Skid Row(スキッド・ロウ)の徹底解説まとめ

「Skid Row(スキッド・ロウ)」は、アメリカのヘヴィメタル・バンド。1986年ニュージャージー州で結成、1989年にアルバム『スキッド・ロウ』でメジャーデビュー。ハードかつワイルドなロック・サウンドで人気を博し、デビュー早々に全米チャート1位を獲得するなど高い人気を獲得している。

Skid Row(スキッド・ロウ)の概要

Skid Row(スキッド・ロウ)は、1986年にアメリカのニュージャージー州で結成されたヘヴィメタル・バンド。度重なるメンバーチェンジを経て、ギターのデイヴ・スネイク・セイボ(Dave "The Snake" Sabo)、同じくギターのスコッティ・ヒル(Scotti Hill)、ベースのレイチェル・ボラン(Rachel Bolan)、ドラムのロブ・ハマースミス(Rob Hammersmith)の4人編成となった。
1986年、ニュージャージー州のトムズリヴァーで、デイヴとレイチェルを中心に結成。結成メンバーであったヴォーカル、マット・ファローンの脱退後、セバスチャン・バックを後任に据えた形でメンバーが揃ってからは、アメリカ東部やクラブでのショーを中心に活動し、1989年、アトランティック・レコードより、アルバム『スキッド・ロウ』でメジャーデビュー。
この『スキッド・ロウ』は全米チャート6位、1991年に発売した2枚目のアルバム『Slave To The Grind』は全米チャート初登場1位を獲得し、これはHM/HR史上初の快挙といわれる功績を残している。
同郷であるミュージシャン、ジョン・ボン・ジョヴィの支援を受けていたこともあり、「ボン・ジョヴィの弟分」としての扱いを受けることもあったが、全く異なる攻撃的な音楽性と端正なルックスで独自の路線を築き、LAメタル・ムーブメント末期のデビューにも関わらず高い人気を博した。
1998年にセバスチャン・バックと他のメンバーが、キッスのサポートに関して対立したことで脱退、バンドも事実上解散となるが、2000年に新たなヴォーカル、ジョニー・ソーリンガーを迎え再始動した。
2015年4月、ジョニーがソロ活動に専念するため脱退し、後任にトニー・ハーネルを据えて活動を継続するも、トニーも同年12月末に脱退してしまう。
2016年2月に行われたライブ以降は、元ドラゴンフォースのヴォーカル、ZPサートが加入するも2022年に脱退、2022年より加入したエリック・グロンウォールも2024年に脱退するなど、メンバーチェンジが非常に多いことでも知られる。
バンド名のスキッド・ロウは、貧困層が多く住み、犯罪も多発するスラム街を意味する英語の「skid row」に由来する。

Skid Row(スキッド・ロウ)の活動経歴

結成からデビューまで

1986年に、ニュージャージー州のトムズリヴァーで、ボン・ジョヴィの前身となるバンド、ワイルド・ワンズのメンバーだったギタリストのデイブ・スネイク・セイボと、ベーシストのレイチェル・ボランを中心に結成される。
後にギタリストのスコッティ・ヒルと、ドラマーのロブ・アフューソが加わり、ボーカリスト結成当時のマット・ファロンからセバスチャン・バックに代わって、1987年に初期メンバーが揃う。
アメリカ東部やクラブでのショー等を通して活動を始め、デイブの幼馴染でもあるジョン・ボン・ジョヴィが運営するレーベル「New Jersey Underground」の支援を受けながら、メジャーレーベル「アトランティック・レコード」と契約に漕ぎつける。
オジー・オズボーンなどを手掛けるプロデューサー、マイケル・ワグナーのプロデュースにより、1989年にセルフタイトルのアルバム『スキッド・ロウ』でメジャーデビューを飾る。
ヘヴィ・メタルの王道ともいえるテクニカルで派手な音楽性と端正なルックスが人気を博し、このアルバムは全米チャートで初登場6位を記録する。

