Kurt Rosenwinkel(カート・ローゼンウィンケル)の徹底解説まとめ

Kurt Rosenwinkelとは、アメリカ出身のジャズギタリストである。1990年ごろから活動をはじめ、多くの世界的ミュージシャンと共演を果たしている。2020年代のジャズギターを代表するギタリストであり、プロアマ問わず、多くのミュージシャンが彼のフレーズや演奏法を参考にしている。ダークで浮遊感のあるフレージングや難解なメロディの作曲が特徴だが、リリカルにも聞こえるバランスが絶妙である。そのためテクニカルな技術以上に音楽的な要素で非常に評価が高い。

Kurt Rosenwinkelの概要

Kurt Rosenwinkel(カート・ローゼンウィンケル)とは、アメリカ生まれのジャズギタリストである。1990年、バークリー音楽大学在籍時代にジャズバンド「ヒューマンフィール」に加入、その後91年ゲイリーバートンバンドにて初めてプロとして海外ツアーを経験している。ここから彼のプロとしてのキャリアが始まっている。当初からプロプレイヤーの評価を受けていたが、ローゼンウィンケルの名が広く知られるようになったのは、初アルバム『East coast love affair』からであろう。
現在の彼は次世代ジャズギター界の中心的存在であり、これまで共演を重ねた名プレイヤーは数知れない。近年では、ジャズギターにとどまらずピアノ、ベース、ドラムなど幅広い楽器の演奏を行い、その表現の幅を広げている。
ジャズの歴史の中でおよそ巨匠と言われたミュージシャンは数えきれないが、「ジャズギタリスト」として名前が挙がる人物は、他の楽器奏者に比較した場合それほど多くない。特に2000年以降の巨匠ギタリストとして、パットメセニー、ジョンスコフィールド、ビルフリーゼルの名があげられ、その同心円状に多くのギタリストが存在しているといえよう。だがその中心核にKurt Rosenwinkelという名を加えるほどに、ジャズギターの文脈において彼は重要な位置を占めていると言っていいかもしれない。
Rosenwinkelの演奏、作曲を一言で言い表すと、「複雑」だといえよう。楽曲のテーマは3拍子の作曲が多いが、小節をまたぐようなリズムや複雑なリフレインのフレーズが使われ、メロディもキャッチーとは言い難い。翳りのあるギターのサウンドを好み、ダークで謎めいたメロディが演奏の特徴である。また彼はハーモニーを非常に重要視しており、こちらも非常に複雑なものが多い。ただ、このような複雑さは不思議と調和が感じられ、聞くうちにその魅力にとらわれるリスナーも多いだろう。事実彼の演奏は常に美的である。
ジャズのルーツを色濃く持ちながらも、ロックアーティストのデヴィットボウイ、ロックバンドのビーチ・ボーイズのようなロックからも色濃く影響を受けている。これまでリリースしてきた彼のアルバムにはジャズの形式・サウンドから離れ、ロックやアンビエントと呼ばれる空間音楽的な性質のものが多い。そうした事情は、彼が影響された音楽がかかわっているだろう。

Kurt Rosenwinkelの活動経歴

音楽に触れた幼少期~高校時代まで

Rosenwinkelは1970年にフィラデルフィアに生まれた。彼の両親はどちらも音楽に造形の深い人物であったようで、母はクラシックの訓練を受けたピアニスト、父はクラシックの練習をしていたが、即興演奏により秀でていた。そうした両親の影響もあり、9歳のころからピアノを演奏し始め、12歳でギターと出会うことになる。ただ当初はジャズミュージシャンになることを夢見ていたわけではなかった。8歳のときに聞いた「kiss」の影響で、ロックの道を志していたという。
彼がジャズに触れたのはWRTIというラジオ局から流れるジャズが初めてであり、同時に友人の中でジャズにはまっている人いたことがきっかけでジャズにのめりこんだ。幸い彼の住んでいる近くには「ブルーノート」と呼ばれるクラブがあり、そこで幼少期からジャムセッションにのめりこんだ。そのコミュニティで受け入れられたことによって、彼のジャズの歴史が始まることになる。
また当時はブルーノートでのジャズセッション経験だけではない。学生間でスカ・ゴスペル・ロックのバンドに所属し、ハードコアのパンクバンドではドラムを演奏、自作のトラックメイキング等アマチュアでの活動は多岐にわたる。
高校時代はアメリカの音楽大学でも最も最高峰のバークリー音楽大学への入学を望んでいた。大学進学前はギターだけでなくピアニストとしての進路も考え、1年間ジミーアマディに師事。だが最終的にギターの音の方が彼にとって親しみやすく、ギタリストとしてバークリー音楽大学に進学している。

