んで離さない史実に基づいたフィクション作品。サンソン家の者が処刑を行うことは、国王から直々に任命される「正義の番人」として名誉ある行為である。苦しまず罪人を処刑することを日々研究する中で、サンソン家は処刑の技術・知識が向上するとともに医療の知識も十二分に身に着けていた。国王からの名誉もあり、処刑人の傍ら医師となり人々を救うという社会貢献も行った。
しかし、残酷な処刑のイメージから、フランス国民には死神と蔑まされるのであった。心優しく慈悲深いシャルルは、処刑人を継ぐことに前向きではなく、度々父や祖母に拷問用具を持ち出され、折檻されるのであった。しかし、物語が進んでいくにつれて、自らの弱さが家族、国民、国王までにも大きな影響をもたらすことに気づき、彼の意志には相反して処刑人としての血に染まった人生を歩むのである。そんなシャルルに最も影響をもたらしたとされる妹のマリー=ジョセフ・サンソンについて、続編『イノサン Rouge(ルージュ)』で連載された。

『イノサン』のあらすじ・ストーリー

死神と言われるゆえん

市街で税金の増加を宣告されている民衆をかき分け、ある男達が現れた。その男達が着る上着についたエンブレムを見た民衆は道を譲り、後ずさりしながら口々にこう言う。「死神に出会ってしまったから今日一日ダメな日だ!」「サンソンに触れると悪魔に取り憑かれるって噂だぜ」と。
彼等はサンソン家の父バチストとその子シャルル。彼らが通り過ぎた後の地面には、まるで汚れたものの浄化を願うようにバケツいっぱいの水がまかれた。何故忌み嫌われているのかというと彼等は代々フランスの死刑を執行してきた家系だからだ。だがサンソン家の父はその噂を気にもせず、終始うつむきがちな息子を乗せた馬の足を進めていく。サンソン家最後である死刑執行人の壮絶な物語の始まりだ。

幼少期に差別を受けていたシャルルは他の子供たちと同じように教育が受けられなかった

学校や家庭教師からも嫌われ、誰からも教育を受けることが出来ないシャルル。父バチストは教育を受けられる場所を探すが見つかることはなかった。シャルルは「この家の人間は誰からも軽蔑され嫌われているからしょうがないんだ」と言うが、祖母アンヌ=マルトはシャルルに言う。「我が家の家業は国王陛下の委任を受けた名誉ある職業。王の子が王になるように、サンソン家の人間は全て処刑人になる運命なのです。」
アンヌ=マルトは、処刑人の一族であることに誇りを持っていた。このことから、シャルルが誰からも教育を受けられないことについて、自分たちが名誉ある人間達であるから、わざわざ学校に通い、凡庸な人間達と交わる必要はないとした。そしてアンヌ=マルトは、ムッシュ・ド・パリになるために父バチストの処刑の仕事に同行するようシャルルに厳命した。
シャルルの母ジャンヌは、まだ14歳という幼いシャルルを処刑の仕事に同行させることを反対するが、アンヌ=マルトに甘やかしすぎだと言葉を遮られた。「サンソン家は正義の剣で罪を罰する職業なのだから胸を張りなさい。」アンヌ=マルトのこの言葉を聞いたシャルルはアンヌ=マルトに反論をした。「なぜ正義の剣なのにサンソン家の人間は蔑まされるのか?」「なぜ人が人を殺さないといけないのか。」この言葉を聞いたアンヌ=マルトは両手を合わせて手を叩く。その音を合図にバチストは無言で起立し、拷問部屋へ続く扉を開けた。バチストは、サンソン家に代々伝わる編み上げ靴という拷問道具でシャルルを責めた。拷問部屋で繰り返される仕打ちに、サンソン家初代から受け継ぐ運命から自らも逃れられないことを悟るシャルル。怒りと悲しみを胸に抱きながら、処刑に使うための剣をとった。

