マルモイ ことばあつめ(韓国映画)のネタバレ解説・考察まとめ

『マルモイ ことばあつめ』とは、2020年に日本で公開された韓国映画である。監督・脚本はオム・ユナで、第二次世界大戦中の朝鮮で実際に起きた「朝鮮語学会事件」をもとに制作された。日本統治下の朝鮮半島にある京城で貧しい暮らしをしていたキム・パンスは、ひょんなことから朝鮮語の辞書を編纂する朝鮮語学会の代表、リュ・ジョンファンと出会う。反目し合う2人だったが、さまざまな朝鮮語を集めるにつれ同志として固い絆で結ばれていく。この作品は、民族の誇りを胸に賢明に生きる人々を描いた物語となっている。

京城第一中学校の集会の様子

京城第一中学校とは、本作の中で日本統治下の京城にあった中学校のこと。パンスの息子であるドクジンが通い、ジョンファンの父・ワンテクが理事長を務める学校である。実在の学校でこの京城第一中学校に相当するのは「京城中学校」だと思われる。京城中学校は「韓国総統府中学校」を前身とし、第二次世界大戦後に朝鮮半島の南側が大韓民国となった後はそのまま韓国に移管され、「ソウル高等学校」と名称を変えている。

非識字者

字が読めないパンス(左)に識字テストを行うことにしたジョンファン(右)

非識字者とは、日常生活においてごく簡単な読み書きも出来ない状態の者のことを指す。学習能力や知的能力に障害があって識字できない場合と、なんらかの理由で学習する機会が与えられなかったために非識字となる場合とがある。本作のパンスのように、後者の場合は会話に関しては問題なく、学習すれば克服することが多い。

公聴会

劇場内で開催された公聴会の様子

公聴会とは、主に国や地方公共団体などが重要な事項を決める際に学識経験者や利害関係者などから意見を聞くための会のことである。また、学識関係者が研究内容などを発表する際、一般に前もって告知し誰でも参加できるようにした会のことを指す場合もある。本作では朝鮮語学会が辞典の編纂を進める中で、朝鮮半島内の標準語を決定するために公聴会を開いている。

『マルモイ ことばあつめ』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

ク・ジャヨン「言葉というのは民族の精神を盛った器」

朝鮮語学会が10年かけて集めた朝鮮語の資料

朝鮮語学会のメンバーであるク・ジャヨンが、朝鮮語の辞典を作る意味がわからないというパンスに向かって言ったセリフ。パンスは非識字者である上に韓国や朝鮮に対しての愛着をさほど持っていなかったため、なぜ朝鮮語学会が必死になって辞典の編纂を急ぐのかがわからないでいた。そんなパンスに、ジャヨンは「言葉というのは民族の精神を盛った器」だと話す。なぜなら、その国の言葉によってその共同体がどのような歴史を持ち、どのような思考を持つのかが自然に表されるからだ。日本によって統治されていた当時の朝鮮は、朝鮮語によって本来表現されるべき自国の意志や精神、さらにこれまでの歴史すらも失われつつあった。朝鮮語学会はそれを危惧し、自分たちのアイデンティティを後世に遺そうと活動していたのだ。この話を聞いたパンスは、自然に自分の中に根付いていた朝鮮人としての矜持に気づくのだった。

リュ・ジョンファン「大切な同志なのに…許してください」

同志としての絆を深めていくパンス(左)とジョンファン(右)

パンスが朝鮮語学会の金を持ち逃げしたと勘違いしたジョンファンが、許しを請うためパンスに言ったセリフ。勘違いの後にパンスがイムを助けてくれていたことを知ったジョンファンは、パンスの元に謝罪に向かう。最初は取り合わなかったパンスだったが、「人が集まるところに言葉があり、言葉が集まるところに志があり…志が集まるところにやがて独立への道が開かれる。私が愚かでした。大切な同志なのに…許してください」という言葉に次第に心が動かされるようになる。パンスはジョンファンのことを、自分よりもはるかに育ちが良く、こちらを見下していると感じていた。しかしそんな自分に真摯で丁寧な態度をとるジョンファンに対し、「助けてやりたい」と思うようになる。そうしてパンスはジョンファンをよく助け、ジョンファンもパンスのことを頼りにし、2人は次第に名コンビになっていくのだった。