ひたすらセッションを繰り返した大学時代

ヒューマンフィールの4人。一番左の帽子をかぶっているのがRosenwinkel

バークリー音楽大学在籍時は学業にはあまり力を入れず、もっぱら当時の学生達とともに、セッションをひたすら繰り返す生活を送っていた。ギターアンプをカートに乗せて練習室を覗き、良いバンドがいたらそこに飛び入りで演奏に参加する。そんな生活を平日は6時間、休日は12時間行っていた。彼が長年バンドメンバーとして共に演奏しているマークターナーとはRosenwinkelの同期であるが当時はそれほど面識がなく、実際に親しくなるのは彼らの活動の場を大学のあるボストンからニューヨークに移してからになる。また彼の初アルバムになる『east coast love affair』に参加しているドラマーホルヘロッシもローゼンウィンケルと同期である。プロとしての活動が始まったのは大学時代で、バスクラリネット・アルトサックス奏者のアンドリュータンジェロ、テナーサックス、クラリネット奏者のクリススピード、ドラマーのジムブラックが1987年に結成していたベースレスジャズバンド「Human Feel」に1990年に加入する形で加わった。このバンドは大学卒業後も活動を続けており、これまでにRosenwinkelが参加したアルバムは『Scatter』『WELCOME TO MALPESTA』『SPEAK TO IT』『Party Favor』『GALORE』『Gold』等である。

初めての海外ツアーに回ったプロ活動初期

ポールモチアンのライブ盤、ギターのクレジットにRosenwinkelの名前がある

プロとしての活動自体は始まっていたが、Rosenwinkelの転機となったのは翌1991年、ビブラフォン奏者ゲイリーバートンと、ドラマーポールモチアンのバンドにサイドマンとして参加し、前者では初めての海外ツアー、後者はその後10年の間バンドメンバーとして参加し続けたことである。
前者はゲイリーバートンバンドので演奏していた友人からの推薦があって、当時バンドにすでに参加していたギタリストヴォルフガングムースピールの脱退に伴って加入。当時のゲイリーバートンバンドと言えば、ジムホールやラリーコリエル、パットメセニー、ジョンスコフィールド等そうそうたるギタリストと共演を重ねてきた、いわば新たなギタリストの発掘の場としても機能しており、このバンドからの誘いを受けたことは、ギタリストとしての才能が認められたということになる。在籍自体は1年ほどと短い期間であったが、ここでの初めてプロとしての生活を学んだと本人が言うように、彼のルーツとして深く結びついている。Rosenwinkel加入のリリースアルバムは『Six Pack』等。
後者のポールモチアンは、ジャズピアノの巨匠ビルエヴァンス、キースジャレットとのバンドでの経験もあるドラマーのアイコン的存在。彼のバンドではセロニアスモンクを楽曲として取り上げることが多く、Rosenwinkelのモンク・ショーターをフィーチャーする傾向は、ポールモチアンへの影響が感じられる。このバンドもゲイリーバートンバンド同様に、若手ミュージシャンの登竜門的な機能を果たしており、サックス奏者のクリスポッターなども、このバンドに参加している。Rosenwinkel加入のリリースアルバムは『Paul Motian and the Electric Bebop Band』『Reincarnation of a Love Bird, Vol. 71-81』『Flight of the Blue Jay』『Play Monk and Powell』『Paul Motian Electric Bebop Band festival lausanne1997』等。

2000年代の活動

ニューヨーク在住時代

2024年リリースの『The Next Step Band Live at Smalls 1996』において、スモールズ時代の写真が残されている。左側奥がRosenwinkel

Rosenwinkelがゲイリーバートン、ポールモチアンバンドに参加している中でニューヨークに移住、ここでの活動がリーダバンドの経歴や他ミュージシャンとの共演の基礎になる。後にバンドを組むベーシストベン・ストリート、ヒューマンフィールのメンバードラマージム・ブラック 、オルガン奏者ジョン・ドライデンらとブルックリン地区に移住したRosenwinkelは1993年末ごろからジャズクラブ「スモールズ」で演奏を始めた。ベンストリート、ジェフバラードと演奏を始めたのもこの時である。マスターのミッチェルボーデンから毎週火曜日のギグをもらい、それが5、6年続く名物ギグとなる。後に共演するピアニストブラッドメルドー、サックス奏者ジョシュアレッドマン、ベーシストアヴィジャイコーヘンとラリー・グレナディアとも演奏をともにしている。このニューヨーク時代にRosenwinkelがリーダーの「Next step band」の1994年スモールズでのライブ音源が2024年に発掘・リリースされ、彼の初リーダーアルバム『east coast love affair』が1996年にレコーディング・リリース。本アルバムは演奏に参加しているドラマーホルヘロッシがレーベル「フレッシュサウンドニュータレント」と縁があることで実現した。さらに『east coast love affair』のリリース数か月後に『the Enemies of Energy』 の録音を開始。だが、この時の録音はレコード会社に売り込むものの、リリース自体は2000年、彼がverveレコードに所属するまで時を待つ必要があった。