セバスチャンの脱退

シングルカットした「"18 And Life"」「"Youth Gone Wild"」「"I Remember You"」がヒットした彼らは、1989年、愛知、大阪、東京、神奈川での来日公演を果たし、翌1990年の大みそかに東京ドームで行われた『FINAL COUNTDOWN '90』にも出演と、本国だけではなく日本での人気も確固たるものにしていく。
1991年、再びマイケル・ワグナープロデュースで2ndアルバム『スレイヴ・トゥ・ザ・グラインド』をリリース。全米チャート初登場1位を獲得し、来日して8公演を行った。
1995年には新たにプロデューサーにボブ・ロックを迎える。当時のアメリカでの流行に則り、モダン・ヘヴィネスを取り入れた3rdアルバム『サブヒューマン・レース』をリリースするも、前々作、前作ほどのヒットには結びつかなかった。
1998年に他メンバーとの音楽性の違いや、キッスのサポートについての意見の相違で対立したことで、ヴォーカルのセバスチャンが脱退。この件でバンドも事実上解散となるが、2000年には、新たなヴォーカルとしてジョニー・ソーリンガーを迎え再始動する。

再始動から現在まで

2003年、4thアルバム『シックスキン』、2006年に5thアルバム『レヴォリューション・パー・ミニット』をリリースし、2010年には現在もドラムを務めるロブ・ハマースミスが加入。
2014年には19年ぶりとなるTSUTAYA O-EASTでの来日公演を果たし、サポートアクトとしてEARTHSHAKERを迎えたライブは大盛況となる。
2015年4月には、16年間ヴォーカルを務めたジョニー・ソーリンガーがソロ活動に専念するため脱退を表明する。
後任として元TNTのトニー・ハーネルが加入するも、同年12月末に脱退を表明。その後の後任ボーカリストは発表されず、2016年にはタンク及び元ドラゴンフォースのボーカルであるZPサートがサポートを務めていた。
その後は2016年にバンドがセバスチャンと一度和解し、再加入について話し合ったものの、これが決裂。2022年3月、正式メンバーとなっていたヴォーカルのZPサートが脱退してしまい、後任として元H.E.A.Tのエリック・グロンウォールが加入する。
しかし、2023年5月17日から開催予定の全豪ツアー全4公演のうち、ブリスベン、アデレード、メルボルン公演が、エリックのインフルエンザ発症により開催中止となってしまった。
シドニー公演のみ体調不良の中で開催されたが、全豪ツアー後から予定されていた来日公演も、エリックの体調不良が続いたことから中止が発表された。

2024年3月27日、健康上の問題でエリック・グロンウォールが脱退。同年5月17日から6月1日までアメリカで行われた4公演には、ヘイルストームのリジー・ヘイルがサポートメンバーとして参加している。

Skid Row(スキッド・ロウ)のプロフィール

現メンバー

デイヴ・”ザ・スネイク”・セイボ(Dave "The Snake" Sabo)

1964年9月16日生まれ。ニュージャージー州パースアンボイ、セーアビル出身。1986年にレイチェル・ボランと共にスキッド・ロウの立役者となった中心人物。パートはギターで、主要なソングライティングを務める。
ジョン・ボン・ジョヴィとは近所に住んでいた縁の幼なじみだった。
流行していたキッスやエアロスミス、ジューダス・プリースト、ブラック・サバス、ローリング・ストーンズ、ヴァン・ヘイレンなどに触れて育ち、彼が14歳のときに母親から40ドルのギターを買ってもらったことがキャリアの始まりだという。
初期のボン・ジョヴィと、ボン・ジョヴィの前身バンド、ワイルド・ワンズで初代ギタリストとして活動していたが、リッチー・サンボラに追い出される形で脱退している。

レイチェル・ボラン(Rachel Bolan)

1964年2月9日生まれ。アメリカ、ニュージャージー州出身。1986年、ギターショップで働いていたデイヴと意気投合したことでスキッド・ロウを結成。
彼と共に主要なソングライティングを務めている、結成当時からの中心メンバー。ベース。

スコッティ・ヒル(Scotti Hill)

1964年5月31日生まれ。アメリカ、ニュージャージー州出身。結成当初からのオリジナルメンバー。パートはギター。
ハードロックとヘヴィメタルの要素を組み合わせた、テクニカルかつメロディアスなソロでバンドを支え続けている。

ロブ・ハマースミス(Rob Hammersmith)

2010年4月にドラマーとしてスキッド・ロウへ加入する。エネルギッシュで安定感のあるドラム・プレイで観客を魅了している。
『Pearl Drums』のサイトにアーティストとして掲載されているほか、レイチェル・ボランと共にギグバッグメーカー『Reunion Blues』のオフィシャルサイトにも名を連ねている。

旧メンバー

8uhang-mijya
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@8uhang-mijya

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