シャルルは14歳で初めての処刑台に

剣を取った翌月、フランス国民が豊穣と繁栄を祈り、酒と踊りに沸く夏至の祭り、「サン・ジャンの火祭り」が行われていた。シャルトワ伯爵が催す宴に、シャルルは父バチストとともに招かれた。そこには、シャルルがかつて心を通わせた青年ジャンの姿があった。処刑人の一族である素性を明かしたくないシャルルだったが、シャルトワに宴の余興として用意した獅子の首を刎ねるよう命じられてしまう。
そこで、卒中で倒れたバチストに代わり、「4代目ムッシュ・ド・パリ」を名乗り出る。シャルルは機知を活かし、「この獅子は咎人に非ず。サンソンの剣を振るう事はできません!」と宣言し、理不尽な命令を退けた。「処刑台にあがる咎人は、振りおろす刃にからみつき打ち損じの原因にならないように後ろ髪は短く切りそろえます。この金色の後髪を威風堂々とたなびいている獅子のたて髪こそが無実の証。サンソン家の剣は国王より預かりし正義の剣。罪なき者に向けよと申されるなら陛下に対する侮辱となりますが。」それを聞いた周囲からは拍手が巻き起こった。
獅子の首は刎ねずに済み事なきを得たものの、ジャンに素性を知られてしまった。しかし、シャルルとジャンは、お互いの生まれ持つ運命の苦しみを理解しあい、その運命に毅然と立ち向かうことを約束した。それから数日後、サンソン家に届いた死刑執行令に書かれていた被告の名は、ジャン・ド・シャルトワ。ジャンの罪は、フランス国家においては反逆罪とみなされる英国聖書が書斎におかれていたというもの。実際はシャルトワが置いていたものを、愛妾の息子であるジャンに罪を被せたのだった。事実、陸軍相配下のシャルトワを陥れるために、夏至の宴の主賓を務めた陸軍相ダンジェルノン伯爵と対立する海軍派閥が仕掛けた謀略だったため、ジャンの罪は冤罪だった。しかし、一度決定された判決を覆す術がないまま陸軍相直々に指名された死刑執行人が、かつての友であり、運命に立ち向かうことを決めたばかりのシャルルだった。

初めての処刑はお粗末なものだった

処刑のためにかつての友の首に剣が触れた感触がシャルルの脳に伝達された瞬間、処刑人としての修行のためカエルの解剖を行った日々、祖母アンヌ=マルトからの折檻の日々が走馬灯のように目の前を駆け抜けた。その時、「シャルルー!!」祖母の怒号で遠のきかけたシャルルの意識が処刑台に戻った。「まだ死んでいないからしっかり最後まで首を打ち落としなさい。」ふと、我に返り剣先を見ると、「ヒューヒュー」と浅い呼吸を繰り返し、しっかりとした視線でこちらを見つめるジャンがいた。突き刺さった剣を抜き、再び振り下ろすも首はまだ切断出来ない。苦痛にもがくジャンヌの両足がバタバタと宙に浮く。
決して、あえてそのような方法を選んだわけではない。しかし、民衆の目にはそうは映らなかった。シャルルの本当は処刑をしたくない想いをよそに、民衆には、人殺しを楽しんでいるように見えてしまった。シャルルは、フランス国下において法のもと刑を執行する正義の番人であるにも関わらず、民衆からは「死神!」など罵声を浴びせられ続け、初夏のパリ市庁舎前は民衆による暴動寸前の無法地帯となった。そこに現れたのが、三代目ムッシュ・ド・パリであり、シャルルの父バチスト。バチストの機転により死刑執行終了が宣告され、その場は収められた。

死刑執行人の継承を決意したシャルルにまた辛い運命が迫る

シャルルが処刑や副業の医業で失態を続けて起こしたため、バチストは失望し、実の息子であろうとも家業を継承するにふさわしくないと判断すれば情け容赦なく切り捨てようとした。そんなバチストの狂信的な姿を目の当たりにしたシャルルは、弱気な自分を押し殺し、呪われた一族の運命に向き合うことを決意。自らがムッシュ・ド・パリを務めあげることで、死刑制度をなくすという理想を胸に歩み始めた。
そうと決まれば、あんなに躊躇していた刑の執行も粛々とこなすことができた。そんなある日、サンソン家には、マリー=ジョセフという次女がいることを知る。奇しくも、その日は1755年11月2日、オーストリアでかのマリー=アントワネットが誕生した日だった。
翌年の秋、シャルルが教会で出会った貧しい農民親子のダミアン父子がサンソン家を訪れた。ダミアンは処刑台で見たシャルルの、死刑執行に対する慈悲のある心に畏敬の念を抱き、病気を患っている息子ジャックの治療を懇願しにやってきた。その時、ジャックの状態は非常に悪いもので、栄養不足による壊血病と、感染症の末期症状が見られ、死に至る寸前だった。シャルルをはじめサンソン家の人間は、貧しい人から診療代は徴収していなかった。
しかし、息子の状態が非常に悪く、そう簡単に助かるものではないと感じたダミアンは、診療代を工面するため自宅へ向かった。ダミアンは、ベルサイユの麓にある農村に向かうためにシャルルの手を取り馬を駆った。しかし、時すでに遅し。目を覆いたくなるような貧困地帯を抜けた先にあるダミアンの家には、徴税人によって財を収奪された跡が残っているのみだった。ダミアン達が失意に暮れながら戻ろうとした道中、フランス国王が住んでいるベルサイユ宮殿が目に映る。ダミアンは自らの運命に身を震わせ、暗闇の中走り去って行った。
そんな出来事が起こった日から3か月後。サンソン家では、アンヌ=マルトからシャルル達に死刑執行命令が知らされた。祖母の口から知らされた今回の死刑囚の名は、ロベール=フランソワ・ダミアン。息子の救済を請いにきた父ダミアンの名だった。彼の罪状は、フランス国王ルイ15世殺害未遂だった。前回の死刑執行から147年も行われなかった「八つ裂きの刑」という大処刑を執行することに、サンソン家はにわかに騒然となった。