パンスからの手紙

公聴会の際に命を落としたパンスは、実は死の直前にドクジンとスンヒに手紙を遺していた。手紙は辞典の原稿とともに郵便局の倉庫に隠されており、長い年月をかけてようやく2人の元に届けられた。中には「辞典が完成したらお前たちに誇れる父親になれる気がするんだ」と書かれている。朝鮮語学会で働く前はうだつの上がらない父親であったパンスは、2人の子どもに貧しい生活をさせてしまっていることを恥じていた。しかし朝鮮語の辞典ができれば、たとえ貧しいままでも後世に残るものを作り上げることができると考え、ドクジンに反対されながらも活動を続けていたのだ。パンスは「もう僕たちを置いて行かない約束だろ」と言うドクジンを振り切って命を落としてしまうが、パンスがいなければ辞典は完成しなかった。さらには、韓国独立後に自分たちの言語を回復することもできなかったはずである。生前のパンスはスリをしたりいい加減なことを言ったりと頼りない父親だったが、この功績は何物にも代えがたいものだ。ドクジンとスンヒも、この手紙のおかげでパンスを失ったやりきれない気持ちを整理することができたのだった。

『マルモイ ことばあつめ』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

地味&暗いテーマをエンタメに昇華させたオム・ユナ監督

日本統治下の朝鮮半島の様子を緻密に描いたオム・ユナ監督

本作は、2017年に韓国で公開された映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の脚本を担当したオム・ユナが初監督を務めた作品である。『タクシー運転手 約束は海を越えて』というと、韓国の一般人が軍事政権下で弾圧に抗うという、もともとは地味かつ暗いテーマの映画である。しかし『タクシー運転手 約束は海を越えて』でのオム・ユナの脚本は、間延びしたり説教臭くなったりせず、いくつもの映画賞にノミネートされるなど評価も上々だった。それは絶妙な具合のユーモアを持った登場人物・キャラクターが出てくるおかげであり、本作でもそんなオム・ユナのセンスがいかんなく発揮されている。『マルモイ ことばあつめ』は、一言でいうと「辞典を編纂する」という非常に地味な印象のテーマを持った作品である。しかし前半はパンスをはじめとする市井の人々の日常に直結したストーリーを、後半は歴史上の出来事を織り交ぜつつドラマティックな展開を巧みに描いている。特に前半で朝鮮語がいかに当時の朝鮮人にとって大切なものだったのかを丁寧に描写しているため、後半の展開が見ごたえあるものになっている。オム・ユナが監督した本作は、まさに最後まで飽きることなくエンタメとして楽しみ、学ぶことができる作品となっている。

韓国人の「ウリマル」への思い

朝鮮語の存続を必死に訴えるジョンファン

本作では、「ウリマル」つまり朝鮮語がいかに日本統治下の朝鮮人にとって大切なものなのかが随所に描かれている。現代の韓国人が一般的に「ウリマル」というと、「한국(韓国)」のようなハングル文字のことを指す。もともと朝鮮ではハングルではなく、中国から伝わった漢字が主に用いられていた。しかしそれは、1446年以前の特権階級のみの話である。ハングルは朝鮮王朝第4代王・世宗大王が「庶民の言葉」として作った文字で、韓国人にとってはハングルこそが唯一の朝鮮語なのである。日本では中国から伝わった漢字と、それから派生した平仮名やカタカナを「日本語」として使用する。しかし韓国にとっては漢字はもともと中国のものであるし、日本統治下で日本に漢字の使用を強要されていたことでさらに漢字への悪いイメージが加わってしまったことも考えられる。つまり韓国人が「ウリマル」に抱く思いは、長い年月をかけて自国へのアイデンティティや愛着が築かれていった証なのである。

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