next stepバンドでの正式な初レコーディング

verve4部作とは2000年代にRosenwinkelがリリースした 『 east coast love affair』『next step』『heartcore』『deep song』の4つであり、『deep song』を除いた3作はRosenwinkelのレギュラーバンド(マークターナー・ベンストリート・ジェフバラード)で録音されている。「verve」とはリリースしたレーベルの名前からきている。
これまでの伝統的なビバップ的楽曲のレコーディングからコンテンポラリーな楽曲にシフトチェンジしてゆく過渡期ともなっていよう。ギターのチューニングについてもこれまでとは変えており、変則的なものにしている。今まで演奏にマンネリ化を感じた彼は自分の演奏に音楽理論が先行していることを感じ、新しいギターの音を追求した結果生まれたのだという。この試みによってRosenwinkelは多くの批評家の目に留まり、それはニューヨークタイムズ紙上にレビューが載るほどである。そのニューヨークタイムズ紙、ビレッジヴァンガードでのバンドのレビューにおいて、批評家ベンラトリフは The Next Stepの2001年1月のヴィレッジバンガードでのライブを「あるべきその瞬間まで自己主張をしないような、繊細で控えめに鍛えられた芸術」と評した。

Q-tipとの出会い

2015年3月16日投稿のRosenwinkelのフェイスブックから。右にRosenwinkel、左にはボーカリストのカイラガレイ、中央で肩を組んでいるのがQ-tip

ジャズ以外のコミュニティにその名が知られるなど、着実にステップアップしていたRosenwinkelだが、彼にとって次の課題は大きなホールでの演奏を想定した曲を作ることだった。Next stepの音楽は、いわゆるジャズクラブに多い小さなショーケースの演奏を想定していたために、大きな空間での演奏は不向きであることに気が付いたのである。そのような音楽を新たに造るきっかけになったのがQ-tipであり、その結実が『Heartcore』といえよう。Q-tipとは「A Tribe Called Quest」というグループのラッパーであり、非常に優秀な音楽プロデューサーでもあった。ヴィレッジヴァンガードでのライブを終えたローゼンウィンケルのもとに一本のワインボトルを送り、そのことが縁となって親交を深め、最終的にRosenwinkelの新しいアルバムの共同プロデューサーを担当することになる。
なおRosenwinkelもピップポップを主戦場にしているわけではないものの、『heartcore』制作の数年後Q-tipのアルバム制作に協力しており、『The Renaissance』『Kamaal The Abstract』に参加している。

多くのミュージシャンとの共演

『heartcoer』リリース後これまでのバンドを一時解散させた以後は多くのミュージシャンのアルバムに参加し、リーダーアルバムも共演者を変えている。『Deep song』では90年代スモールズでのギグで知り合ったジョシュアレッドマン、ブラッドメルドーを起用。Rosenwinkelは『heartcore』制作の後、すぐに彼らと演奏することを思い立ったのだという。元々3人で何かをやろうという構想は話し合ってたそうだがたまたまツアーが入っていなかったタイミングで、制作にこぎつけたという。ベーシストのラリーグレナディアはメルドーのトリオで長年メンバーとして活躍していたほか、マークターナーのバンドでRosenwinkelとも共演の経験がある。このバンドでの活動もあまり長くは続かなかったものの、レコーディングの他2004年にヨーロッパのツアーを回っている。2003年スイスでの教師生活を経たのち、2007年ベルリンに移住し、『Jazz Institute of Berlin』の教授に就任、ここから後学の育成にも力を注ぐようになった。
その他参加バンドでのマイルストーンはドラマーブライアンブレイドのプロジェクト「Brian Blade & The Fellowship Band」であろう。これまでの3~5人の少人数バンドではなく、6人以上の編制バンドになっており、どちらかというとラージアンサンブルの形式に近い。このバンドでの参加年数は長い。2000年にこのバンドで参加したアルバムは『Perceptual』に始まり『Season Of Changes』『Kings Highway』『Live From The Archives Bootleg June 15 / 2000』等。

2010年代以降の活動

Rosenwinkelの代表作

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