引き返せなかった八つ裂きの刑

1757年3月26日、国王ルイ15世の暗殺未遂の罪により、貧しい農夫ダミアンへの八つ裂きの刑の執行が宣告される。代々死刑執行を生業とするサンソン家すら騒然とさせた147年ぶりの大処刑。三代目ムッシュ・ド・パリであるシャルルの父バチストは病中だったため、ベルサイユ宮廷の死刑執行人プレヴォテ・ド・ロテルを務めているシャルルの叔父ニコラが刑の陣頭指揮役になった。
今回の事件の真相を確かめるべく、ダミアンに聴取を行うためシャルルはニコラとダミアンが投獄されているコンシエルジュリ監獄に駆け付けた。しかしそこには、シャルル達が死刑人の一族であるように、代々拷問官の職務を担ってきた一族のスービィスによって拷問され、無残な姿になってしまったダミアンがいた。シャルルと同じ意思で行動しているように見られるニコラだったが、ニコラ自身も今回の八つ裂きの刑という大処刑を踏み台に、フランスの死刑執行人の頂点とされるムッシュ・ド・パリの4代目の座をシャルルから奪おうと目論んでいた。
死刑執行の日、一生に一度見られるかわからない大処刑を見に、熱狂的な民衆がグレーヴ広場に押し寄せた。それと同時にシャルルはダミアンを迎えるため監獄コンシエルジュリに到着した。ダミアンは、数週間にも及ぶスービィスからの耐え難い拷問にも固く口を閉ざしたままだった。処刑前の罪の告白のためにノートルダム寺院に連れられたダミアンが目にしたものは、サンソン家の医療技術を以てしても助けることが出来なかったと思っていた愛息ジャックの姿だった。ダミアンの知らぬところでジャックはバチストの蘇生手術により瀕死の危機を乗り越え、一命を取り留めていた。
ジャックを見たダミアンは、それまで頑なに拒んでいた真実を語り始めた。ジャックを見たダミアンは、もう免れることの出来ない死刑執行を前に、それまで頑なに拒んでいた真実を語り始めた。ダミアンはルイ15世に刃を向けたが、実際に殺害する意志はなく、太陽のように輝くベルサイユ宮殿にいる国王ルイ15世が、本当にダミアン親子たちと同じ人間であるのか確かめたかったからだと語る。貧困で飢えた愛息ジャックが、得体のしれない化け物ではなく人間に殺されたのか証明したかったとダミアンは言う。その話を聞いたシャルルは、ダミアンが未来のフランス国民を想うがゆえに行った事であるため、その思いを尊重するべきだと今回の大処刑の中止を訴えた。しかし叔父ニコラは「一度始まった舞踏会は止められない。」と言い悲痛なシャルルの訴えを退けた。引き返せない八ツ裂きの刑の執行に傷心するシャルルにダミアンは語りかけた。「ダミアンの夢は、貧しい子供にパンを与えること。シャルルの夢は、この世界から死刑をなくすこと。だが世の中と同じステップで踊らねば、ダンスの輪から追い出される。」シャルルは、全霊の慈悲を込めて刑の執行を執り行うことを誓う。
だが、シャルルに処刑失敗の責任を被せ、次のムッシュ・ド・パリの座を奪おうとする叔父の思惑で、処刑に使う馬が駄馬にすり替えられていた。そのせいで馬が全速力で走っても四肢が千切れず、死刑囚が苦しみを感じる時間が長くなるばかりで刑は行き詰まる。窮地のシャルルに解決の術はないと思われた。しかし、そこに現れたのは、サンソン家の次女、マリー=ジョセフだった。難航する処刑で馬により四肢を引き裂かれようとしているダミアンの様子を、マリーは目を輝かせて見ていたのだった。静止を振り切り、処刑台に上がるマリー。危機に瀕したダミアンの大処刑を、シャルルは「腱を切ってしまえば、四肢が千切れやすくなる」というマリーの助言を手がかりに執行し終えた。だが、祖母アンヌ=マルトは女の身で処刑台に上ったマリーに、戒めとして拷問部屋で家紋の焼鏝を胸に押し当てた。あまりもの激痛に叫ぶマリーの声を聞いたシャルルは、直ちに駆け付け、助けに入る。そしてシャルルはマリーを抱きしめ「新しい時代は僕達のもの。」と叫ぶ。

