19(ジューク)の徹底解説まとめ

「19(ジューク)」とは、岡平健治と岩瀬敬吾による日本のフォークデュオ。1998年に結成され、デビュー当初はビジュアル・プロデュースと作詞を担当するイラストレーターの326(ミツル)とのコラボレーション・音楽ユニットであった。1999年春にTBSテレビ「1999・春」キャンペーン・ソングに2ndシングル『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が使用されたことによりヒット。数々のヒット曲を世に放つが、人気絶頂時だった2002年3月末に解散。

19の概要

「19(ジューク)」とは、岡平健治と岩瀬敬吾による日本のフォークデュオ。当初はビジュアル・プロデュースと作詞を担当するイラストレーターの326(ミツル)とのコラボレーション・音楽ユニットであったが、3rdシングル『すべてへ』の発売後、突然脱退。1998年9月10日~13日にラフォーレ原宿で326の個展が開催され、その際に19のメジャー・デビューも発表することになった。1999年春にTBSテレビ『1999・春』キャンペーン・ソングに2ndシングル『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が使用されたことによりヒット。そのことがきっかけで、TBS系列『うたばん』内で注目の若手枠に出演。その後は凄まじい勢いでシングルやアルバムをリリースしていくが、人気絶頂時だった2002年3月末に解散。解散ライブは行わなかったため、2001年12月に名古屋センチュリーホールで行われた『19少年漂流記 第2章 2001』のツアーファイナルが最後のライブとなった。

彼らの歌詞は、青春時代の感情や人間関係の葛藤、そして未来への希望を描いており、特に当時の若者に大きな影響を与えた。彼らの歌詞はシンプルでありながら心に響く言葉が多く、10代後半から20代前半の若者層に支持されていた。メロディが非常にキャッチーで、耳に残りやすいのも特徴で、アコースティックな要素も取り入れるなど、聴きやすさも大きな魅力の1つであった。

彼らは当時の日本の音楽シーンにおいて、大きな注目を集めた。特に1997年にリリースされたアルバム『19』やシングル『19のままで』などは、商業的にも大ヒットを記録し、オリコンランキングでも上位にランクインするなど、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たした。1990年代後半の日本の音楽シーンを象徴する存在となり、この時期は、バンドブームやJ-POPの全盛期とも重なっているが、彼らはその中でも一際目立つ存在であった。

絶妙なコンビネーションと、シンプルで力強い音楽は、今でも多くの人々の心に残り続けている。「19」の音楽は、その時代に生きた多くのリスナーにとって、青春の一部として深く刻まれた存在となった。

19の活動経歴

メジャーデビュー

出典: www.jvcmusic.co.jp

デビュー曲となったのは『あの青をこえて』

1998年3月、岡平健治と岩瀬敬吾で少年フレンズを結成し、ストリートも含めアコースティック・ライブを開始する。
その後、326をヴィジュアルプロデュースと作詞に迎え、1998年9月10日~13日にラフォーレ原宿で326の個展が開催された際に19のメジャー・デビューを発表した。
グループのメンバーが当初19歳前後であったことから、グループ名が「19」(ジューク)となり、ネオフォーク系アーティストのさきがけ的存在であった。
デビュー曲は『あの青をこえて』である。

ヒットのきっかけ

出典: www.jvcmusic.co.jp

ヒットのきっかけとなった『あの紙ヒコーキ くもり空わって』

1999年春にTBSテレビ「1999・春」キャンペーン・ソングに2ndシングル『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が使用されたことによりヒット。
同時期に3rdシングル『すべてへ』でオリコンチャート1位を記録している。
1年後のシドニーオリンピックでは日本代表選手団公式応援ソングとして、「水・陸・そら、無限大」が起用され、この曲で2度目のNHK紅白歌合戦出場を果たす。
この時期はヒット曲のオンパレードであった。

惜しまれながらも早い解散

出典: www.jvcmusic.co.jp

解散直前のラスト・シングル『蒲公英 -たんぽぽ-』

人気絶頂時だった2002年2月、同年3月末に解散することを発表。
解散ライブは行わなかったため、2001年12月に名古屋センチュリーホールで行われた「19少年漂流記 第2章 2001」のツアーファイナルが最後のライブとなった。
3月21日ラスト・シングル『蒲公英 -たんぽぽ-』を発売し、3月31日に解散。
解散は互いの音楽性を尊重するためとの理由だった。
しかし数年後、岡平はこの解散を「大人たちへの報復だった」と書き記し、「正直後悔している」とも話している。

解散後、それぞれの道へ

岡平が活動している3B LAB.☆Sのメンバー(左から:岡平健治、千葉貴俊、畝沖修司、玉越理寛)

解散後、岡平は3B LAB.☆Sのメンバー、岩瀬はソロシンガーとして、活動を開始。
2人は解散後、2005年のベスト盤製作まで仕事でもプライベートでも一度も顔合わせすることはなかった。
岡平の日記では「19は再結成するつもりはない。しばらくは3B LAB.☆一筋で行きたい。岩瀬とは何年後かにどこかの小さいライブハウスでライブしたい」と書き記しており、「3BLAB.☆Sで10年は活動する」や「19の復活はない」とも言っているため、19の再結成はされない可能性が高い。

19のメンバー

岡平 健治(おかひら けんじ)

出典: news.yahoo.co.jp

岡平健治

岡平は長崎県香焼町(現・長崎市)生まれ、広島県呉市で育った。1998年から2002年まで「19」でボーカル・ギター・ブルースハープを担当した。2002年の解散後は3B LAB.☆Sを結成しボーカル・ギターを担当している。その後も音楽活動は趣味とし、多ジャンルにわたる経営や自分の音楽を自身のYouTubeチャンネル「Mutuber KENJI CHANNEL」で公開している。

岩瀬 敬吾(いわせ けいご)

岩瀬敬吾

岩瀬は広島県出身。1998年、自分の描いた詩に曲をつけてくれる音楽家を探していたイラストレーターの326と出会い3人は「19」を結成した。解散後、2002年10月23日にシングル『くり返すは口ぐせと罪悪感』でフォーライフミュージックエンタテイメントからソロ・デビューを果たす。それ以降、ソロで活動しており、15年振りとなる 5th full album『traditional humming』を2023年12月に発売。

旧メンバー

326(ミツル)

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