19 / ジューク

19 / ジューク

19は、岡平健治と岩瀬敬吾による日本のフォークデュオ。デビュー当初は、326がビジュアルプロデュース、作詞を担当して、メンバーとして参加していた。
高校3年生の時に地元広島で有名だった岡平に興味を持った岩瀬がコンテストで話しかけ、放課後に公園で弾き語りをするようになった。高校卒業後に2人は上京し、喫茶店など2人揃ってギターさえあればどこででも歌った。
19の名前の由来は、結成当時の二人の年齢である。1999年春にTBSテレビ『1999・春』キャンペーンソングに2ndシングル『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が使用され、ロングヒットした。そして『NHK紅白歌合戦』に初出場した。3rdシングル『すべてへ』はオリコンチャート1位を記録したが、326はメンバーを脱退。それまでのフォーク色から、ロックテイストに変化していった。
2000年に行われたシドニーオリンピックの日本代表選手団公式応援ソングとして曲が起用された。人気絶頂だった2002年2月に解散を発表した。解散後の2005年には、ベストアルバムがリリースされた。その後、岡平はバンド、岩瀬はソロシンガーとして活動している。

19 / ジュークのレビュー・評価・感想

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19について

『19』というグループを知っているだろうか。
19とは岡平健治と岩瀬敬吾の二人からなる、フォークデュオのことだ。
二人は元々、『少年フレンド』というグループ名で路上ライブを行っていたが、1998年、イラストレーターの326と出会い、19としてメジャーデビューを果たした。
2ndシングル『あの紙ヒコーキくもり空わって』が大ヒットし、同年、なんと紅白歌合戦に出場。
その後、3rdシングルの『すべてへ』でオリコンチャート1位を果たすも、326が事実上の脱退をし、フォーク調だった曲は、ロックテイストに変化していく。
2000年にはシドニーオリンピックの日本代表公式応援ソングとして『水・陸・そら、無限大』を発表。
人気絶頂の中、2002年にラストシングル『蒲公英-たんぽぽ-』をリリースし、解散した。
19は公式上でシングルを9枚しかリリースしていないことになっているが、非公式の未発表曲は150曲以上あると言われている。
19の作る曲はストレートに感情に訴えかける曲が多く、それが共感を呼び、スターへの道を駆け上がることが出来たのだろう。
解散した後もファン投票によるベストアルバム『19~すべての人へ』が発売されるなど、根強い人気はまだまだ続いている。