物語は真紅のベルサイユ編へ

物語は、シャルルとマリーの2人のサンソンが、ついにベルサイユ宮廷へと近づいていく、新章「真紅のベルサイユ」編に突入していく。
ダミアン八つ裂きの刑から5年後、ベルサイユ宮殿の死刑執行人、かつて叔父ニコラがその地位にあったプレヴォテ・ド・ロテルの役職にマリーは就いていた。成長したマリーは、剣術の技術を高めていた。
1761年、フランス軍はイギリス・プロイセン連合軍とのウィリングハウゼンの闘いで死者5000人を出し退却を余儀なくされたいた。陸軍元帥グリファンは、後続隊を期待するも、それも虚しく自らの今後を悟った。戦場からパリに戻れば、訴追されることは免れない。その時、脳裏に浮かんだのは、友、死刑執行人バチストの姿だった。「私がもし、貴殿の首を刎ねることがあれば必ず、一撃で済ませるとお約束しましょう。」若き日のふたりが戯れで話した内容がよもや現実の事となる日がくるとは。バチストが病中であることを知っていたグリファンは、自らの運命を後継者に託すこととし、戦場を後にした。
1762年秋、サンソン邸でグリファンの死刑執行に歓喜の表情を浮かべる女死刑執行人マリーの姿があった。かつてグリファンは、バチストの友人であることからサンソン邸に出入りしていた際、幼きマリーに淫らな行為を強要していた。マリーが死刑執行人になるために必要な「高官の推薦状」を手に入れるべく錯綜していた時、グリファンは推薦状と引き換えにマリーの肉体を求めたのであった。死刑執行人マリーのデビューとなったのは、この陸軍元帥グリファンの斬首だった。
本来、斬首の死刑執行の際は、死刑囚の恐怖心を慮るため、剣で首の後ろを狙っていたが、マリーは己の感情のまま、処刑台の上でグリファンの正面から剣を振りぬいた。そこに現れた父バチストは、半身不随の身体であるにも関わらずマリーを押し止め、処刑台に上がって見事な斬首を執り行う。マリーの死刑人としての愚行に沸く民衆の罵声を、バチストは自らへの歓声に変えた。そしてバチストは娘であるマリーに「女の道を外れた者に待つのは、地獄のみ。」と言い放った。マリーがグリファンに復讐を完遂出来なかった同じころ、オーストリアでは音楽会が首府ウィーンで開かれていた。そこには、女処刑人と同じマリーの名を持ち、後のフランス王妃となるマリー=アントワネットの姿があった。

サンソン兄妹の運命に関わる二人

グリファンの刑の執行から数か月後、父バチストは病が再発し、祖母アンヌ=マルトとともにパリを発った。今やサンソン家の家長となったシャルルは、その責を自覚し、自らの立場をわきまえ、礼法を重んじるようになった。
一方で、妹マリーは相変わらず処刑台で奔放に振舞い続けていた。そんな中、宮廷からマリー宛に出頭命令が届く。しかし、これは処刑で屈辱を受けたとするグリファン元帥の元部下たちで編成された騎士軍団の罠だった。騎士軍団の剣術もさながら、マリーも負けじと交戦したが、窮地に追い詰められてしまう。そこに助けに入ったのが、長年処刑台の下からシャルルの処刑を見守ってきたマリー=ジャンヌ・べキューだった。彼女が後の国王15世の公妾デュ・バリー夫人と呼ばれる立場になることは、今は誰も知らない。
一方、シャルルは父も祖母もいなくなったサンソン邸で、立ち入りを禁止されていた部屋に入った。その部屋には、父が処刑した人たちの人数分の十字架が祀られ、父が日々贖罪の祈りを捧げていたことが容易に想像出来る光景が広がっていた。シャルルは初めて、父も自分と同じように、苦悩しながらも処刑の職務を全うしていたことを知る。父と自分の過去に思いを馳せていた時、ふと振り返るとシャルルを慕う女が立っていた。過去に父から言われた「人は皆同じ。恐れず人と交わり、己の量を拡げよ。」という言葉通り、シャルルは自らの可能性を拡げるために、初めて、雄としての扉を開いた。
その女は、騎士軍団の罠から妹マリーを助けた女、マリー=ジャンヌ・べキューだった。当時彼女はお針子の仕事をしていた。同じ第三身分で同僚の、マリー=ジャンヌ・ベルタンは、真面目な性格と技術を認められ、後に、王妃マリー=アントワネット御用達のモード商となり、その分野でベルサイユの頂点を極めることとなる。シャルルに一晩中求め続けられた帰りのマリー=ジャンヌ・べキューと、センスを買われ特別に入ったお針子仕事の注文を受けるために早朝から出勤するマリー=ジャンヌ・ベルタンが偶然道端ですれ違う時、ベルサイユの紋章に煌びやかな装飾が施された一台の馬車が道路を駆け抜けた。本家の人間よりも、自分の方が王族を継承するに相応しいと公言する後のオルレアン公、ルイ・フィリップ2世の馬車だった。ルイ・フィリップは、散々パリで夜遊びし、家路を駆ける馬車の中で、ベルサイユ中に注目されるような斬新な処刑方法を考えていた。
どの家に産まれるかが運命を決める当時のフランスで、兄シャルルと妹マリーは、各々の過酷な十字架を背負い、己の「理想」を叶えるべく、茨の道を突き進んでいくが、それに立ちはだかるようにベルサイユ宮殿に渦巻く権力が、次々とふたりに試練の事件を巻き起こす。雄の自分を開花させた事により、4代目ムッシュ・ド・パリとしての血を滾らせるシャルルだったが、自由奔放に処刑を行う妹マリーと反目しあうようになってしまう。

前代未聞の死刑執行命令

お針子マリー=ジャンヌ・べキューにより、男としての快楽に目覚めたシャルルは、サンソン家の家長としての気力と自信を滾らせ、そこにはかつて処刑に苦悩していた弱弱しさは微塵も感じられなかった。
そんな兄の変貌ぶりに不快感を示す妹マリー。新たに届いた死刑執行命令により処刑に臨もうとするマリーだったが、普段の奔放さが一族に厄災をもたらす危険因子となるとして、シャルルはマリーから任務を取り上げ、抵抗されたため監禁してしまった。マリーはこれ以上抵抗すれば助手であるアンドレにも悪影響が及ぶと考え、大人しく拘束されることを選んだ。
マリーは、アンドレにより拘束を解かれ、シャルルよりも先に死刑執行の委任状にサインをすることで、シャルルに奪われた任務を奪還する。この任務こそが、後のオルレアン公ルイ・フィリップが考えた立像斬首の刑だった。そこにいた誰もが、この前代未聞の刑を執行することにより、処刑台が血の海になることを想像し、戦慄した。死刑囚ラトゥールも同じだった。しかし、マリーは自らの唇を与えることで恐怖に怯え立つことの出来なかったラトゥールを立ち上がらせた。と同時に、ラトゥールに刑の執行を気づかせることなく立像斬首を無事終了させた。処刑は成功した。だが、シャルルはこれから死に行くラトゥールの心を弄んだとしてマリーを𠮟責した。そのためマリーは、「信じる道は胸に刻まれた真紅き宿命のみ!」と言い兄シャルルと決別した。

ベルサイユ宮殿での公開裁判

それから1年後、シャルルは森で狩りを楽しんでいた時、幼きルイ16世ベリー公ルイ=オーギュストと出会う。
オーギュストは、死に憧れを抱いており、シャルルを崇拝していた。オーギュストは、シャルルをベルサイユ宮殿の昼餐会に招いた。シャルルは、貴族を象徴する青色のジャケットを身に纏い、颯爽と現れた。
しかし、その場にはかつてシャルルと一夜を共にしたマルレ侯爵夫人がいた。合意の上で行為に及んだシャルルだったが、マルレ夫人はシャルルが死刑執行人であることを知らなかったという。さらには、死刑執行人だと知っていれば行為には及ばなかった、死刑執行人の分際で貴族である自分を誘惑した屈辱を晴らすためにシャルルを高等法院に訴えたというのだ。この訴えの背後には、次期王位の座を優位にしようと目論むルイ=フィリップの影があった。シャルルを貶めることで、昼餐会にシャルルを招いたオーギュストを誹謗しようとしたのだ。ベルサイユ宮殿の公開裁判で、シャルルは聡明に強かに、死刑執行人として成長の証となる弁論で立ち向かった。

オーストリアの花嫁と王政破壊を宣言するフランス王太子

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